<<不動産で社会貢献>>
地域を守るために山間部を購入
堅実に資金を積み上げ〝全力で〟地域貢献
都市部から離れた山間部、農村部は二つのリスクにさらされている。一つ目は外国資本が大規模に買った後、売却益を得て引き上げていくというように単に投資に利用されてしまうリスク、もう一つが人口減少でライフラインが維持できない「限界集落」になってしまうリスクだ。課題解決の手段として、山間部を取得するという大胆な行動を取った家主が岩手県にいる。
安孫子 学オーナー(岩手県盛岡市)

購入した山間部に人流を
岩手県内陸の盛岡市から車で約40分、三陸海岸の宮古市中心部から車で約1時間。内陸と海岸を結ぶ道の途中、北上高地の西縁に広がるのが区界高原だ。岩手県の自然環境保全地域にも指定される豊かな自然がその魅力。標高700メートルのなだらかな高原で、夏は緑、冬は雪を存分に感じることができる。2026年2月、ここで「区界高原雪のゆうえんち」が開催された。22年以降毎年行われており、今年で5回目だ。
当日は道の駅 区界高原にキッチンカーやバザーが集結、スタンプラリーなどのイベントも行った。またイベント前には地元ボランティアメンバーが雪山にコースをつくり、スノーモービルでそりを引っ張るアクティビティーも用意。当日は多くの家族連れでにぎわったという。

▲「区界高原雪のゆうえんち」で行われたダンスイベントの様子
このイベント会場となった、道の駅の周辺の山地・農地の5ヘクタールを所有するのが安孫子学オーナーだ。
「期間中は5000人規模の人出がありました。イベントを通じて区界高原の魅力を知ってもらい、普段から人の訪れる場所にしていきたいと改めて思いました」(安孫子オーナー)
安孫子オーナーは、21年に私財を投じて区界高原の山地や農地を購入した。盛岡市から車で40分ほどと県の中心部からは多少距離がある。そのため、当時このエリアの建物は道の駅と数軒の民家だけだった。
購入後の22年からは山小屋を建てたり道の駅に絡めたイベントを行ったりしている。購入だけにとどまらず、その後のエリアづくり、つまり場を生かす具体的な活動にも尽力してにぎわいをつくっている。
安孫子オーナーが、これまでこの地にかけた費用は5000万円から6000万円にのぼるという。土地の購入のほか、農耕機械や山小屋の費用なども負担した。「地域コミュニティーを守るには、自分が山間部を買うしかないと思った」と話す。
しかし、土地や建物などの設備投資だけでは地域のにぎわいを生み出すことはできない。大事なのはそこで活動に参加してくれる「人」だ。そこで安孫子オーナーがこの地に立ち上げたのが「local.art.farm(ローカルアートファーム)」、通称LAFというボランティア集団だ。地域活性の志を同じくするメンバーに活動に参画してもらっており、現在その数は300人。そのうち40人程度が主要メンバーだ。LAFには地元の人もそれ以外の人も所属しており、地域創生したいという思いでつながっている。メンバーがそれぞれ可能な範囲で活動。実際にファームにトラクターをかけて作物を育てることもあれば、農業を行いたい人、住みたい人、店を開きたい人を呼び込んだりとLAFの活動は多岐にわたる。安孫子オーナー自身も週に4回程度は区界高原を訪れ、地元の人と話したり畑を耕したりして過ごしている。

