<<ビルヂング探訪>>
「丸石ビルディング」
戦前に建てられた現役のオフィスビル
法定耐用年数では、鉄筋コンクリート造の47年とされているが、実際には100年近く活躍している建物もある。東京都心部のオフィスビルとして稼働する丸石ビルディングもそのひとつだ。戦争を耐え抜いた経験を持つ建物が、現在においても高い稼働率を誇っている。その歴史と、現在も現役として活躍させるための取り組みを聞いてきた。
築90年超、なお現役
東京都千代田区のJR山手線神田駅。オフィス街の中に、一見して歴史的建造物だということを感じさせる建物が突如現れる。それが、1931年竣工の「丸石ビルディング」だ。90年以上前に建てられたビルだが、今も現役で稼働している。現在はおよそ35のテナントが入っており、神田という都心の一等地で、賃貸ビルとして今もなお稼働し続けている。

しかも、これまで空室に悩んだことはないという。記憶に新しい新型コロナウイルス下でも、丸石ビルディングの稼働は大きく落ち込むことがなかった。それについて、同物件の所有者である太洋商会の髙木康夫社長は、「正直いって、特別なことをやっている意識はありません。その時々に必要なことをやっているだけです」と話す。髙木社長は、太洋商会創設者の山口佐助氏の孫にあたる。
同物件を所有・運営する太洋商会は、かつては複数の事業会社をまとめる持ち株会社で、それぞれの不動産資産を包括して所有・管理していた。しかし、事業売却を進めた現在は30人ほどの社員で不動産を管理・運営し、その賃貸収入が総収入のほぼ100%を占めるという。
この丸石ビルディング以外にも神田エリアではビル3棟と駐車場を保有し、他にも北海道や大阪府など五つの地域でテナント・住居・倉庫など多くの種類の不動産を保有している。
丸石ビルディングの特徴は、その築年数ながら現役ということと、豪華な意匠だといえるだろう。1931年に建築後、戦争や震災を経てなお現役で使われている建物だ。築古のオフィスビルは耐震基準が現在の耐震基準を満たさないことから、上場企業が入居を敬遠する傾向にあり、これがオフィス経営者の悩みの種になることが多い。この点、丸石ビルディングにおいては、2007年に現在の耐震基準にのっとるように壁の厚さや柱の太さを増すなど耐震改修を実施。その結果、新耐震基準への適合証明を取得することができ、上場企業の入居も問題がなくなった。
建物の意匠は、近世ロマネスク様式とされ、西洋風の装飾が目立つ。建物の入り口にはライオン像が2体並んでおり、建物の外周には聖人(せいじん)や果物など多くのモチーフが彫られている。また建物内の装飾も豪華だ。エレベーターホールの床はタイルで模様が描かれており、壁は建築当初にヨーロッパから取り寄せた大理石。天井には花や植物が描かれている。
