逆境をバネに家賃収入1.2億円を実現

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<<投資家オーナーの奮闘記>>

投資塾で4億円分の物件を購入し窮地に
逆境をバネに年間家賃収入1.2億円を実現

山田京太郎オーナー(京都市)は、会社員として働きながら個人で不動産投資を始めた。現在の年間家賃収入は1億円を超えるが、投資初期に大ピンチに見舞われたことがある。悪徳投資塾で4億円分もの物件を購入してしまったのだ。

山田京太郎 オーナー(京都市)

この記事の目次

不動産経営歴15年余で所有170戸
悪徳投資塾で雰囲気に飲まれ購入
借り換え・売却で乗り越える
大金を借り入れた経験を糧に事業を成長
母のビルのガラス窓磨きが原点

 

不動産経営歴15年余で所有170戸

 京都市を中心に不動産経営を行う山田京太郎オーナー。所有するのはアパート、マンションを中心に約170戸。年間家賃収入は実に1・2億円にもなる。年間家賃収入が大台ともいえる1億円を超え、25年には念願叶って会社を辞めることができた。この夏のフランスへの家族旅行では、エコノミークラスではなくプレミアムエコノミーを利用する贅沢ができるようにもなった。

 かつて会社員だった頃とは比較にならないほど高収入を得られるように変化していった。

 「物件購入を続けているので手元のお金が潤沢というわけではありません。ですが、会社員時代の責任感や、したくない仕事でもせざるを得なかったことからの解放が嬉しいのです。自分のしたい不動産のことだけに時間を使えて、とても幸せです」と山田オーナーは話す。

 最近は、購入のほか新築木造や鉄骨物件にシフトし、所有物件のエリアを中京区・下京区・南区・伏見区の4区に集中させている。車で30分以内で移動できるので、自ら掃除を行い、管理の効率化と物件の状態把握にも取り組む毎日だ。

 物件の購入は25回、売却は10回に及ぶ。現在までの投資総額は25億円だ。不動産投資を始めて約15年。その道は常に順調というわけではなかった。投資初期であるわずか10年前には、相次いで収益性の低い条件で物件を購入してしまったのだ。その額、実に4億円で返済額と家賃収入はほぼ同じだった。さらに同時期、株式やFX投資で大きな損も出していた。会社員だった山田オーナーにとっては絶望的な状況といえる。だが、このピンチが山田オーナーの意識を変えた。

 「副業として、不動産のほかにも株式投資やFX投資をしていました。これらはゼロになってしまいましたが、不動産は、物件を高値掴みした中でも自己破産せずに、まだビジネスや生活ができています。急な暴落が起きにくいという点で好ましく、何とかこのピンチを切り抜けて不動産で生き抜きたいと思うようになりました」と山田オーナーは話す。

悪徳投資塾で雰囲気に飲まれ購入

 山田オーナーは新卒で国内大手企業の研究職に就いていた。不動産投資に興味があったため、2009年には2700万円で全4戸の一棟マンションを購入。しかし、これはあくまでちょっとした副業に過ぎなかった。

 転機は13年、不動産投資家の「ユーチューブ」に出合う。「不動産投資の成功は銀行融資が鍵。貸してくれる金額は年収の10倍、まずは年収を上げよう」という内容が心に大きく響いた。「自分こそはやってやる、と思って外資系企業に転職しました。それまで年収は500万~600万円だったのが1100万円に大幅アップ。当時、妻には“転職できるものならしてみなさい”とハッパをかけられていたこともあり、本当に転職がかなって有頂天でしたね」と山田オーナーは振り返る。

 年収が上がったことで、いよいよ「不動産を買いたい」気持ちが高まっていった。とにかく買うことが目的となり、その後の経営については深く考えていなかった。俗にいう「買いたい病」の発症である。そんな気持ちのまま、たまたま目について参加した不動産塾で割高物件を3棟、約4億円分も購入してしまう。

 「今から考えればおかしいとわかります。完全に雰囲気にのまれて勢いで購入するのですから」(山田オーナー)

