<<ビルオーナー物語>>
「テナントとの会話をきっかけにシェアオフィスを展開」に続き、独自のオフィスビル運営プロジェクト「BIRTH(バース)」の事業展開で、全国のビルオーナーや地方自治体からも注目されているTAKAGIグループ/髙木ビル(東京都港区)の代表取締役である髙木秀邦氏に話を聞いた。
本社の建て替え計画開始も 3代目はミュージシャン活動
堅実な成長を続けていった髙木ビルに新たな局面が訪れた。1995年に起きた阪神淡路大震災だ。被災地で多くのビルが倒壊したことで「耐震」に対する社会の関心が高まった。幸いにして同社が所有するビルは、85年以降に建てられた新耐震基準の物件がほとんどだった。だが、肝心要の本社のある虎の門髙木ビルだけが旧耐震基準時代の竣工だったのだ。
「バブル経済の崩壊を耐え抜いたように、自分たちの行動で回避できるものはいいのですが、地震だけはどうあがいても避けられない。それに耐えられるものを造らなければならないと、祖父と父はよく言っていましたね」(髙木氏)
竣工後、まだ30年足らずの本社ビルの建て替え計画は、同社にとっては予想外の事態だったはずだ。当時まだ健在だった祖父と父は親子2代で建て替えプロジェクトを進めるべく、テナントとの契約を定期借家契約に切り替えながら準備を進めていくことになった。
一方、未来の3代目となる髙木氏本人はまだ20代の若さ。祖父や父のビル事業の苦労など知るよしもなく、プロのミュージシャンとなり、寝ても覚めても音楽活動にいそしむ生活を送っていた。
「幼い頃から祖父からも父からも『おまえは髙木ビルの後継ぎだ』と言われ、家業を継ぐ人間として育てられてきました。自分には『夢』なんてものはありませんでしたが、音楽を知って初めてこんなに熱くなれるものがあるのかと。僕はこれで生きていくんだと、大学卒業後は家を飛び出したのです」と髙木氏は振り返る。
プロとして契約し、5年近くミュージシャンとしてのキャリアを積んでいった髙木氏。だが、やはり芸能界での競争は厳しく、次第に自分の限界に気付かされた。そこで2003年、27歳になった高木氏は父親の元に戻ったが、そんな息子に対して父親は「おまえが来たら会社はつぶれる」と拒否したという。
「不動産のふの字も知らないと指摘され、それはそうだなと。ミュージシャンとして成功できなくても、いずれ家に戻ればいいと甘えていたんですね」。自分の甘さに気付いた髙木氏は、人生で初めて就職活動を開始。髙木ビルの後継ぎということは伏せながら売買仲介の営業として、不動産業界での修業を始めた。
売買仲介では、法務や税務といった一通りの知識を学べることはもちろんのこと、何より「一つとして同じ不動産はない」「一人として同じ売主・買主はいない」ということに面白さを覚えた。
「これはある意味音楽のライブと同じだと思えたのです。このクライアントのために自分がどういうふうに振る舞うといいのか、ステージに立つ感覚と同じだったのです」と髙木氏は笑う。
音楽に注いできた情熱をそのまま不動産に注ぎ、それが営業成績に跳ね返った。トップセールスを表彰され、会社から賞を受けるようになった髙木氏に父親から声がかかった。10年のことだった。
東日本大震災をきっかけに 自社ビルの価値を問う
高木氏が高木ビルに入社にした頃には、虎の門髙木ビルの建て替えに伴う退去はすべて完了していた。解体を行い、これから着工というところで2011年、東日本大震災が起きた。日本が暗く重い雰囲気に包まれる中、ほかのビルに入居していたテナントから退去の申し出が届き始めた。
- ▲着工前から髙木社長が携わった虎の門髙木ビル
- ▲資材選びも髙木社長が立ち会った
「震災は仕方のないことで、こういう時こそおとなしくしているべきと父は言いましたが、そんなことはできませんでした」。髙木氏は、退去を決めたテナントに直接会いに行った。するとテナントから「大手企業が運営するビルが賃料半額で募集している」「もっと広いビルで1年間のフリーレントがある」と言われた。その時、自社のビルには引き留める魅力が何もないと衝撃を受けたという。
「今までは、駅前立地でそれなりのスペックのある物件ばかりを所有しているのが自慢でしたが、大手のもっと条件のいい物件が賃料を下げてきたら、勝てる要素が一つもないことに気付いたのです」(髙木氏)
テナントに対し、自信を持って髙木ビルを薦めるためには何ができるのか。50年、100年と価値を持ち続けるビルにするためには何が必要なのかを考え、虎の門髙木ビルの建て替えにできる限り関わろうと決めた。そこで、製品試験に立ち会うなど、資材の一つ一つを見て回った。知識がなければ単にコストの安いものを選ぶだけになるだろう。だが、自分の中で判断基準ができれば数十年後のリニューアル時に有利だという目線で取捨選択が可能になる。長期にわたって価値のあるビル経営を行う目線を持ちたいと考えて行動した。
また熱心に取り組んだ理由はそれだけではない。「結局のところ、どんなに大きなビルでも、人の手によって造られています。オーナーとしてその造り手に会うことで、自分がどういう熱を持って、この建築プロジェクトを行っているのかを感じてもらえるのです」。不動産はつくっておしまい、貸しておしまいではなく、人と人が生み出していくべきだと考えた。こうして、着工前から関わった新・虎の門髙木ビルは14年に竣工した。
不動産をベースに人が集う 地方にもビジネスチャンス
髙木氏は、祖父・父の「守る」という経営哲学を尊重しながらも、3代目として時代の変化に応じ、能動的に新しい価値を創造している。単なる不動産管理から、人々の成長を支援するシステムを展開したことで、髙木ビルの事業に新たな価値を付けることに成功した。
BIRTHは、プロジェクトの開始当時は髙木ビルの売り上げ全体の1割にも満たなかったが、現在では3割程度までに成長しているという。「BIRTHでの貸し方は収益の小口化です。小口化することによって、ワンフロアでの貸し出しより収益がアップする場合があります」(髙木氏)

▲BIRTHでは様々なイベントが行われる
BIRTHプロジェクトがメディアに取り上げられることで、日本各地の地方自治体から声がかかるようになった。今後は、BIRTHでのノウハウを各地方都市の不動産を使って広めていければと考えている。全国にコミュニティーやコワーキングスペースをつくり、つなげることで、日本中に人材や情報が行き交い、日本を元気にしていくと信じている。
「ともすると、地方でうまく活用できていない不動産は『負動産』といわれます。ですが、ビジネスという意味でいうと、地方のほうが実はチャンスが多いと思っています。そのエリアの需要に刺されば、特色を出せるメリットがありますから。そういったスモールスタートのビジネスの受け皿として、地方の不動産をコミュニティースペースに変えていくことが重要だと思っています」(髙木氏)

▲多くの地方自治体と包括協定を結ぶ
1961年 創業者、髙木秀男氏が髙木ビルを法人化
70年 旧・虎の門髙木ビル竣工
80年 2代目、髙木邦夫氏が武蔵境第一髙木ビルを竣工
以降93年までに計7棟のビルを竣工
2010年 3代目、髙木秀邦氏入社
14年 新・虎の門髙木ビル竣工
16年 次世代型出世ビルプロジェクト参画
17年 BIRTHプロジェクト始動
成長型フリーワーキングオフィス第1号「BIRTH KANDA」をオープン
19年 髙木秀邦代表取締役就任 「BIRTH LAB」をオープン
(2025年8月号掲載)
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