「このホールの天井は今は白く塗装されていますが、元々は淡い色で美しく色づけされていたということが建築当初の書類からわかりました。しかし、戦時中にこの建物を近隣住民に開放していたとき、炊き出しをこのホールで行っていたので、その時のすすで天井が汚れてしまったのです。そのため、後になって天井を白く上から塗り直して今の白い天井になりました」と話すのは、創業者のひ孫で、現在、建物の保守・管理を担当している山口英治取締役だ。
また、エレベーターの扉にも四季を彩った装飾が施されているが、これについてもエピソードがあるという。
「秋を表す模様の中にトンボがいます。全部で12匹なのですが、そのうち1匹だけなぜか下を向いているのです。これは『建物は完成と同時に経年劣化が始まる』という考えで、あえて未完成部分をつくったのではないかと思っています」(髙木社長)
- ▲元は彩色が施されたエレベーターホールの天井だったが炊き出しをこの場で行った際の汚れが付着したため白く塗装した
- ▲四季を表したエレベータードアの模様。左列下から2番目の枠にあるトンボのうち1匹だけが斜め下を向いている
また90年以上現役で稼働している丸石ビルディングは、堅牢性も特筆すべき点だ。同建物は設計当初からアーチ構造を多く用いることで耐震性能を高めているほか、基礎は松ぐいを埋めて地盤改良を施すことで盤石な基礎を造成。戦前としては異例の費用をかけた結果、類いまれな堅牢性を誇る建物となった。東日本大震災においてもクラックすらほぼ入らなかったという。建築当初にしっかりとしたものを建ててくれた先代たちの思いが、いまもこの建物の根底に存在している。
- ▲建物の随所にみられるアーチ構造が堅牢性に寄与している
- ▲神田のオフィスビル群の中に突如として現れる重厚な佇まいの丸石ビルディング
ルーツは1890年代
太洋商会はいわゆる持ち株会社だが、そのルーツとなる会社は1890年代に設立されている。貿易会社として事業を順調に拡大させていくと、関連会社も含め数十社の組織にとなるまで大きくなった。また、貿易業をより効率的にするため、満州(現在の中国東北部)やカナダなどにも拠点を構え事業を拡大させていった。そのため、創業者の山口佐助氏は世界を巡り仕事を行う、戦前では希少な働き方をしていたという。そうして各国の最新のビジネスを学ぶ中で「持ち株会社」という構想を自身の事業に導入。関連企業の不動産や株式を集約させる持ち株会社として、28年に太洋商会が誕生した。
「海外の最先端のビジネスの常識をいち早く取り入れていたと聞いています。ホールディングスという概念の日本での先駆者だったのではないでしょうか」(髙木社長)
太洋商会設立の翌年にあたる29年、丸石ビルディングの工事が始まった。設計は三菱地所の設計部から独立したばかりだった「山下寿郎建築事務所(現山下設計)」が担当した。この事務所の創設者である山下寿郎氏は旧丸の内ビルディングを設計。しかし、竣工直後の23年に関東大震災の被害に遭い、ビルがしばらく使用できなくなるという苦しい思いをした直後だった。また世の中的にも震災の記憶が新しい間に行われた丸石ビルディングの工事だったため、耐震性および耐火性が重要視された。

