<<Regeneration ~建物再生物語~>>
間もなく築100年! 木造洋館は音楽を愛でる場に
西洋館倶楽部
JR総武線市川駅から徒歩7分ほどの場所にある1927年築の大きな一軒家。国道14号から小道に入ると、赤い屋根がトレードマークの洋館が現れる。渡辺俊司オーナー(千葉県市川市)は洋館に音楽ホールを増築し「西洋館倶楽部」と名付けた。月に3~4回ほど、コンサートやイベントを開催している。
渡辺俊司オーナー(千葉県市川市)
- 3階建ての洋館は堅固な造りで、当時の姿をそのまま残す
洋館部分の建築面積は146㎡で木造3階建て。渡辺オーナーの生まれ育った実家でもある。1階応接室を聴衆の待合場所として、2階部分を楽屋として活用。97年には収容50人規模のコンサートが可能な70㎡の音楽ホールを、約3000万円かけて増築した。「シャンソンを聴かせることで有名だった東京・銀座の『銀巴里』というお店が閉店してしまい、それをきっかけにシャンソンを聴くことができる音楽ホールを自分でつくろうと思いました」(渡辺オーナー)
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増築された音楽ホールでは、コンサートを楽しむことができる
99年に国の登録有形文化財に登録された洋館は2027年には築100年を迎えようというのに堅固。足を踏み入れても軋みは全くない。築年数を聞いて驚く人も多いだろう。外壁や屋根の塗装、床の一部張り替えなどのメンテナンスを定期的に行っている。壁や天井は漆喰で仕上げたものだが、一部を除き建築当時のまま使い続けており、洋館内の照明や家具なども同様だ。1階の応接室は洋間だが、2階と3階は和室と洋間が隣り合う。階段を上ると現れるのは、外観からは想像もつかない和室だ。「建築については、和洋折衷の大正ロマン風が当時のはやりだったと聞いています」(渡辺オーナー)
- ⾬宮知⼦氏が出演したコンサート「⽉の砂漠」
- 照明も昭和の時代から使い続けている
洋館を建てたのは祖父の渡辺善十郎氏。東京証券取引所の仲買人として成功を収め、証券会社の経営の傍ら政治家としても活動した。戦時下、東条英機内閣の時代に衆議院議員を務めたこともある人物だ。1923年の関東大震災で東京・深川の住宅が大きな被害を受けたため、この地に新たに別荘を建てて家族で移り住んだ。
- 応接室の茶色の大きな1脚は、100年にわたって同じ場所に置かれている
- 1940年ごろに父親が出征した際の写真
建築当初は母屋である大きな日本家屋がメインで、洋館は応接室兼客人の宿泊場所として併設される形だった。当時は祖父母とその子どもたち、さらには乳母や女中たちを含めた渡辺家の人々だけでなく、証券会社の従業員まで合わせて30人以上は住んでいたようだ。
日本家屋部分は渡辺オーナーの親の代で売却し、現在は洋館を含め約300坪が残っている。
- 和室と洋間が隣り合う2階。書は伊藤博文の筆
- 1階の洋間には、登録有形文化財のプレートが飾られている
今は音楽ホールとして受け継がれた洋館では、渡辺オーナー自ら照明・音響係としてステージをサポートしている。「この場所を使いたい人たちとの出会いを大切に、今くらいのペースでイベントを開いていけたら」と渡辺オーナーは話した。
(2025年11月号掲載)