<塚越商事>再生と建て替えに着手

賃貸経営不動産再生

<<老舗企業と不動産>>

<塚越商事>土地購入から賃貸経営への広がり】に続き、時代にマッチした方法での承継を見据える塚越商事の塚越良太社長に話を聞く。

飲食店の経営を開始 賃貸事業とは異なる収入源

 1999年に5代目社長に就任した、現社長良太の父である龍司は、別事業への展開を試みた。それが飲食事業だった。

 「すでに賃貸事業の収入は安定していたため、父は家業の柱を増やすことを考えました」(良太社長)

 当時、「室町塚越ビル」一階に長年の間テナント入居していたクリニックが、退去することになった。日本橋の商業エリアで立地もよいためテナント付けには苦労はない。だが、自社で事業を行いたいと考えた龍司は飲食店の開業を目指した。

 「テナントの賃料は、安定しますが、収入の上限が決まっています。そこで、経営の仕方によっては上限のない収入を得ることができる事業ということで、飲食店の経営を決めたようです」(良太社長)

 同年「むろまち鳥や」をオープンした。ところが、この店の経営はオープン当日から苦労の連続だったという。


 「とにかく飲食事業は人材の確保が困難。採用したものの、一度も出社しない人もざらにいたようです。『オープンから1週間だけでいいので』と父から手伝いを依頼された母は、結局その後ずっとお店を切り盛りすることになりましたから」と良太社長は苦笑する。

 とはいえ、5代目の龍司は「家業の柱を増やす」という信念を貫き「むろまち鳥や」を軌道に乗せるや、08年には人形町ツカコシビルの1階に、より大型店舗のしゃぶしゃぶ店「にんぎょう町谷崎」をオープンした。

 ところが、そうした中、09年病が龍司を襲った。治療に専念するため、10年には妻である澄枝が社長に就任した。だが、様々な治療にもかかわらず、11年龍司は逝去。澄枝は社長として塚越商事を率いることとなった。突然の相続発生も、昔からの社員と共に乗り越え、会社を守りきった。

 「父が亡くなった後は社長として塚越商事を支えた母。むろまち鳥やも26年目を迎えられ、事業の柱になれたのも母の努力があってこそ。会社を内側からしっかり守ってくれました」

 
文豪にゆかりのある土地

人形町ツカコシビルのたつ土地は、近代日本文学の巨匠、谷崎潤一郎の生家があった場所だった。塚越徳蔵は、ゆかりの地にビルを建設するにあたり「潤一郎生誕記念の碑」を建立することを思い立った。

 そこで、知己をたより谷崎の最後の妻であった松子夫人に記念碑の題字の執筆を依頼した。竣工時には、松子夫人も除幕式に参列したという。

献花する谷崎松子氏

 

再生と建て替えに着手する 受け継いだ物件を次につなげる

 両親が飲食事業で家業の発展に尽くしながらも、人材確保などに苦労している姿を見ていた良太社長。

 「やはり人を直接雇う仕事を手がけるのは難しいと思いましたね」(良太社長)

 そこで、自身の代では賃貸事業に注力していきたいと考えた。そんな良太社長にとっての課題は受け継いだ物件の建て替えだった。冒頭に紹介した「上野桜木あたり」に続き、目下取り組んでいるのは「桃園コーポ」の建て替えだ。

 「同物件は、中野駅から徒歩10分の立地にあります。中野駅近辺では再開発が行われ、エリアの価値が上がっています。当社所有の不動産の価値上昇にも弾みをつけたい」(良太社長)


 解体も済み、26年6月の竣工を目指しているところだ。150坪の敷地に16戸の重量鉄骨造のマンションを建築している。満室想定家賃年収では、桃園コーポ時代の1・7倍近い4000万円を見込む。

 この建て替えのほかに、自身の代ではあと二つの物件を建て替えたいと考える。

 「本社ビルである室町塚越ビルは日本橋地区の再開発エリアのど真ん中にあります。今年11月には立ち退き予定であり、タイミングとしては私の代で同ビルの行く末を決定する必要があります。また人形町ツカコシビルに関しても、できれば私自身にまだ体力と気力がある40代のうちに道筋をつけておきたいですね」(良太社長)

不動産が本業化 新しい時代の到来

 こう考えるのも、今後、塚越商事のメイン事業でもあった金融事業を閉じることになる可能性が高いからだ。政府は26年度末までに手形・小切手の利用を廃止することを目指している。その中で、全国銀行協会は、手形・小切手の電子交換所での決済業務を27年4月に終了する方針を決定した。

 「いずれ、当社は金融事業を畳むことになるでしょう。そうなると、メイン事業は不動産賃貸事業になります」(良太社長)


 現在、年間家賃収入はおよそ1億3000万円で、同社の売上の65%はすでに不動産事業が占めている。初代藤三郎が始めた金融事業は125年の歴史の幕を閉じる日が近づいている。

 代々続けてきた金融事業の看板を下ろす決断は寂しさを伴うだろう。だが、不動産事業に全力を注ぎ体制を整えることで、代々守り続けた資産を引き継ぐことができると良太社長は考える。

 「塚越商事100年社史」の中にこんな言葉がある。

 「100年続く会社はあっても100年変わらない会社はないと思います」

 金融事業から不動産賃貸事業、そして飲食事業へのチャレンジと、その時代ごとに塚越商事の代々の経営者は家業に変化をもたらしている。それが結果として家とその資産を守ることにつながってきた。

 まさに、次の変化の到来を目の前にしている良太社長。自分の代ではさらに所有物件の資産性を見ながら、売却や組み換えを選択肢に入れていくべきだとも考えている。

 「自分の代で不動産の建て替えを進め、柔軟で安定した資産状況を整えていきたいと考えています。その基盤を元に、次の世代が新しい事業を展開し、代々受け継いできた『塚越商事』という資産を承継してくれることを願っています」(良太社長)

(2025年10月号掲載)
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