▲当時の足場はまだ金属ではなく、「竹」で組まれていた。これはその貴重な資料写真だ
その結果、アーチ構造や松ぐいの基礎を使用するなど、構造部分にしっかりと資金をかけた建物を造ることができた。また木造が主流だった当時にしては珍しい鉄骨鉄筋コンクリート造とし、耐火性も担保。こうして、地上6階建ての丸石ビルディングが31年に完成した。ちなみに、施工は竹中工務店で、竹で組んだ足場を利用している当時の写真が関係者をにぎわせたという。
戦火にも動じない
竣工後は2階を太洋商会、1階をグループ会社の太洋自動車が利用。3階から上をオフィスとして貸し出していた。太洋自動車は戦前に米国のゼネラル・モーターズの総代理店を務めており「シボレー」のショールームとして1階を活用していた。またオフィスとして貸し出す上階は基本的に同じ造りだが、最上階だけは天井を高くし広めに空間を取った特別な仕様となっている。
「建築当初、最上階には音響会社のビクターが入居していました。録音スタジオをつくる関係で、この高さが必要だったようです」(山口取締役)

▲設立当初、1階はグループ企業の太洋自動車が扱っていたシボレーのショールームとして使われていた
そうしてビル運営も、グループ各社も順調な経営だったが、丸石ビルディングの歴史で最も大きな出来事が起きた。戦争だ。
戦争の末期には神田エリアは空襲の被害にも遭うようになり、周辺の建物は次々と燃えていってしまった。丸石ビルディングは幸いにも爆撃を受けることはなかったが、焼夷(しょうい)弾の火は飛んできたという。しかし、耐火性と耐震性を意識して造られた建物は、多少の焦げ跡は残りつつも基本構造に問題は起きずに立ち続けた。
「戦争は太洋商会やグループにとって大変な出来事でした。自動車の輸出入事業は大きな事業でしたが、扱っていた車がアメリカ車だったため、必然的に事業も縮小せざるを得ませんでした」(髙木社長)
「戦時中の供出制度というもので、金属製品を国のために供出する必要がありました。そのときに、丸石ビルディングのフェンスや手すりなど、多くのものを供出したといいます。階段の手すりはその後に木製のものに替えたので、今もそのままその手すりが付いています」(山口取締役)
- ▲まだ高層の建物が少ない時代に作られたことが分かる丸石ビルディングと現在の神田駅周辺の遠景写真。設立当時はまだ住居が多かったようだ 「外側は古いが、 中身は古くない」
- ▲1931年の竣工時点で、今とほぼ変わらない姿で完成している丸石ビルディング
「外側は古いが、中身は古くない」
時代のニーズに応える
戦前は多くのグループ会社を抱えていた太洋商会だったが、それらを売却した後の戦後は賃貸経営を主業としてきた。丸石ビルディングにおいてはエリアも良かったことで、これまで入居付けに困った記憶はないという。堅牢な建物の安定感もあり、戦後においては大きな問題は特になかったというから驚きだ。しかし、何も変えてこなかったわけではない。
建物全体について、山口取締役は「時代とともに変化するニーズに応えていくことが重要です」と話す。「外観・意匠は建築当初からのものを残しつつ、内部設備は最新のものを入れる。そういった方針をこのビルに取り入れていきたいと思います」(山口取締役)
その言葉どおり、耐震改修などを施しつつも外観や意匠は建築当初のものをほぼ承継している。そのうえで、中身の設備は更新してきた。例えば、建築時の暖房はボイラーで暖めた蒸気を配管を通して館内に送る方式だったが、その後は冷房用に窓用エアコンも設置し、蒸気との併用で冷暖房の利用を可能にした。94年には冷暖房運転が可能なエアコン設備を館内に導入している。またオフィスでのパソコン作業やインターネット利用が当たり前になることを受け、オフィスフロアの底上げを施し各社のオフィスオートメーション(OA)化に対応した。もちろん、新たな設備導入以外にも水道管など既存設備の必要部分の更新は実施している。また時代のニーズに合わせて、設立当初は6階にしかなかった女性用トイレを各フロアに増設した。「外側は古いが、中身は古くない」という思想が詰まっている建物がこの丸石ビルディングだ。
丸石ビルディングには現在35のテナントが入居しているが、その中には世代が変わっても入居を続けてくれるテナントが複数あるという。一番長いテナントだと建築当初から数年前まで入居していたとのことで、約85年以上と超長期入居だった。ここまでこのビルが愛される理由は、賃料や管理体制にあるといえる。

▲大事にされてきた建物には、こういった資料が残されていることも多い
新規の入居付けの際の悩みについて髙木社長は話す。「オフィスを借りる担当者が見に来ると反応はいいのですが、検討するために一度会社に情報を持ち帰るのです。そうすると、1931年築という古い建物なのに、現在の賃料はエリアの相場ということで高く思われてしまい決まらないことが多いです。それに対して、社長や決裁権を持った人が内見に来ると即決してくれることが多いのです」(髙木社長)

(左)山口英治取締役(右)髙木康夫社長
築100年に向けて
2031年に丸石ビルディングは築100年を迎える。今後このビルはどこに向かって進むのだろうか。
「100年の節目にはいくつか記念になることをできればと思っています。記念誌を制作することや、白く塗ったエレベーターホールの天井の彩色復元についても考えています。最新のAI技術によって当時の色合いがわかるようになったとのことで期待しています。また、あくまで100年は通過点として、例えば150年先といった先の先まで考えていく必要があると思います。これまでのようにオフィスビルとしていくのか、あるいはイベントや文化的な施設に用途を変えていくのか。いろいろな選択肢があると思いますので、それらを踏まえてよく検討しながら今後について考えていきたいと思っています」(山口取締役)

(2026年3月号掲載)






