<<地主の挑戦>>
7億円のはずだった相続税
底地整理と資産組み換えで2000万円に抑える
横浜市鶴見区で800年以上続く地主の家、塩田家。現当主は塩田真人オーナーだ。今から約30年前、父から不動産事業の後継者に指名された。その当時、何も対策をしなければ7億円もの相続税を課せられる状況に陥っていた、まさに「一家の大ピンチ」。その克服の責務を一身に負うことになった塩田オーナーだった。しかしそこから17年間の奮闘で、相続税の支払いをわずか2000万円にまで抑え込むことに見事成功した。それはまさに地主が立ち向かった「プロジェクト相続税ゼロ」だった。
クリーク(横浜市)
塩田真人社長

プロジェクト⑴ 底地の整理
相続税試算額7億円に対して年間家賃収入3000万円
塩田オーナーが家の不動産経営の後継者に指名されたのは94年の秋も深まったある日のことだった。父は唐突に「おまえ、相続対策やってみる?」と塩田オーナーに言った。塩田オーナーは即座に快諾。これが「プロジェクト相続税ゼロ」発足の瞬間だった。
「実は私は次男。父が私を指名したのは少し意外だと思いました。しかし、よく考えてみれば兄も弟も行政にかかわる仕事で激務に身をやつしていました。性格的にも私が一番自由人だったからというのもあったのかもしれません」(塩田オーナー)
後継者指名による事業承継にあたって、最大の課題は近い将来支払うことになるだろう巨額の相続税だった。
その当時の塩田家の不動産資産は、90%が底地。つまり、大地主だが賃料を生み出す建物は全く持たず、わずかに所有権があったのは駐車場が1カ所と実家の土地くらいだったという。土地を貸している相手先は30件ほどだが、鶴見区は京浜工業地帯の中核地域であり、企業に貸している大きな土地もあったため、底地の総面積は広大だった。
古くからの底地は、地代が低く設定され収益性が悪いことが多い。それにもかかわらず、土地の評価額の4割ほどが底地としての評価となり、相続財産に計算される。塩田家の場合、当初の相続税の試算額は7億円。一方で底地の年間収入は3000万円ほど。巨額の相続税など到底払えるわけがなかった。
「この時の状態のまま父が亡くなっていたら、うちは破産していたでしょう。しかし……その状況に燃えましたね(笑)」(塩田オーナー)
「プロジェクト相続税ゼロ」の第一弾として塩田オーナーが最初に取り組んだのが底地の整理だった。一般的に底地の整理には①地主側が借地権を買い取り、地主が所有権を得る②借地人が底地権を買い取り、借地人が所有権を得る③地主と借地人が協力して第三者に売却し、第三者が所有権を得る―など主に三つの方法がある。
通常地主は、代々の土地を失うことになるので②や③を敬遠しがちだが、塩田オーナーは、そこにはこだわらず、この①から③すべての方法で底地を整理したという。
「守るべきは土地ではなく家です。家を守ることはすべての土地を守ることではありません。塩田家の継続と発展を考えれば、土地の歴史にこだわらず、家の所有不動産の価値を上げていくことこそが重要だと考えています」(塩田オーナー)
承継当初は塩田オーナーが自ら借地人の元に出向き、直接交渉していた。だが、途中から底地整理に強い不動産会社に間に入ってもらうことにしたという。
「当事者が直接交渉を行うと、何かあったときにこじれてしまいます。利害関係のない専門家が話したほうがリスクヘッジにもなるし、交渉自体もスムーズに進むということに気付きました」と塩田オーナーは振り返る。
こうして丁寧な話し合いを繰り返し、徐々に底地を減らしていった。

プロジェクト⑵ 借入金の増加
第1号物件で7億8000万円借り入れ
プロジェクト第二弾は、借入金を増やすことだった。
収益性が低いのに巨額の相続税支払いのリスクにさらされる底地を減らしながら、その一方で塩田オーナーは、新たな賃貸物件を建築することで負債を増やすことに努めたという。実家以外で唯一所有権があった駐車場にマンションを建てた。それは97年、プロジェクトが始まってから3年目のことだ。
父が建設資金を借り入れることで相続税評価額の圧縮を図ると同時に、塩田家にまとまった収益をもたらす物件の第1号とすることを狙った。
この時建てた「鶴見ワンダーランド」は地上9階、地下1階建て、55戸のSRC造で、物件名のとおり、「不思議の国」に迷い込んだような緑の多い外観。さらに、1階にはティーパーティが開催できそうな雰囲気のイタリアンレストランを自社経営しているほか、共用部の壁には森の絵が描かれている。JR京浜東北線鶴見駅徒歩2分の場所にあり間取りは2LDK。単身者向けの多い駅近にあえて競合のないファミリータイプを建てる戦略が当たり、ここだけで年間家賃収入が1億円弱になるという優良物件だ。借入額も大きくなり、7億8000万円に上った。しかし、もとよりそれが目的で、塩田オーナーにとっては計算どおりだった。「借り入れを増やすだけでなく、収益にも拘ったことで、次の戦略につなげることができました」(塩田オーナー)