 その塾のやり方はこうだ。会場に集められた数十人のメンバー。彼らに対してまるで競りのように「▼▼市、マンション、1億円!」「△△市、マンション、8500万円!」と外観写真を見せるスタッフ。それに対して、「はい!」と手を挙げたら即購入となる。あるいは、スタッフが「この物件はあなたにおすすめ」と声をかけてくることもあるそうだ。こちらもうなずけば購入となる。いずれにしても、すでに物件に対して融資も決まっており、購入者は物件取得と返済についての手続きをするだけだ。

 投資塾で物件を売るのは、塾に出入りしている不動産事業者。あらかじめ市場の物件を購入しており、それを塾生に売却する、いわゆる三為物件である。不動産事業者の儲け分のほか、主催者へのキックバックも大きく乗ってくるうえ、すでに決められている借入の返済利率も高い。

 どうしてそんな怪しげな買い物をしてしまったのか。「みんなが手を挙げているから何となく大丈夫だろうという気持ちになったのです」と山田オーナーは苦笑いする。

借り換え・売却で乗り越える

 転職からわずか1年足らずの14年から15年にかけて購入してしまったのは次の3棟だ。滋賀県草津市の軽量鉄骨造・10戸が1億2000万円、福井市のRC造・24戸が1億円、愛知県清須市のRC造・16戸が1億7000万円。フルローンで手数料などを含めて4億円の借り入れとなった。金利はなんと4・5%という高さだった。

 そしてすぐに異変に気付く。不動産を購入したら手元のお金が増えるはずなのに、一向に増えない。生活には困らないが、これで経営といえるのか――。山田オーナーは疑念を抱いた。

 3物件分で月々200万円を返済していたが、金利が4・5%もあるので残債は減らない。またRC造物件は固定資産税が高く、毎年100万円の出費がある。さらに、購入したうち半分強がファミリー向けの部屋だったが、広い部屋は原状回復費用が数十万円単位となり、退去のたびにかなり痛い出費となった。

 山田オーナーは、お金が増えないことで「もしかしてあれは悪徳投資塾では」と気付いた。投資塾に顔を出すことはやめ、何とか状況を立て直そうと奮闘した。
ピンチには違いないが、家賃収入が急激に下がることはない。最悪のシナリオである自己破産について、セミナーに出向いて内容を知り、心を落ち着かせたうえで対策を考えた。

 やはり問題は高すぎる金利。購入当初からの銀行との交渉により3・5%までは金利を下げてもらえたが、それでも焼け石に水だった。そこで借り換えによって金利を下げる作戦を考えた。しかし、なかなかうまくいかない。

 「物件のある愛知県や福井県の信用金庫や地方銀行に出向きました。しかし、オーナーがそこに住んでいないことを理由に借り換えに応じてもらえない。何行回っても状況は変わりませんでした」と山田オーナーは話す。

 仕事の合間を縫って事業計画の資料を作り、可能性のある銀行に通い続ける生活。あらゆる銀行に所在地を理由に断られた。だが、だからといって高収入を得られる職を辞してまで引っ越すことは不可能だった。しかし、行動し続けた結果、滋賀県の物件に救いの神が現れた。同物件は京都中央信用金庫の対象エリア内にあり、かつ、山田オーナーは東京で単身赴任していたが、家族が京都市に住んでいることで「地元の人」として扱ってもらうことができたのだ。

 「滋賀の物件は京都中央信用金庫に相談しました。ほかの2棟を売却できたら金利1・25%で借り換えに応じていいという返答が来たのです」(山田オーナー)

 山田オーナーは17年、自動販売機や太陽光発電設備を設置、利回りを上げることで物件価値を上げるなどし、福井県と愛知県の物件を売却。「それぞれ1億2000万円と2億1000万円で売却できました。購入金額と売却金額を比較すると少し利益が出たようにも見えますが、残債が減っていなかったこと、経費が多くかかっていたことを考えるとあまり利益はないか少しマイナスでした」と振り返る。

京都中央信用金庫が借り換えに応じてくれた滋賀県の物件

大金を借り入れた経験を糧に事業を成長

 高値掴みで2〜3年苦しんだものの、残った滋賀県の物件は無事に返済金利が下がり、毎月利益を生み出す物件になった。

 悪徳投資塾で購入した三為物件ではあったが、購入したのが良好な物件だったのが不幸中の幸いだった。山田オーナーは借り換えができたこの滋賀県の物件に、太陽光発電設備を設置してバリューアップ。5年後の22年に売却し、数千万円の売却益も得ることができたという。「あのままの借り入れ条件で持ち続けていたらと思うとぞっとします。途中で自分の頭で考えて策を講じてよかったです」と山田オーナーは話す。