もともとこのエリアには地域の活性化のために公的組織である川井産業振興公社が置かれていた。LAFは公社や自治体と協力体制を築いているという。
安孫子オーナーがこの地を取得した理由は二つ。
一つは、エリアのことに関心のない人や法人による購入を防ぐことだ。この場所は元はスキー場もあり、登山もでき、畑にできる用地も豊富な魅力ある土地である。だが、特に東北地方の山間部・農村部は土地の価格が安く、海外資本に目を付けられるリスクが高いという。「都市部よりも価格が安いため、このエリアを大規模にリゾート開発して、転売して、もうける。投資家の私腹を肥やすためだけに使われるリスクがありました。転売される商品のように扱われてはエリアの将来はどうなるでしょうか。故郷の山間部を守るには自分が動くしかない、そう考えました」(安孫子オーナー)
もう一つは、道の駅の存続が危ぶまれていたことだ。「東日本大震災の後、国主導で復興を加速させるための高速道路の建設が行われました。こういった道路を復興道路と呼ぶのですが、道の駅 区界高原は、復興道路の出入り口からアクセスが悪く、利用減が予測されていたのです。道の駅自体の廃止も検討されるほどでした」(安孫子オーナー)
地元にも「道の駅の存続は難しいのではないか」との諦めムードが漂ったこともあったが、安孫子オーナーの活動もあって、22年11月には無事に道の駅の存続が決まっている。安孫子オーナーの活動が地域の拠点を一つ守ったといえるだろう。
「故郷の岩手県、そして東北、最終的には日本。山間部に『売らずに大切にする』資本家が入っていって、コミュニティーをつくることが大切です」(安孫子オーナー)
地域コミュニティーを守るためには
自分が山間部を買うしかない

▲区界高原で畑を耕す様子
人助けのために事業を行う
山間部を中心に国の土地を守り、にぎわいをつくり出すことが安孫子オーナーのライフワークだとしても、資金がなければ実行は難しい。安孫子オーナーは地域に投じる資金を賃貸不動産経営や太陽光発電・ゼネコンなどの事業で賄っている。「地域に貢献するためには、お金が必要。そのためには大きく稼げてあまり時間の拘束がきつくない事業をしたい。それで始めたのが不動産投資でした」と振り返る。
15年に、最初から地域貢献の原資をつくることを目的に不動産投資を始めた安孫子オーナー。それから約10年間で好立地の土地を購入し、そこにアパートを新築するスタイルで物件を買い進めていった。現在は20棟200戸を所有し、年間家賃収入は1億5000万円ほどになる。「投資を始めた当時は中古投資がもてはやされ、土地から購入するランドセットには銀行が難色を示した時期でした。ですが私は、立地や資産性、取得後の手間を考慮して新築でいくと決めたのです。1棟目からしっかりと事業計画をまとめることで、借り入れを実現することができました」(安孫子オーナー)
駅前のほか工場や学校の近くなど特定の需要がある場所を好立地と考え、現在では岩手県盛岡市、北上市、奥州市、花巻市、八幡平市に物件を所有している。「住宅もライフライン」との考えから、地域住民の負担も考慮してほどほどの家賃設定にするのが安孫子流。平均家賃は7万円ほどだという。「もちろん、家賃設定を安めにすることで、入居募集に手間がかからないというメリットもあります。本当は薄利多売はよくないのかもしれませんが、実際みんな生活も厳しいですから、互いのためにこういった価格設定で経営しています」(安孫子オーナー)
手頃な家賃設定にするのが前提でも、お買い得な土地を探し、なじみの地元の建築事業者に建築を依頼することで税引き後でも利回り7%程度を確保している。
所有物件の物件シリーズ名は「ル・メイユール」で統一。フランス語で「最上級」の意だ。一部入居率が振るわない物件もあるものの戸数の多さでカバー、平均して9割以上の入居率を維持している。