▲物件第1号の賃貸マンション「鶴見ワンダーランド」。エントランスの壁には絵が描かれている
プロジェクト⑶ 資産組み換え
「資産価値」を第一優先に38棟を取得
そして第三弾のプロジェクトが資産の組み換えだった。
通常、借地人から借地権を買い取った地主は、その土地に新たな収益物件を建設するケースが多いが、土地の歴史にこだわらない塩田オーナーは、たとえ代々受け継がれてきた土地でも、資産価値が低ければ迷わず売却した。代わりにその売却益で遠隔エリアでも条件の良い物件を探して購入。新たに物件を建てていったのだ。
「実家と一部の土地については地主として残しましたが、そこ以外は資産価値を第一優先として判断していきました」(塩田オーナー)
新たに取得した物件は、どれも資産性の高いものだ。物件は基本的に横浜市内の東側と東京都の西側に所在。このほかに所有物件のエリアを広げる際にはエリアを吟味し、発展の福岡と安定の京都で物件を増やしていった。15年には九州・福岡県に、16年ごろからは人気エリアの京都府の物件を購入した。結局、これまでに取得してきた物件は、区分所有マンションを除いて38棟にも及んだ。意図して積極的に借り入れを行い負債を増やすとともに、資産を増やしていった。現在までの借入総額は約69億7000万円。年間の返済額は約3億円となっている。だが年間家賃収入は約5億5000万円なので、家賃収入に占める返済比率は55%ほどとまさに健全な経営状態だ。
「元金均等で返済するのもこだわりの一つです。早く返済を終わらせることで次につなげられます」(塩田オーナー)

▲自然環境に溶け込むように設計された、邸宅風賃貸集合住宅「杜山邸(とざんてい)」
プロジェクト⑷ 高付加価値物件
周辺家賃相場の120〜130%を設定
プロジェクト第四弾は“高付加価値戦略”だ。長期で安定した収益を生み出し、資産価値を高めていくことを狙った。
特に新築の際は物件価格をなるべく高く設定することができる、いわゆる高級賃貸物件を建てていったという。実はこれは相続対策にも大いに有効だった。「借入金が多ければ多いほうが、最終的に個人資産と相殺されるので相続税対策になります」(塩田オーナー)
だが、相続税対策だけを考えて、借入額の高さに比べて資産価値の低い物件や、入居付けに苦労するような物件を造ると大変なことになる。それを念頭に、すべて周辺家賃相場の120〜130%を設定することを前提に建てていった。
そうやって良質な資産を増やし続けた結果、現在は460戸まで所有戸数を伸ばした。
所有物件がほとんどゼロのところから約30年でここまで事業を拡大したコツについて塩田オーナーは「土地を買って新築から手がける際、間違いなくいい立地となる土地を買って、家賃が高く設定できる物件を建てる。それだけです」と話す。
30㎡以下のものは造らない。広めの間取りにすることで、ある程度の差別化ができている。
- ◀▲「開洋館」は「都会でありながらリゾートの雰囲気を楽しめるホテル」をイメージした
プロジェクト⑸ 空間プロデュース
そこにしかない価値を建物に与える
これに加えて、塩田オーナーの武器は「空間プロデュース」をすることだ。これがプロジェクト戦略“第五弾”だった。
「例えば、和を感じるデザイン、打ち上げ花火が見える窓を大きくする、「推し活」で使える飾り棚を置くなど、そこにしかない価値を建物に与えるのです。広さや間取りだけで上げられる家賃は数パーセントですが、こうやって空間をプロデュースすることで20~30%高い家賃でも入居してもらえます」(塩田オーナー)。空間プロデュースのためにはある程度の広さが必要だ。これが30㎡以下のものを造らないというポリシーにもつながる。
たとえさまざまな工夫を凝らした物件であっても、建築費は通常どおりで済む。アイデアと工夫を込めるだけで高い部材を使うわけではないからだ。「会社員時代に勤めていたサンリオでは、キャラクターを軸にした見せ方、空間演出を学びました。そして、コンセプトがいかに売り上げに直結するのか身をもって知っていたのです」と塩田オーナーは振り返る。
最近は家賃を上げることにも成功している。最初に塩田オーナーが新築に関わった97年築の鶴見ワンダーランドは、当初の家賃が14万~15万円だったところ、更新や入れ替わりのたびに家賃アップに成功。今の家賃は17万~18万円の水準だ。「家賃帯が高いほど、更新時の家賃交渉がスムーズに進む印象があります。今後は所有物件の平均家賃20万円を目指したい」と話す塩田オーナー。
建物のコンセプトに価値を感じた入居者は相場よりも高い家賃でも払ってくれる。その繰り返しで塩田オーナーは少しずつ堅実に財を増やしてきた。
