にぎわいを生むエリア開発で地域のデベロッパーとなる

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<<地主の挑戦>>

地域のデベロッパーとなる にぎわいを生むエリア開発

川崎市登戸地区で商業ビルの開発から管理までを行う井出コーポレーション(川崎市)。同社の井出喜文社長は、代々土地を受け継ぐ地主だ。地主として井出家が所有する土地の活用をするだけでなく、ほかの地主の土地も含めて登戸の土地開発を行う地場のデベロッパーとしての顔も持つ。

井出コーポレーション(川崎市)
井出喜文社長

▲登戸で10代目地主として土地開発に尽力する井出社長

この記事の目次

多摩川の関所管理が源流 駅誘致のために土地を提供
ほかの地主所有地を一体開発 ポケットパークが人を呼ぶ
コンセプトから逆算したビル 入居後をイメージしやすい
海外で不動産開発に従事 父は権利関係の整理に奔走
好きだけでは街はつくれず チームと収益が不可欠

 

 新宿副都心から小田急電鉄小田原線でおよそ20分の登戸駅とその隣の向ヶ丘遊園駅。1988年から区画整理事業が行われてきた地域だ。道路や宅地の整理を経て、2022年からは駅前の商業施設建設の時期に移っている。駅前には高層マンションや真新しい商業ビルが立ち並び、今後の竣工を目指して建築中のビルがそこかしこにある。

多摩川の関所管理が源流 駅誘致のために土地を提供

 井出社長は、日々変わり続ける登戸の地に土地を受け継ぐ10代目地主だ。

 「井出家は江戸時代、多摩川の関所の管理事業を源流としています。当時から経営上、土地を所有するきっかけがあったのではないかと思います」(井出社長)

 曽祖父の泰文氏は今でも高齢の地元住民の口にその名が上る人物だ。市議会議員や郵便局長などを務めた、いわゆる地元の名士だった。「真偽のほどは定かではありませんが、向ヶ丘遊園駅や多摩区役所の誘致にも尽力し、所有する土地の一部を提供したといわれています」と話す。

▲井出家の土地が一部使われたともいわれる向ヶ丘遊園駅

 賃貸事業は祖父の代から開始した。現在、井出家の所有物件は商業ビル10棟と賃貸マンション3棟の計13棟。現在、2棟の建築計画が進んでいる。父の代も、所有する土地の活用とそこからの賃料収入を得る、いわゆる「地主稼業」を行っていた。だが、井出社長が21年に会社員を退職し家業に戻ってからは、デベロッパーとしてほかの地主の所有する土地の開発を開始した。目指すところは「街のにぎわい創出」だ。

 この5年で同社が手がけたビルは、登戸・向ヶ丘遊園駅周辺にすでに15棟にも上る。23年に竣工した「登戸ゴールデン街ビル」はその一つ。登戸駅から徒歩3分の場所にある10階建ての飲食ビルで、駅前の開発が進む地であえて昭和の古い雰囲気を打ち出した。入り口にはたばこ屋の店先のセットやクラシックカーを置き、写真撮影に足を止める人も多い。

▲レトロブームの後押しもあり人気の飲食ビル、登戸ゴールデン街ビル

 向ヶ丘遊園駅北口のメインストリートに位置する「三笠蝶商ビル」や、ステンドグラスとアーチ形の窓が印象的な6階建ての「Saluton(サルートン)」も井出社長が手がけた複合ビルだ。

 「『このビル、井出さんが造ったでしょう?』と言われることも増えました」と井出社長は話す。その特徴は大きく分けて二つある。一つ目は意匠性の高さだ。タイルなどの建材にこだわるのはもちろんのこと、ビルに風合いを加えることも得意としている。

 「例えば、当社がよく用いるのが金属部分へのリン酸加工やガラス手すりです。高級感や重厚感を生みます」(井出社長)

 二つ目は植栽やポケットパーク(広場)で建物に余白をつくることだ。
「商業ビルは、エンドユーザーであるお客さまが喜んで訪問してくれることでテナントさんがもうかり、結果として家賃という形で収益があがります。そのため、余白を用いて『心地いい空間』をつくることを目指しているのです」と井出社長はいう。

 

ほかの地主所有地を一体開発 ポケットパークが人を呼ぶ

 余白である広場を造ることが付加価値となり、注目されたのが、24年に同社が竣工した「登戸29番街」だ。向ヶ丘遊園駅から徒歩1分の場所にあるビルで、井出家の土地と別のオーナーが所有する二つの土地の開発だった。登戸地区の地主たちは区画整理が行われたことで、まとまった形で土地を所有することができた。このメリットを生かした形でのプロジェクトだ。

 土地の間口が4m程度しかなく、別のオーナーの土地では入り口からエレベーターへの動線をつくることもできなかった。そこで、両家の土地を一体化させて開発することを決めた。それぞれが土地を拠出して、通りに面した広場を造った。

 「四角いビルが羊羹のように並ぶと窮屈ですが、ポケットパークがあると、利用者が腰を掛けたり、テナントさんのソフトクリームを買って食べたりするような少しだけ豊かな空間になります。『無駄』をあえてつくることが何げない日常の営みを生み、街の奥行きになるという思いがありました」(井出社長)

 開放的な空間をあえてつくることで視認性が高まり、結果として足を運びたいと思う建物になる。こうした考えに基づいてビルを造った。本来、収益率を考えると敷地を最大限に使うことがまず頭に浮かぶ。しかし、収益を生まない部分をつくることが訪問客を呼び込むことにつながるのだ。