▲安孫子オーナーの所有物件「ル・メイユール」
「私にとって不動産投資は、地域貢献活動を行うための資金源です。不動産オーナーの中で見れば、事業に最も興味がない部類でしょう。しかし、住む場所を提供する以上、立地や信頼できる事業者に施工してもらうこと、住みやすい価格帯であることにはこだわっています。入居率も高く維持できているのには感謝しています」(安孫子オーナー)
自分が開発の主体になる決意
安孫子オーナーが山間部の不動産に資本を投入したいと思うようになったのは二つのきっかけがある。
一つ目は24歳の時。資本と地方創生の実例を目の当たりにしたことだ。アメリカの大学に通っていた頃、当時のルームメートに誘われて、彼の両親がバカンスを過ごしているという冬のメイン州を訪れる機会があった。そこは極寒の地で交通のアクセスがいいとはいえないにもかかわらず、多くの富裕層がこぞって集まり、バカンスを過ごすリゾートだったのだ。
普通に考えればもっと好条件の場所があるだろうに、どうしてこの場所は高級リゾートとなっているのか。それを考えた安孫子オーナーは一つの結論に至る。それは大きな資本だ。「それは、『この地をリゾートにしよう』と考えた資本を持った誰かがいたからにほかなりません。資本を投入すると、その場所に新たな価値が生まれるのです。たとえもともとの魅力が薄くても、条件が悪かったのだとしても、資本さえあれば場所をつくることができる。資本が人を集めるからです。そのことに気付かされて衝撃を受けました。この時から、いつか自分もという気持ちが芽生えたように思います」(安孫子オーナー)
自分にも資金があれば思うような開発ができる。それは一方で、エリアのことを考えず、不動産投資商品として「ほかの誰か」がリゾート開発を行いかねないということと表裏一体でもある。それに気付いたことも、「自分が開発の主体になる」ことの原動力になった。
もう一つが15年に42歳で大病を患ったことだ。前述のように24歳で地方創生に興味を持ったものの「それは将来のこと」「資金も必要」と30代の安孫子オーナーは、ひとまずがむしゃらに働いていた。父と地元盛岡でラーメン店「遙遙屋」を経営しながら、川崎市・横浜市にも同ラーメン店を出店し、さらにはイラストレーターの経験を踏まえ、週に何度か大学や専門学校で教え、睡眠は毎日2時間程度――。体は悲鳴を上げた。通常成人男性の肝臓は1・2㎏前後だが、5㎏ほどに腫れていたのだ。「手術で肝臓の大部分を摘出し、1カ月程度動けない状態でした。入院前の数年間は、自分ではガンで余命数年だと思い込んでいたのです。その状態になって『みんなに何かを残さなきゃ』と本気になりました」と安孫子オーナーは振り返る。
実際にはガンではなかった。だが、肝臓を摘出し、「生命の尊さと儚さ」を感じた。もしもの時を考え、マンパワーに限界を感じたことが不動産投資の開始を後押ししたという。
基幹産業や地域貢献のために
私財を投じるのに抵抗はない
必達目標は地域創生
安孫子オーナーは、不動産投資などから得た資本で地域創生事業を実行。幅広い分野の支援に努めている。
地域貢献は、不動産関係のものだけにとどまらない。盛岡じゃじゃ麺の知名度アップへの取り組みのほか、空手やサッカーアーチェリーなどのスポーツ選手、そばや演劇など地元の文化を支援している。
基幹産業を育てたり、地域貢献をするために私財を投じることに抵抗はない。「人や地域を育てるために資産を売ることもあります。車や投資信託はいざというときに現金化しやすくていいですね」と言うほど人助けに生きがいを感じている。ちなみに、手元のお金は事業・文化や人の支援に使ってしまうため、個人としては全くたまらないのだとか。
今後についても、どっぷりと地方創生に力を注いでいくのが必達目標だ。
機会に恵まれれば、温泉や海岸部など支援地域を広げたいという。1人ではかけられるお金にも時間にも限りがある。自分が地域貢献を行うと同時に、賛同者も増やしていきたいと考えている。
安孫子オーナーが不動産経営のほかに力を入れる事業がラーメンだ。「飲食業を行ってきた父をサポートし、ラーメン店を父子で立ち上げました」(安孫子オーナー)。28歳で立ち上げた事業は成長し、今や数店舗を経営している。
ラーメンを地方創生のために売り込もうと意気込み、当時盛岡名物だった冷麺、わんこそばに加え、じゃじゃ麺のアピールに精力的に取り組んだ。現在の盛岡の三大麺があるのも安孫子オーナーの尽力によるものが大きい。ここに盛岡ラーメンを加えた「盛岡4大麺プロジェクト」を実行中。
明らかに良い条件の不動産についてはラーメン事業の社員に紹介することもあり、不動産オーナーとなっている者も多いという。

▲盛岡市「小吃店」
(2026年4月号掲載)