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「守るべきは土地ではなく家」がモットー
家を守るための資産組み換え
こうした塩田オーナーの「プロジェクト相続税ゼロ」は第一弾から第五弾まで順調に進んでいった。そして94年に後継指名を受けてから18年。2012年に父が亡くなった。
一連のプロジェクトの成果によって、当初7億円と試算していた相続税額は、たった2000万円で済んだという。資産を組み換え、大きな借り入れを行っていたことが功を奏した形だ。そして、組み換えにより資産性の高い不動産を取得し続けていたことで、不動産資産自体も大きく増えていた。
「プロジェクト相続税ゼロはおおむね成功だいえるでしょう。おおむねというのは、父が亡くなった時に着手していた物件が施工できていれば、本当に相続税がゼロだったからです。そこは少し悔しいですね」(塩田オーナー)
25年には母も亡くなった。その際の相続税は今度こそゼロだった。
「父、母のどちらが先に亡くなるのかなんてわかりません。母が先だった場合のシミュレーションももちろんしていました。生命保険や借り入れは母の名義でも行っていたのです」と塩田オーナーは話す。
母を亡くして間もない塩田オーナーであるが、父、母と一丸となり相続をやり切った満足感すらうかがえる。
母が亡くなった際の遺産分割協議も30分で終了。頻回に集まるような特別仲がいい兄弟というわけではないが、事前の対策と綿密な計画により、異議など一つも出ない和やかな雰囲気だったそうだ。
「7億円なんて途方もない金額ですが、怖いと感じたことはありませんでした。目的を達成するのがある種楽しくて。どうやってゼロにしようか、戦略的に考えて実行した日々は、いい思い出です」(塩田オーナー)
“相続税ゼロ”へ向けての17年間の取り組みで、塩田オーナーが一貫して貫いてきたのが「守るべきは土地ではなく家である」というモットーだった。家を守るため、この間、資産組み換えを繰り返し行ってきた。
「本当にコアな部分である実家周辺や資産価値の高い場所は残し、ほかは整理しました。思い出より資産価値を重視しています。先祖代々受け継いできた地元である鶴見の土地にもこだわりはありません。ほかの地域にも投資するのは、地元だけでは良い物件に巡り合えないためです」(塩田オーナー)

▲経営する法人の本社が入る「栖倭館(せいわかん)」。「日本の民家の伝統的な思想×新感覚ライフスタイル」をコンセプトにプロデュースした
資産性の高さと利回りの高さ
経験を生かし「地主世話人」を事業化
かつては収益性の低い底地がほとんどだったが、塩田オーナーの代でこれを整理し、事業も大きく成長させた。今や個人や一族の法人で所有する物件は480戸にもなり、その入居率は99・5%と常にほぼ満室を維持。周辺相場より2~3割高い家賃を設定していることもあり年間家賃収入は5億5000万円ほどになる。
こうして築いた財産は、物件価格合計で64億円にもなる。さらに、これらの不動産は評価額で見れば95億円で、評価益だけでも30億円近い。購入時から評価額が上がった物件がほとんどで、土地・建物合計で評価額が下がっているのは所有物件のうちわずか五つである。
資産性の高さと利回りの良さを兼ね備える物件を支えるのが塩田オーナーの戦略。結果、最終的に年間キャッシュフローで手元に残るのは1億7400万円にもなる。収益性も高いという。
家の事業を伸ばした経験を生かし、ほかの地主の資産運用の相談にも乗っており、塩田オーナーは「地主世話人」の顔も持つ。家の法人では一族の物件のほか、この活動で建てたほかの地主の物件の管理も行っているという。
今の資産状況を生み出せた礎は「プロジェクト相続税ゼロ」の成功にほかならない。
塩田オーナーは一連の経験を通じて、資産形成についてのノウハウを得た。また、資産組み換えで新築を建てたことで、空間プロデュースの手法も確立。自身の法人で管理業務も行っていることから、賃貸管理の経験も積んだ。
自身の家の事業が落ち着いた今、地主の立場で資産形成や不動産経営についてアドバイスする活動も行っている。「地主3代100年」を合言葉に「地主二世塾」などの次世代育成にも力を入れる。
「父からの相続の経験が生きる形で、17年からはほかの地主の物件の管理も始めました。地主から相談を受け、その人が不動産を購入した後に管理を引き受けたのがきっかけでしたね。23年からは大手信用金庫の提携事業者として本格的に『地主世話人』を事業化しています」(塩田オーナー)
空間プロデュースにより収益性の高い物件を建てる手助けのほか、コストパフォーマンスに優れる“足場の要らない”大規模修繕のアイデアも実現に向けて動いているところだ。
(2026年1月号掲載)






