<<地域と生きる>>
土地を生かし、街全体を育てる
400年続く地主の変わらない役割
400年続く地主の家に生まれ育った石井秀和オーナー(川崎市)。所有する物件の共有部を地域に開放し、「顔の見える街」を目指す取り組みをしている。地元に根付いた地主の役割は「土地を生かし、街全体をつくること」と捉えている石井オーナーに、その思いのルーツと見据える未来について聞いた。
石井秀和オーナー(川崎市)
地主の役割は「人と人が出会い、関係を紡ぐ場をつくること」

街づくりの担い手
JR南武線武蔵新城駅の北口改札を出てすぐのところに「新城北口はってん会」という昔ながらの商店街がある。そこから3分ほど北に歩くと、商店街に溶け込みつつもモダンで開けた空間が現れる。
この「PASAR BASE」というスペースは、中庭にも面した80㎡の大きな空間だ。ワークショップや研修・セミナーでの利用が可能。また、マルシェをたびたび開催していた時期もあり、今もイベントを行ったりと、地域住民の活動の場として使われている。
実はこのスペースは「セシーズイシイ7」という名前の5階建て62戸の鉄筋コンクリート造マンションの1階部分にある。マンション自体は1992年の竣工だが、その大規模修繕に合わせて2014年に作られたのがこのスペースだ。建物はコの字型の特徴的な形状(MAP情報参照)で、PASAR BASEはその特徴を存分に生かしている。

武蔵新城駅周辺を中心に23物件を所有する石井オーナー。今回の記事ではMAPの3施設を中心に紹介する
この物件の所有者であり、スペースの企画運営者でもある石井オーナーは「地域の人が人生の節目に立ち寄れる場所にしたかった」と話す。実際、ここでは子育てが落ち着き、何かを始めたいという母親たちのワークショップや、高齢者が第三の人生を楽しむための交流イベントが継続的に開かれている。地主として、単なる賃貸事業ではなく、地域住民の生活に寄り添う機会を提供しているのだ。
「地主というと『ただ土地を持っている人』というイメージがあると思います。でも僕にとっては『人と人が出会い、関係を紡ぐ場をつくること』が役割なんです」(石井オーナー)
地主業を資産管理の枠にとどめず、街づくりの担い手として再定義しようとする姿勢が石井オーナーの特徴だ。

