<<地主の土地承継奮闘記>>
父子で連携し底地返還に奔走
タイミングと交渉力が肝
千葉県市川市で少なくとも江戸時代から続く内田家。内田健オーナーは同家の当主だ。金融系の会社に勤める傍ら、不動産経営を行っている。内田家では、戦後の生活のためにやむなく底地を増やしてきたが、父とリレーの形でこれを所有権に戻すべくコツコツ取り組んできたという。
内田健オーナー (千葉県市川市)

▲四国八十八か所霊場(お遍路)巡拝で足摺岬に立ち寄った内田オーナー
【内田オーナープロフィール】千葉県市川市のJR総武線市川駅を中心としたエリアに賃貸住宅52戸と貸地1カ所を所有。年間家賃収入は3800万円ほど。ほぼ常に満室状態で、満室経営を続けるためのコツは客付けを強みとする不動産会社と付き合うことと、最新設備の導入、定期的な大規模修繕だという。
事業承継
所有権を取り戻す
内田家はかつて最大で2万4000㎡ほどの土地を所有していたこともあったという。しかし、戦中戦後の混乱や代々の相続を経て大きく減ってしまった現在は、親族を含め内田家として7800㎡ほど所有している。
現在の所有物件のほとんどは、父の代に不動産の有効活用で建てたものだという。内田オーナー自身は、父の存命中である25年前から家の不動産経営を行っていた。それというのも、父が多くの底地を引き継いで所有しており、その返還交渉を父から途中で引き継いだからだ。父が1970年ごろから2000年ごろに整理した底地は4件で、小作人から取り戻した農地が10件。内田オーナー自身が2000年ごろから今までに整理した底地は4件だという。
父が底地の整理を始めた55年ほど前、当時内田家の不動産は約1万600㎡で、そのうち所有地は約半分の5400㎡ほどしかなかった。約1400㎡が底地で、3800㎡は貸し農地だった。しかも、そのほとんどがJR総武線市川駅の周辺であったため、父の相続が発生する前に整理する必要があった。特に底地は評価額が高いうえに地代が安く、相続税の支払いに困窮する可能性がある。ましてJRの主要駅のすぐ近くという立地は、地価が高くそのリスクはとても高いものだったからだ。
「父は借地人からの話があれば借地権を買い戻していました。25年ほど前、父が年を重ねてきたこともあり、私も交渉の窓口に立つことにしたのです。その時私は35歳で、銀行員として債権関係の経験も積んでいました。まして長男ですから、当たり前の流れで引き継ぎました」(内田オーナー)
父子が底地の整理に取り組んだ頃は、戦後に建てた建物が朽ちてきている頃合いだった。借地人としては修理をするにもお金がかかるため、中には引っ越してお金が欲しいという人が出てきていた。そうなると内田家にとって借地返還の交渉のチャンスだ。交渉のタイミングが訪れれば、内田オーナーは土曜・日曜日を返上して借地人との交渉に臨んだ。
借地人の返事を「待つ」
底地整理の最大のコツは、借地人側から買い取りを言い出してもらうことだ。内田家の場合、地代の支払い・受け取りは昔ながらの手渡しで行っている。年2回の受取時が借地人と話す機会となり、生活の様子を聞くことができる。
「借地権を買い取りたいと地主側から言い出してしまうと交渉を有利に進められないため『うちはお貸ししたままで問題ありませんが、もし困っていたらご相談ください』と話していました。『借地権を買い取ってほしい、借地を返したい』などと先方から言い出すのを待つのが基本です」と話す内田オーナー。
金額交渉は借地権割合の3分の1程度を目安に行った。借地権割合とは、その土地の権利のうちどれくらいが借地人側にあるかを示したもので、国税庁が30~90%の間で定めており、場所によって割合は異なる。内田家の土地の借地権割合は60%に設定されていることが多かった。
一般的に地主側から買い取りを打診すると、買い取り価格の交渉が借地権割合に応じた金額から始まることが多いため、いかに「待つ」ことが大切であるかがわかる。