 ただ、この経験を振り返ってみるとある種の学びもあったそうだ。

 悪徳投資塾にはめられたとはいえ、そもそも不動産経営において購入から売却までを経験できたこと、まだ良好な物件を購入したため、設備投資をして利回りを上げて高値にできたこと、億単位の借り入れでも生活はあまり変わらないことを体感できたことなどだ。「ストレスを感じずに大金を借りることができるのも、不動産経営を行ううえで必要なことだと思います。億単位の借金をすることへのマインドブロックを外してもらえたことについて『だけ』はこの投資塾に感謝している部分もあります(笑)」(山田オーナー)

 この後、手元資金や借入を活用して中古物件を買い進めた。家賃収入と売却を組み合わせて利益を上げるスタイルだ。何人かの不動産事業者と付き合った中で気が合った事業者の勧めもあり、生活保護受給者を入居者ターゲットに定めて不動産投資を加速した。

 例えば、18年に3棟購入したうち1棟18戸は5000万円と格安だったが、その理由は家賃が安いことだった。生活保護水準のほうが家賃が高かったので、生活保護受給者を対象としたことで利回りが上がって資産価値も向上、20年に8200万円で売却した。高収入の会社員だったこともあり、事業は順調に成長していった。

 その後、新型コロナウイルス下の時期に山田オーナーは会社を辞めると決意した。同じタイミングで始めたのが新築だ。将来的に年収がなくなるので、会社員の属性が銀行から評価されるうちに融資を得られるだけ得たという。また、このコロナの時期は在宅ワークになったことで不動産会社・銀行への電話連絡が取りやすかったのも追い風だった。悪徳投資塾で頭のねじを外されたことで、ここでの大きな投資にためらいはなかった。

 「当たり前のことですが、物件や融資条件、入居付けなどをきちんとシミュレーションしてから購入するようになりました。この出来事の後は法人化も行い、『事業』として不動産経営に向き合っています。本当に危ない経験をしたことが今に生きている。熱に浮かされている状態では経営はできないと学びました」(山田オーナー)

母のビルのガラス窓磨きが原点

 山田オーナーが不動産経営に引かれる理由の一つは、幼少期の経験にある。

 富山県高岡市で生まれた山田オーナー。母は祖父から受け継いだビルを経営していた。女社長として自らブティックを経営し、ブティック以外のスペースを喫茶店や美容院、ダンスホールなどにテナント貸しをしていた。山田オーナーは母の不動産経営の収入により育ったのだという。

 小柄な母に代わって、排気ガスで曇ったビルの窓を磨くのが幼少期の山田オーナーの役目だった。陸屋根でも泥がたまるので、その掃除もしていたという。ちりとり・箒・ごみ袋を背負って1階の外階段から屋根まで登り、カラスと遊びながら掃除をする日々だった。

 「こうした経験から、不動産は何となく好きだったのです。生まれが経営者の息子で、会社員家庭ではなかった。一般企業に就職したときも、いつかは経営者になるのだと漠然と感じていました」(山田オーナー)

 30代の頃に外資系企業に転職したのは、ただただ不動産投資のためだった。そのもくろみどおり「高収入の会社員」の評価を得られたため、融資が下りずに困ったことはない。だが、転職をした結果、妻子を京都に残して長年東京に単身赴任をすることになってしまった。また外資系企業は賃金が高い分苦労も多く、プレッシャーも重かった。専業家主として京都で暮らせるようになった最近は、家族と過ごす時間も増えて幸せを感じるという。

 「会社員時代は管理会社に委託していましたが、専業家主になってからは清掃を自分でやるのがこだわりであり楽しみです。現場に行くと物件の何が至らないのか自分で感じることができます」と穏やかに話す。

 「まだ年齢的には若いですが、次世代への引き継ぎも考え、今のうちに計画的に承継対策をしていきたいと思います。とはいえ、まだまだ事業は拡大させたい。短期的には宅地建物取引業の免許を取得して売買も加速させたいです」と山田オーナーは今後の展望を話した。

※プライバシー保護のため、オーナー名は匿名です。
(2025年11月号掲載)

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