女性が安心できる雰囲気づくり
築61年のビルに付加価値を与えていく
井田智博取締役は、再開発の進む新宿駅付近で井田ビル(東京都新宿区)を経営する。曽祖父の残した愛着ある建物にコンセプトを与えることで新たな命を吹き込んだ。
井田ビル(東京都新宿区)
井田智博取締役(41)
都営地下鉄大江戸線の新宿西口駅から徒歩1分、旧青梅街道沿いにある井田ビルは地上9階、地下2階からなる商業ビルだ。現在、飲食店やネイルサロンなどが入居している。
「ビルの経営に関わり始めて10年がたったところです。愛着のあるこのビルの価値を上げていくために、女性向けのテナントを呼びこめるリノベーションを行いました」と話すのは井田ビルの井田智博取締役だ。
新型コロナウイルス下では、テナントの飲食店が次々と退去していった。賃貸経営上は大きなダメージとなる退去だったが、井田取締役はこれを「好機」だと捉えることにした。
曽祖父が建てたビルも築60年近くになっていた。マージャン店やスナックが複数入る、いわゆる「雑居ビル」然とした井田ビルのイメージを一新するチャンスだと考えたのだ。
共用部を洗練させたアイコン
▲(左:After)洗練されたエントランスで女性客の入りやすい雰囲気づくり
▲(右:Before)「ザ・雑居ビルだった」と井田取締役が言うリノベ前の井田ビル
そこで、まずコンセプトを「女性が入りやすいビル」に決めた。昭和の雑居ビルといった風情だったエントランスを、ダークグレーとライトグレーを使った洗練された色使いにした。
以前は共用部の廊下に紙で掲示していた「ポイ捨て禁止」「禁煙」といった注意書きもアイコンのシールにすることで雑多な印象を排除した。そして、女性客が安心して使えるように階段踊り場にあった共用トイレを、階ごとに女性専用と男性専用に分けた。
これが功を奏して、コンセプトどおりの女性向けバーやネイルサロン・美容室などがテナントとして入居した。「ビルの雰囲気が変わったという声を聞いてうれしく思います」(井田取締役)
差別化で賃料アップ
▲都営地下鉄大江戸線新宿西口駅の出口を上がってすぐという好立地にある
井田家はもともと東京都青梅市にルーツを持つ。江戸時代から続く豪農として、青梅市に土地を持ちながら、曽祖父は戦後、現在井田ビルが立つ新宿の土地を購入した。曽祖父は、あまたの事業を行っては失敗を繰り返すというチャレンジ精神旺盛な人物だったという。「新宿はもともと宿場町だった名残で、戦後に旅館を経営したのが始まりでした」と井田取締役は話す。
旅館の老朽化をきっかけに「これからは旅館事業ではなくビル経営だ」と考えた曽祖父によって、1963年に井田ビルが建てられた。当初は、今でいうスタートアップ向けの小規模なオフィスが入るテナントビルだったという。時代の流れとともに、周囲に飲食ビルが増えていく中、角地で駅からの視認性の高さもあったことから井田ビルも店舗貸しに移行していった。
2019年には、築年数の経過を鑑み、建て替えも視野に入れ始めていた。だが、曽祖父が付き合いのあった大手建設会社に依頼した井田ビルは旧耐震基準とはいえ、SRC造で頑丈な造りだった。それであれば、解体して建て替えるよりは、耐震補強を施していくほうがいいだろうと考えた。
しかし、今の井田ビルのままでは、築年数に応じて賃料が下がることはあっても上げることは不可能だろうと考えた井田取締役。そこで「コンセプト」を明確にしたリノベを行い、新たな店舗の層・客層を取り込むことで、ビルのイメージの一新を図ったのだ。
「ビルも賃貸住宅も考え方のベースは同じですね。どちらもターゲット層を設定して、コンセプトを決める必要があります。それが決まれば、あとはテナントや入居者が求めるものに仕上げていけばいいのです」と語るように、井田取締役は井田家の母屋があった場所でも、4棟14戸の賃貸住宅を管理運営している。
築25~30年でJR青梅線二俣尾駅から徒歩8分という立地だが、テレワーク需要による郊外への住み替えを念頭に、高速インターネットを導入。また、近所にスーパーがないデメリットも、オンラインショッピングを多用することを想定して、全戸に宅配ボックスを設置した。それらを価値の一つにしたことで、最大1万5000円の賃料アップを実現しながらの満室経営ができているという。
「ビル経営も、賃貸住宅と同じように価値を上げることで、築年数にかかわらず賃料を上げていくことができます。再開発の続く新宿駅西口ではこうした差別化をすることが生き残りにつながっていくでしょう」と井田取締役は話す。
▲男女共用にしていた各階踊り場のトイレを階ごとに専用にした
▲張り紙をやめ、アイコンのシールを貼ることで共用部のイメージアップ
井田ビルの歴史
戦後:井田代助氏が現在の東京都新宿駅西口に土地を購入。旅館経営を開始する
1963年:井田ビル竣工。当時トップクラスの技術を生かしたSRC造での建設だった
2020年:コロナの流行によりテナントが続々と退去。コンセプトのあるリノベを断行
2021年:女性が入りやすいビルにするためのリノベによりイメージ刷新
(2024年7月号掲載)
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