「具体的な話を始めると『お金がもらえるんだったら返還します』とスムーズに進んだところもあれば、そうでないところもありました。買い取り交渉がうまくいかなくても焦りは禁物です。将来的に借地人が建て替えの承諾を求めてきても、地主側として承諾しませんから、住まいはどんどん古くなります。そうするとまたチャンスは訪れるでしょう。買い取り交渉がうまくいった場合は、手元の現金や、それが足りない場合は借り入れを活用して買い戻していきました」(内田オーナー)
「借地権を買い取ってほしい」と
先方から言い出すのを待つのが基本
買い戻し8割を達成
16年に父が亡くなり相続が発生。だが相続までの間に、全体の8割くらいの1150㎡ほどの借地権を買い戻すことができた。父から息子へ引き継がれた底地の買い戻しは、おおむね達成することができた。残りはあと1カ所だという。「相続では、私の母と、私の兄弟の合計5人で遺産を分割しました。現金は等分に、不動産は長男ということもあり、私が多く相続しています。残りの底地は約250㎡ほどですが、私の代で所有地に戻せればと考えています」(内田オーナー)
また貸し農地についても父が存命中にすべて返還を実現した。「もともと農業をすることを前提に貸している土地です。小作人の高齢化や農地としては小規模の土地だったので、近い将来、農業が継続できなくなる状況は明らかでした。そこで父は『農業ができないなら返還してほしい』と10年かけて返却交渉を行いすべて取り戻したのです。底地同様、地主側が焦らないことが交渉のポイントです。交渉時はいつも私も立ち会っていました」と振り返る。
父が存命中に所有権に戻せた土地には、相続対策も兼ねた賃貸物件を建てた。もともと貸し農地だった土地のうち2800㎡は売却し、相続税の支払いに充てることができたのだ。「数億円に上る相続税は、とても現金で支払うことはできません。不動産を建てることも一部の土地を売却するのも、家の将来のために必要不可欠なことでした」(内田オーナー)

▲所有する賃貸住宅
- ▲エントランス部分
- ▲駐輪場も管理の手が行き届いている
歴史
農業や小売業を軸に成長
江戸時代、過去帳が菩提(ぼだい)寺の火事で紛失したため、内田家の歴史は途中までしかさかのぼることができない。だが、代々の墓には江戸幕府3代将軍徳川家光の時代である「寛永」の文字が刻まれていることから、家の歴史は相当古いと考えられる。
「聞いた話によると、江戸時代の内田家は大きな農家だったようです。古い地主はだいたい親戚同士で今でも付き合いがあります。東京の小岩や千葉の柏のあたりに親戚がいますね。昔は、何かがあったときに互いに食べさせ合うことができるように、同格の家に嫁がせ合ったのだそうです」(内田オーナー)
- ▲内田家の歴史を記す資料の一つ、貸し家台帳
- ▲関東大震災の後の調査にあたり、和助氏は表彰を受けた
- ▲江戸時代の「寛永」の文字も刻まれている古い歴史を持つ代々の墓
江戸の終わりから明治にかけては、高祖父にあたる吉兵衛氏が内田家の当主だった。庄屋の家系だが当時の所有地は5000㎡前後と比較的小規模だったと伝えられている。この頃、金属加工の工場と副業として酒やたばこの小売事業が家業の軸となったという。
この家業を伸ばしたのが曽祖父の和助氏である。大正時代を中心に家業に専念し、所有地を2町4反、今でいう2万4000㎡にまで大きくしたという。「今の価値に換算すると、30億円程度の不動産資産だったと思います」(内田オーナー)
- ▲受け継がれた昔の資料
- ▲小作台帳
戦後やむなく増える底地
祖父の源一郎氏は昭和初期の当主だ。祖父の時代は波瀾(はらん)万丈だった。1935年に所有地に貸家を2戸建てて賃貸事業を始めたものの、材木の購入により貯金がないタイミングで家族が腸チフスに倒れてしまう。小売事業はやむなく廃業し、たばこの在庫の買い戻し金や、和助氏の形見である金時計を売却して治療費・生活費に充てた。