▲PASAR BASEは中庭に面した開放的な空間だ
リノベスクールで受けた衝撃
石井オーナーが本格的に経営を担うことになったのは2013年、父の死去による相続からだった。資産を管理・運用していた南荘石井事務所(同)の社長就任の直後、最大の課題となったのが前述のセシーズイシイ7の改修だった。
「最初の大きな仕事でした。普通なら、『修繕して終わり』という選択肢もあったと思います。でも、僕は『せっかく大規模修繕するなら付加価値を付けたい』と何となく考えたのです」(石井オーナー)
そこでリノベーションを学ぼうと思い、リノベ事業で実績のあるブルースタジオ(東京都中央区)に声をかけた。その際、石井オーナーは同社の大島氏がスクールマスターを務めた熱海のリノベーションスクールを視察したいと相談した。「ぜひ参加したほうがいい」という後押しも受け、静岡県熱海市で開催されていたリノベスクールに参加。そこでの学びが石井オーナーにとって転機になったという。
「僕はリノベの具体的な手法を学ぶことができると思っていたのです。しかし、実際の内容は『街づくり』の話ばかりで。『これはリノベの話じゃないじゃん!』と最初は思いました。でも、逆にそれが心に刺さった。街全体をどう変えていくかを考えないと、物件の価値も守れないのだと」(石井オーナー)
この経験が、石井オーナーの視座を「物件単体の収益性」から「地域マーケット全体を育てる」というところへと引き上げた。家賃相場や金利の動向に翻弄されるのではなく、街そのものの魅力を高めて需要をつくり出す。地主の立場から街を動かすという、従来の不動産経営にはなかった発想だった。
新城テラスと新城WORK
▲16年に開店した石井オーナーの直営カフェ、新城テラス。地元の生産者と共同開発したオリジナルメニューが人気だ
地域を育てるという考えを持った石井オーナーは、セシーズイシイ7を単なる大規模改修で終わらせることをやめた。「街全体の価値を高めるための起点にする」というコンセプトを掲げ、人の集うカフェを併設する賃貸マンションにしようと考えた。こうして冒頭で述べた14年のPASAR BASEの次に誕生したのが、16年に同物件1階の石井オーナー直営カフェ、新城テラスだ。
「リノベスクールでは『人と街の関係を再構築すること』を学べました 」(石井オーナー)
人々が集う場としてオープンした新城テラスでは、自家製ハーブシロップなど、同じ川崎市内の生産者と協力して開発した商品を提供している。石井オーナーの「地域とのつながり」を大切する想いが汲み取れる。PASAR BASEも新城テラスの客席として使いながら、地域の人たちとの意見交換の場やマルシェの会場の一部などとして機能していた。
また21年にはコワーキングスペース「新城WORK」を開設。セシーズイシイ7から商店街を挟んで対面に位置し、石井オーナー所有の「石井ビル」の2階部分を改装してオープンした。
- ◀▲セシーズイシイ7と商店街を挟んで反対にある新城WORK。元々は中華料理屋が入っていたビルの2階部分を改装して21年にオープンした
石井ビルは1985年竣工の鉄骨造4階建ての建物。2階には地元で人気の中華料理店が入っていたが、その退去のタイミングで活用方法を再考したという。そして、近隣の溝の口エリアでコワーキングスペースの運営に関わった経験もあったことから、武蔵新城というベッドタウンでもコワーキングスペースの需要があることに気づいたという。ベッドタウンで日中働く人たちが少なくなる武蔵新城だからこそ、街で働いてくれる人たちと出会える場を創出した。
すべてが「街のマーケットを育てる」という、一本の線で結ばれた運営を石井オーナーは行ってしている。
鉄道から始まった街の変貌
そもそも石井家が地主として武蔵新城に関わるようになったのは、江戸時代初期にまでさかのぼる。1600年代中ごろに当地へ移住し農家を営んだ。以来400年にわたって土地を承継してきた。
このエリアの大きな転機は1927年、南武鉄道(現JR南武線)が川崎〜登戸間で開通した時だ。当初の路線計画は府中街道沿いに敷設される予定だったが、地元住民や有力者の働きかけにより、現在の武蔵新城駅のある場所に「武蔵新城停留場」が設けられた。石井オーナーの先祖もこの誘致運動に積極的に参加したという。
「武蔵新城に鉄道を呼び込めたことが、その後の街の発展の決定打になったと思います」(石井オーナー)
そして駅ができると同時期に企業も進出した。日本光学工業(現ニコン)、富士通信機製造(現富士通)といった大企業が周辺に工場を構え、その従業員の受け皿として街は一気にベッドタウンと化していく。この時期に武蔵新城エリアは60坪前後の住宅が立ち並んだという。住宅地として細分化された結果として地権者が多くなり、大手デベロッパーが大規模開発を行いづらくなった。そのため、地域に根付いた地主や中小事業者が街を形作ってきたという背景がある。
「武蔵新城は昔から『顔の見える街』なのです。大きなチェーン店などが入りにくいからこそ、個人商店や地元の家主が担い手になりやすい。結果的にそれが街の雰囲気をつくっているのだと思います」(石井オーナー)

