<<ポートフォリオ経営>>
【<リファレンス>看板業から「貸す」を軸に展開】に続き、リファレンス(福岡市)の相部光伸社長に、これまでどのように事業を拡大してきたのかについて聞いた。
本社ビル建設直後に経営危機 貸し会議室事業で起死回生
同社は、2009年に九州の玄関であるJR博多駅近くに本社ビルを建てた。土地は360坪、7階建てのSRC造のビルで延べ床面積は1760坪、投資額はおよそ15億円。本社として利用するワンフロア以外はすべて貸して、高い賃料収入を得ようと考えていた。
ところが、竣工を目前とした08年に衝撃的なニュースが入る。アメリカの投資銀行リーマン・ブラザーズの経営破綻だ。いわゆるリーマン・ショックが起き、日本経済も大きなダメージを受けた。そんな中、09年1月に本社ビルは竣工したのだ。当然テナントはほとんど決まらなかった。
「当時銀行への返済も始まる中で、家賃を当初の7割にして募集してもテナントが決まらず眠れない日が続きました。不動産会社からは半年から1年のフリーレントをして埋めることを提案されましたが、家賃が入らないことに変わりはない。そんな時にふと思い付いたのが、自社で使うことだったのです」
相部社長が目をつけたのが、その頃、大都市でも増え始めていた貸し会議室ビジネスだった。貸し会議室大手の経営者の講演会を聴き、注目していたのだ。本社ビルの近くにあった貸し会議室に見学に行くと、予約で埋まっていた。これなら自社で運営することができると考え、すぐに不動産会社へテナント募集の中止を伝えた。「この時、社員には満室宣言をしました。しかし、社員たちからは『テナントが決まっていないのに、社長は何を言い出すのか』とあきれられましたけどね(笑)」。
- 名古屋のオフィス街の栄にある貸し会議室
- ゆとりある待合室が特長
相部社長はその後も貸し会議室ビジネスを徹底的に研究。他社にはないサービスを提供することで、差別化を図った。
まずは近隣よりも価格を少し安く設定。コーヒーの20杯までの無料提供、資料の保管サービス、ゆとりのある待合室などを用意したところ、たちまち利用者が増えた。
貸し会議室のニーズが拡大していたことも追い風になった。というのもリーマン・ショックにより企業がオフィスを縮小したことで、会議スペースが減少していたのだ。また多くの同業者は空きオフィスを借り上げて貸し会議室の運営を行っていた。同社は所有物件で貸し会議室を運営しているため収益率が高くなり、これも大きなアドバンテージとなった。
認知度も上がり貸し会議室事業は尻上がりに伸びていった。実にテナントに貸すよりも多くの家賃収入を得ることができたのだ。その後、中古ビルを購入して貸し会議室の拠点を増やそうとしたが、自社で所有せず借り上げて運営しても収益が出ることから、今度は逆に所有にこだわらず借り上げによって拠点を増やした。貸し会議室事業をきっかけに福岡から飛び出し、愛知、東京、広島、大阪へと拠点を広げた。まさにピンチをチャンスに変えることに成功したのだ。
ホテル開業直前にコロナ下に 賃貸住宅事業でカバー
相部社長は貸し会議室を運営する中で、出張者の利用が多いことに気付いた。会議室利用と宿泊のセットで提案することで収益を上げることを考えた。また国は観光立国を掲げ、16年には年間訪日外国人旅行者数が2000万人を初めて突破。ホテル業界も活況だった。そこで次なる一手としてホテル事業を展開することにした。
福岡市博多区に「ホテルリファレンス冷泉」を、福岡市中央区に「ホテルリファレンス天神Ⅲ」を建設。開業は、それぞれ20年4月と11月の予定で進めていた。1階には貸し会議室も設けて、会議室の利用者の利便性も高めた。
その建築中に起きたのが、新型コロナウイルスの感染拡大だった。「またか」。再び想定外の出来事で新規事業を阻まれることになった相部社長。だが、低価格設定をはじめ、テレワークなどで利用できるデイユースや長期滞在者の利用を集めることで、なんとかしのいだ。何よりも4000戸を超す自社所有の賃貸住宅事業の安定により、ホテル事業の不採算部分を補うことができたことは大きかった。
コロナ禍が落ち着き始めた22年ごろからホテル事業の売り上げが増えた。インバウンド(訪日外国人)の利用者も増加し始めたことから、25年4月に満を持して北九州市のJR小倉駅前に3棟目となるホテルを開業。カラオケ店が1棟借り上げていたビルを買い取り、ホテルとしてリニューアルしオープンした。

25年にオープンした小倉駅前のホテル
同社は今後、レジデンス型ホテルの運営に注力していく。1室24㎡ほどの広さで、各部屋にキッチンや調理器具、食器、洗濯機などを備える。賃貸マンションの退去があればホテルの部屋数を増やす予定。「これから人口は減っていきますが、旅行客は増えます。それであれば賃貸住宅をホテルにするほうがいいと思っているのです」(相部社長)。
今後、東京の自社物件44棟の賃貸マンションなどを活用しホテルを開業していく考えだ。
「当社は五つの柱、看板広告、通信、ホテル、貸し会議室、不動産があります。複数の業種・業態にまたがる事業ポートフォリオを構築し、リスク分散を図ってきたことで成長してきました。打つ手は無限にあります。これからも時代の変化に対応しながら事業を展開していきたいと思っています」
こう話す相部社長は時代の変化を恐れず、これからも事業拡大を図っていく。
(2025年10月号掲載)
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