さらに39年には第2次世界大戦が開戦。終戦までの間に所有地の多くが軍事向けに収用されてしまったという。だが、工場で軍事向けの部品を生産することで、一族は生活に困ることはなかった。内田家には、この時の源一郎氏の「自分の生業(なりわい)を大切にしたもの一人として困らず。勿論(もちろん)、不動産、動産は大なる杖(つえ)となるものであるが杖に過ぎず、立つには自分の足(生業)であらう」という記載が残っている。

▲帳面の中に記された家業の記録
終戦直前に源一郎氏は病気で亡くなり、その子どもたちも幼かったため、戦後は女性陣が中心になって家を守った。生活のために源一郎氏が建てた2戸貸家も手放さざるを得なかった。さらに相続税の支払いもあり、貸家以外の不動産も売り払ったり物納したりしたため、この時も土地を減らしている。そのうえ「農地解放」では多くの農地を手放すことになってしまった。
こうして、最盛期から見れば所有地を大きく減らした内田家。所在地も飛び地になってしまった。残された土地はこれ以上減らしてはいけない。だが、かつて営んでいた事業はすでに廃業しており、これといって収入を得る手だてはなかった。女性と子どもだけでは農地解放で取られずに済んだ畑を耕すのもままならず、人に貸し、わずかながらの小作料を得たり、作物を現物で受け取ったりして暮らしをつないでいたという。
それに加えて、どうにか家の土地だけは売却せずに、父や父の兄弟5人分の学費を捻出するために取った手段が、土地に建物を建てて、建物だけを売却することだった。
「兄弟が進学するたびに1戸、また1戸と建物を売却した結果、底地が増えていったのです」(内田オーナー)。これが、のちに内田オーナーと父が所有権を取り戻すため奮闘した底地が生まれた理由である。
自分の生業を大切にしたもの
一人として困らず
地主としてのこれから
所有物件の管理も徹底
父子が連携して長い期間をかけて所有地を取り戻していった内田家。それだけに、内田オーナーは受け継いだ土地を大切に守っていく考えだ。父の代で建てた物件も徐々に建て替えていく必要がある。差し当たって2年後には、築40年の木造アパート2棟を建て替える算段だ。そのためには入居者に更新せずに退去してもらう必要があるが、そこは持ち前の交渉力を生かしてすでに策を練っている。
- ▲木造アパートのシロアリが巣くった床を補強
- ▲ひょうの被害を受けた外廊下の屋根
- ▲鉄骨階段も腐食が進んでいるため建て替えて、受け継いだ物件を大切に守っていく
築古であるため、空室の床下にはシロアリが巣くっている。管理会社に依頼し「管理レポート」という形で、いかに建物が老朽化し危険があるのかをまとめて入居者に配布してもらったという。建物の老朽化や建て替えそのものは、退去の正当事由にならないが、安全面を考えれば退去してもらうほかないため、入居者自身に転居を決意してもらおうという作戦だ。
「こちらも底地問題と同じく、焦りは禁物です。賃料未払いの人に対しての退去要請とも重なる部分ですが、あくまでこちらは『家主側から退去してとは言わないけれど、あなたが困るよね』という姿勢で向き合います。そうは言いつつも、先に引っ越し先を手配したり、困り事を聞いたりすることで互いに歩み寄ることができて、交渉がうまく運ぶのです」(内田オーナー)
入居者全員の契約が満了する2年後に建て替えることが目標だ。還暦を迎え、会社員人生はゴール間近だが、地主としての仕事は、一人息子へのバトンタッチも見据えつつまだまだ続いていく。
不動産の得意分野は戸建て、マンション、別荘、工場、山林、崖地のデューデリジェンス。金融の得意分野は財務や債権のデューデリジェンスのほかM&A(合併・買収)や事業再生、企業価値算定などだ。
不動産の価値算出や、底地の返還・立ち退きの際の交渉力は会社勤め時代に培った。地主としての不動産経営に役立つ部分も大きいという。
(2026年3月号掲載)

先祖への感謝と思い 後継ぎとしての役割を果たす
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