築古マンションもリノベで賃料収入は安定

賃貸経営ストーリー

ビルオーナー物語:後編

地主の勉強会で同志と学ぶ 築42年のマンションを改修

 同年、本格的に賃貸経営について学ぶために、一般社団法人日本不動産経営協会(以下、JRMA)に入会した吉田社長。自分と同様に先代から受け継いだ不動産を生かして事業を行う会員たちの姿を目の当たりにすることになった。
 JRMAへの入会で、吉田社長は改めて「自分の代では賃貸経営を行っていくのだ」と決意を固めることにもなった。同会メンバーと共にセミナーに参加し研さんを積む中、意識は成増マンションに向いていった。
 飲食事業と娯楽事業で忙しかった母は、マンション経営に関してすべて不動産会社に一任していた。結果として当時同マンションはおよそ8割は空室で4〜5戸しか入居者がいない物件になっていた。それであれば、いずれ建て替えが必要になる時期に向けて募集はかけず全戸空室にする準備を始めた。
 そうした中、11年に東京都が「緊急輸送道路沿道建築物の耐震化を推進する条例」を施行した。まさに同マンションはこの条例の対象となる旧耐震基準の物件だった。条例をきっかけに建て替えを検討したところ、7階建ては既存不適格であることがわかった。建て替えると5階建てまでという制限を受ける。単純に計算すると2階分の住戸数が減るわけだ。必然的に家賃収入も減ってしまうと考えた。
もう一つの問題は建築費だ。建て替えでの建築費の概算を見積もったところ5億円との回答。
 「そんな多額の投資をしても、今の時代回収できるかどうかが不安でした」(吉田社長)。そこで7階建てを維持することにメリットを見いだし、リノベーションを選択。ここでJRMAでの人脈が役に立った。会員からの紹介で知り合った会社にデザインの監修を依頼した。そして13年、全戸にリノベーション工事を実施した。

▲リノベ時に和室をすべてフローリングに変更

 

 耐震性の確保をしながら、全25戸、すべてデザイン違いというこだわりのリノベを施しながらも、工事費は総額3億円弱に収めることができた。建て替えを選ばなかったことで、当時10%超の利回りを確保できたという。
 このリフォームをきっかけに成増マンションは静山館と改名。母の名前「しづ」と同じ音の漢字を用いたかったこと、物件から富士山が見えることからこう名付けたそうだ。リノベしたことで空室だらけだったマンションも入居者を獲得。見事満室となった。

受け継いだ不動産事業が安定 次世代へ事業承継を開始する

 志津子氏は17年に永眠。自宅として使用していたYSビルの最上階で、親戚縁者に囲まれながらの旅立ちだったという。
 「その瞬間、窓の外を見ると虹がかかっていたことをはっきりと覚えています。父が亡くなった後、一生懸命やってきた苦労人の母。その努力が今、不動産という形で残っています。 大したものだと尊敬する気持ちと、一方で、次は受け継いだ物件を自分が守っていかなければならないという気持ちを強く持ちました」と吉田社長は気を引き締めたという。
 志津子氏の死後、YSビルに入居していたパチンコ店は新型コロナウイルスの感染拡大により大打撃を受け、定期借家契約は更新せずに撤退を決めた。難しい時期だったため、半年ほど入居付けに苦労したが、その後アミューズメント施設「東京レジャーランド吉祥寺店」が入居した。
 静山館はリノベから12年がたち、築54年となったが、現在でも10万円前後の賃料で満室経営中だ。近年では、退去があるたびに家賃をあげることができているという。

 

 「基本的には転勤になった、あるいは子どもが大きくなったというライフステージの変化が理由の退去ばかりです。自主管理できめ細やかな対応が長期入居につながっているのでしょう」と吉田社長は話す。
 静山館のリノベ以降、妻が主体となって入退去時のアンケートによるヒアリングを行い、入居者満足につなげていった。現在では、息子夫婦と娘も賃貸事業に参画している。
 母の慧眼(けいがん)のとおり「人を使わない」賃貸事業をメインにすることで賃料収入を安定化。それが受け継いだ不動産を守ることにもつながっている。

(2025年7月号掲載)
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