▲セシーズイシイ7が面する商店街の新城北口はってん会では、取材当日にお祭りが開催されていた
60年代からの不動産事業
1960年代になると、石井オーナーの曽祖父にあたる幸重氏は農地に賃貸住宅を建てて貸し始めた。これが石井家の賃貸事業の始まりだ。その後70年ごろには初の鉄筋コンクリート造の「第六南荘」を建設。84年ごろには父・宏康氏が事業を承継、法人化を行い「セシーズ」ブランドでマンションを展開した。従来の木造をRC造に建て替えながら、同時に新築したり不動産を取得したりと規模を拡大していった。この宏康氏が相続した際に行った判断が、今でも石井オーナーの心に残っているという。
祖父の死は、石井オーナーが中学生の時のこと。相続税の納税資金を工面するため、父は600坪ほどあった母屋の半分以上を売却したという。母屋以外の土地も売却できた中で、あえて母屋の土地を売却したのだ。
「正直、まさに住んでいた場所を売るとなってショックでした。でも『土地を守ること』に固執していては事業が続かない。父は冷静に判断して、売り上げをつくっていない母屋を手放したのです。土地は守るだけでなく、考えて活用する必要があるとこの時に感じました」(石井オーナー)
大学卒業後は事業を継がずにIT(情報技術)系企業で会社員として働いていたが、親からの期待もあり2000年には父の経営する会社に入社。父の元で働く中で、セシーズシリーズの建て替えに6棟以上関わり、銀行への対応などで運営の基礎を学んでいった。
そんな折、11年に突如父の病気が発覚。がんだった。病院への付き添いなど闘病を支えたが、13年に父は死去した。そして当時38歳にして正式に社長へ就任。その瞬間から重い課題がのしかかった。老朽化物件の改修・建て替え、相続税の対応、そして空室率の上昇と家賃下落への対処などだ。
「Self Re武蔵新城」
その後は前述のとおり、石井オーナーは地域と向き合う経営へとかじを切り、地域を育てながら不動産を運営してきた。
そんな石井オーナーはこれから描く未来像の中心に「Self Re(セルフアールイー)武蔵新城」というコンセプトを掲げる。そこには三つの「RE:」という柱がある。「ReStart(リスタート)」、「ReNovate(リノベート)」、そして「RePort(リポート)」だ。
「ReNovate」はリノベーションや時には新築で住みやすい環境をつくり、「ReStart」はそこで新たな生活を始める人たちが増えていき、「RePort」はその生活の状況や地域の魅力を発信し続けるということを指す。この三つを街全体で行っていくことを考えているという。

▲地元の人と積極的に交流し、行動していく。こうして地域に価値が生まれていく
未来に向けては、さらなる仕掛けも構想している。「宿泊事業をやりたいと思っています。『お試し移住』などができる場所をつくりたい」と石井オーナーは言う。単に来訪者を増やすのではなく、「関わりしろ」のある「関係人口」を増やしていくことを重視している。短期間でも地域に触れ、人と関わることで「武蔵新城にまた来たい」「住んでみたい」と思ってもらう。その循環こそが、街を持続的に成長させる源泉になる。
「この街に住んでいる人だけでなく、関わる人すべてにとってこの街での生活が『自分ごと』になってほしい。暮らしや経済活動をシェアし合い、街全体を大きな共有部にしていく。そうすれば必ず、みんながこの街に愛着を持つようになるはずです」(石井オーナー)
変わらない地主の使命
現在は23物件、約370戸を所有する石井オーナー。しかし、これらの資産を守るためだけの行動はしない。
「地主は、資産を守る存在ではなく、地域の価値を育て、未来を形作る存在だと思っています」(石井オーナー)
石井家は400年にわたり武蔵新城の土地を守り続けてきた。時代が変われば建物も、経営の手法も変わる。しかし人をつなげ、街に活気を与えるという地主の使命は変わらない。
資産の継承から地域の継承へ。根底にあるのは、いつの時代も変わらない「地域に貢献する」という使命なのだ。石井家の長い挑戦は、まだまだ続いていく。
「地主は、資産を守る存在ではなく、地域の価値を育て、未来を形作る存在だと思っています」

(2025年11月号掲載)