<<がんばる地主>>
杉本美紀オーナー(愛知県刈谷市)は、江戸時代から続く地主・杉本家で三人きょうだいの末娘として育った。20年程前から母を手伝う形で賃貸経営の世界に足を踏み入れ、「名古屋大家塾」で資産活用について学んだ。いまでは積極的な資産活用のために行動している。
杉本美紀オーナー(愛知県刈谷市)

保守的な土地活用を変える 4代目女系家主の事業承継
杉本家は、RC造1棟、木造2棟、鉄骨造1棟の集合住宅と、平屋の戸建て1戸の計5棟36戸の賃貸住宅、工場1カ所を所有する地主だ。現在杉本家の賃貸経営を任う杉本美紀オーナーは、代々の資産を生かすため土地の活用に取り組んでいる。
夫から土地を継いだ祖母と母 女系家主が守ってきた土地
20年ほど前、父が亡くなるのと前後して杉本オーナーは離婚し、実家に戻った。フリーのインテリアデザイナーとして働いていたことと、兄と姉はすでに独立し不動産には興味を示さなかったことから、自然と母の賃貸経営を手伝うようになった。この時点での母の経営は「超保守的」だったという。杉本オーナーが実家に帰ってから 年あまりの間、広い土地には古い戸建ての借家と父の時代に建てたアパートしかなく、母は広い土地を守るだけの地主になっていた。
「祖母がとても苦労して土地を守ってきましたし、母は嫁の立場でその苦労を聞かされてきました。そのため、資産を守る、減らさないという意識がかなり強かったのだと思います」(杉本オーナー)
杉本家は、元をたどると武士の家系だ。先祖が参勤交代を嫌って武士の身分を捨て、現在の土地に定住したといわれている。その後、地主として小作人に農地を貸すようになった。
明治以降、借家を建てて貸し出し始めたが、 2代目家主にあたる祖父は若くして戦死。残された土地の経営は杉本オーナーの祖母が引き継いだ。その後、祖母は戦後の農地改革で大部分の土地を接収されながらも、残った土地を守り、女手一つで子ども 人を育て上げた。
その後、杉本オーナーの父が財産を相続。父が亡くなり母に経営が移ると、今ある土地と建物を守り、運営方法もできるだけ変えない方針になっていった。

▲祖父・杉本正巳氏の写真
杉本家の転機となった 名古屋大家塾への参加
そんな中、杉本オーナーは友人の誘いで「名古屋大家塾」に参加する。これが杉本家の経営の転機となった。
「小さい頃から実家で不動産を経営しているのを見てきたわけですから、私にとってはまず『家主って勉強をする仕事なのか!』ということ自体が驚きでした」と杉本オーナーは当時を振り返る。
特に心に残ったのが、のちに「浜松大家塾」事務局長となる古川雅康オーナーの言葉だ。古川オーナーは、地主の家系でありながら土地を売り買いし、活用しながら資産を増やしていた。積極的な姿勢の理由を尋ねると「ご先祖様は子孫が豊かで幸せに暮らすために土地を残したのです。土地を守ることに固執して苦しむのではなく、活用して豊かに暮らすことを望んでいるはずです」という答えが返ってきたという。
古川オーナーの言葉を受け、杉本オーナーは「自分も先祖が残してくれた土地を活用して、幸せにならなければ」と考えるようになる。
決意を新たにした杉本オーナーは、母に名古屋大家塾での学びを積極的に話して説得を試みた。そして2008年に母の名義、19年に杉本オーナーの名義でそれぞれ木造アパートを新築。収益物件の新築による土地活用を実行していった。しかし、やはり母の中では大きな金額を動かすことへの抵抗があったという。

▲新築のRC造マンションは外観、内装共にこだわった
RC造マンションの新築 4代目家主の第一歩
そして2024年、杉本オーナーは法人を設立。建設費用を借り入れ、RC造のマンションを建てることを決意した。とうとう母の賛同も得ることができた。
「実は、私が『いいな』と思った案件を何度か母に却下されてきたのです。とは言え親子仲は良好なので、めげずに大家塾で学んだ投資事例を話していきました」(杉本オーナー)
新たな挑戦の第一歩となったマンションは、インテリアデザイナーとしての経験を生かして外観や内装にこだわった。
▲間接照明と寝室の小窓が杉本オーナーのお気に入りだ
デベロッパーと対話を重ね、斜めの天井に間接照明つける、寝室とリビングの間の飾り窓を設置するなど、1LDKの中にこだわりを詰め込んだ。建物だけで2億6000万円をかけたRC造20戸のマンションは、完成前に満室となった。刈谷市の1LDK相場が7万円強のところ、近隣より高めの賃料で貸し出すことができた。
「良いマンションを建てられたとは思いますが、私自身は母から新築を任せてもらえるようになったばかり。まだまだ家主としてのスタートラインに立ったところです。これからは法人も利用して、福祉施設など、ほかの土地活用方法も模索していきたいです」(杉本オーナー)
(2026年1月号掲載)