▲広場のある登戸29番街。余白の部分がビルに人を呼び込む

 だが、ハード部分にどんな工夫をしても、テナントが入居しなければ「街のにぎわい創出」にはつながらない。その点も「入っているテナントは人流をつくることができるラインアップです」と井出社長は自信をのぞかせる。

 テナントは1階から3階に飲食店、4階はクリニック、5階がオフィス、6階が美容系のサービスという顔触れだ。ビルの印象を決める1階のテナントは、地元の有名洋菓子店が入居している。リーシングを前倒しで行い、テナントに合わせて工事を行う手法を取ることができたからこそ獲得できたという。

 「柱の位置や天井高、電気容量などもニーズに合わせた形で準備します。いくら人気の飲食店が入りたいと言っても、ホールの真ん中に柱があったら使いづらいでしょう。洋菓子店が入りたいと言っても電気容量が足りなければ入れません。テナントさんの声を聞きながらビルを建てるようにしています」と井出社長は話す。

コンセプトから逆算したビル 入居後をイメージしやすい

 コンセプトを確立させ、ターゲットを明確にすることでテナントを前倒しで獲得することができる。その代表的な成功事例が登戸2号線沿いにある「Salvere(サルヴェーレ)」だ。

 別のオーナーが所有する土地を開発し竣工した6階建てのビルで、井出社長は計画段階で「スポーツ・カルチャー」というテーマを選んだ。

 「周辺の状況を見て、スクール系のテナント、特にスポーツ系の需要がある割に、供給が少ないと気付いたのです」(井出社長)

 コンセプトから逆算し、テナントリーシングのしやすいビルを設計した。例えば、スポーツを行う空間の真ん中に柱を立てるわけにはいかない。柱を排除するため、4mスパンで広い空間をつくる設計にした。こうすることで、テナント側も入居後の使い方を想像しやすくなる。見事、1階に体操教室、2階にシミュレーションゴルフ、3階にバレエ教室、4階にピアノ教室、5階にダンス教室、6階にパーソナルジムという、コンセプトどおりのテナントを獲得。登戸2号線上の新築物件で唯一、引き渡し時に満床のビルとなった。

 「この案件以降、私たちにご相談いただく機会が非常に増えました」と井出社長は振り返る。現在、井出コーポレーションが手がける6割は外部オーナーからの開発受託だ。

 

海外で不動産開発に従事 父は権利関係の整理に奔走

 井出社長の事業において、井出コーポレーション入社以前の経歴は無視できない。

 大学院で国際関係について学んだ後、総合商社に入社した井出社長は、国内の商業施設の開発や再生事業に携わる部署に配属された。その後、語学力を買われて海外不動産の開発を担当。マレーシアで日本食レストラン街の開発事業に関わった。マレーシアには1年ほど滞在し、テナント誘致からオープン後の運営にも関わった。そのほかにも「蔦屋書店」の海外展開サポートとして、現地の合弁会社設立や出店場所の開発を行った。

 そうした経験を生かす形で、駐在員としてのマレーシア勤務を打診されたが、日本国内の不動産開発に携わりたいという意欲を感じていた時期だった。

 折しも、地元では駅前の開発がこれから始まるタイミング。井出社長は心を決めた。退職して、家業に入ることを選んだ。父も、喜んでその決断を受け入れたという。

 「父から『戻ってこい』と言われたことは一度もありません。家業を念頭に『商社で不動産をやれ』とも言われていません。でも振り返ってみると、私にとってはベストのキャリア、ベストのタイミングで家に戻ったといえるでしょう」(井出社長)
井出社長が商社で不動産事業に従事している間、賃貸経営と並行して父は権利関係の整理に奔走していたという。井出家も多くの底地を所有していたが、区画整理事業というエリアを挙げての大きな動きがある中で、借地人との複雑な権利分けを進めることができた。その後は、整理された土地に「第3井出ビルディング」の計画を進めるタイミングで井出社長が家業に入ることになった。

 「ちょっと悔しいのですが、自分自身で進む道を決めてきたと思っていましたが、振り返ると誘導されていたのかもしれません」と井出社長は笑う。

▲本社の入る第3井出ビルディング。広く取ったエントランス前にはキッチンカーが入る

好きだけでは街はつくれず チームと収益が不可欠

 家業に入る決断の底には、先祖代々受け継いだ土地への責任、そして生まれ育った土地への愛着が当然のこととしてあった。だが、登戸における商業ビルの開発を語る井出社長の口からは「地域への思い」という聞き慣れたフレーズが出てこなかった。不思議に思って問うと「その土地が好きという理由だけでは街づくりはできない」という答えが返ってきた。

 街づくりには「チーム」と「収益」が必要だ。登戸の街が変わってきているのは、会社の社員の働きがあるから。社員がいるということは経費があるということ。経費があるということは売り上げが必要だということ。それがなければ成り立たない。

 「エリアのことが好きで街づくりをしたいというのであれば『誰がどうやるのか』という質問に答えられるべきで、それができないのは無責任だと思います。街を変えるという結果を求める以上は、チームと収益は持っておかなければなりません。好きだけでは変わらないのです」(井出社長)

 前述の登戸29番街、そしてSalvereどちらも10%前後の利回りを確保している。

 「いいビルを造るために、土地を所有しているオーナーやデベロッパーが損をするというのはあってはならないと思っています。利益を追求しつつ、不動産を使って地域貢献ができるビジネスモデルをつくることが大事です」(井出社長)

 土地を活用する地主も、入居するテナントも、さらには、商業ビルのエンドユーザーである利用者も、それぞれが利益を享受できる。「三方よし」のビジネスモデルが、登戸地区の街づくりを支えている。

(2025年11月号掲載)

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