土地再設計に奔走した2代目地主の15年

土地活用その他建物

<<地主の資産戦略>>

工場跡地を保育園と高齢者施設へ
土地再設計に奔走した2代目地主の15年

名古屋市西区の岸洋行オーナーが所有する土地の一画には、賃貸マンション、保育園、高齢者施設、駐車場がきれいに収まっている。だがこの土地は、もとは岸オーナーの父が興した家具製造工場があった。父の急逝による突然の相続から15年。家業を畳み、空いた土地をどう活用するか。利回りという言葉の意味さえ知らないところから始まった岸オーナーの試行錯誤は、「相続」を突如突き付けられた地主の苦難を物語っている。

岸 洋行オーナー(名古屋市)

受け継いだ資産を最大限に
生かす方法を考えることが、
相続した者の責任だと学びました

旧工場跡地に並ぶ4つの建物

 私鉄や地下鉄乗り入れ駅から徒歩5分の土地にマンションが建ち、その向かいの一区画には保育園、高齢者施設、駐車場が整然と並んでいる。いずれも岸オーナーが名古屋市西区に所有する物件だ。マンションは2006年に新築したRC造の賃貸物件で、認可保育園は16年に開園、翌17年に高齢者施設が竣工した。駐車場は月極となっている。およそ900坪のまとまった土地が、用途の異なる4つの方法で運用されている。

 「ここは元々、父が経営していた家具工場の敷地です」と岸オーナーは話す。社宅、独身寮、社員食堂、さらに3階建ての本格的な工場と倉庫。社員数は最盛期で100人を超え、昭和40年代には、当時としては珍しかった流れ作業による大量ロット生産方式を導入し、3階建ての工場で家具を製造していた。だがその工場はもう存在しない。

▲岸オーナーが所有する上小田井エリアの土地。右の建物が高齢者施設で、左の建物が保育園、その後ろに月極駐車場が続く。また、手前の道路を挟んだ場所(写真の撮影場所)に所有するマンションも立っている(下部※印の写真)


 実はこの土地を父から相続した当時はまだ工場が残っていた。すなわち、現在の風景は岸オーナーが考えて組み直した結果である。その期間は概ね15年間。家業を畳んだ後、その土地に何を当てはめていくか。複数の選択肢を比較し、地域の用途規制や入居事業者の継続性まで考慮したうえで、土地全体のポートフォリオを意識して判断してきた。

 「土地をただ守るのではなく、時代に合わせて生かし方を変えていく。これが、自分の代の仕事だと思っています」(岸オーナー)

 岸家が賃貸経営に足を踏み入れたのは、岸オーナーが新卒で社会人になった1985年ごろにさかのぼる。当時の家具製造業はすでに斜陽産業の色を濃くしていた。

 58年に家具メーカーが立ち上げた岸オーナーの父親は、大量ロット生産方式の導入などで事業を拡大した。その生産方式の見学に、大手家具メーカーが視察に来るほどだったという。その製造工場として、重量鉄骨造3階建ての立派な建物を建築していた。しかし、時代の流れと共に事業は縮小。85年ごろには、稼働を落とし始めた工場の一部を「貸す」という選択肢が浮かんできた。

 最初に貸したのは社員が使わなくなった社宅や食堂、そして、稼働を縮小した3階建ての工場だった。体育館のように柱のないワンフロア約200坪、1階は天井高5mの3階建て工場が、そのまま使える状態で空いていた。借り手はパチンコ台の製造会社。岸家にとって幸運だったのは、この借り手の事業特性にある。

 「パチンコ台の製造会社は、1年のうち3カ月程生産すれば利益が出るそうで。それ以外の期間は企画開発が主な仕事で、ほとんど人の出入りがなかったのです」(岸オーナー)

▲パチンコ台製造会社に貸していた1フロア約200坪あった元家具製造工場跡


 1カ月の賃料はおよそ300万円。一方、貸し出した工場建物の固定資産税は年14万5000円と非常に安く、しかも修繕は借主負担。この物件に対して岸家側に借り入れもないため、非常に優秀な賃貸物件だったという。「こんな楽な仕事はない、と思っていました」と岸オーナーは振り返る。

 社宅や独身寮、社員食堂についても、近隣の事業者から「空いているなら貸してほしい」と声がかかった。社宅や独身寮は近隣の会社の事務所や社宅に、社員食堂は印刷会社の作業場へと転用されていった。柱のない食堂の構造は、機械を据え付けたい印刷会社にとって都合がよかったのだ。結果として、家業の縮小と並行して賃料収入が積み上がっていった。

▶(地図)土地全体を一体に考え、最も有効な活用方法を検討した結果このような配置になった。かつて所有マンションは工場に囲まれていたが、自社工場部分を保育園や高齢者施設にしたことで非工場エリアと接続。これにより資産価値の向上も図っている

家業を畳むという決断

 岸オーナーは、家具職人を祖父に持つ家系の長男として生まれた。兄弟はなく、子どもの頃から家業を継ぐものだと思って育ったという。実際、父からは「滋賀県の大手家具店で1年学んでこい」と、大学卒業後の修業先まで決められていた。ところが大学4年の春、岸オーナーは方針を変える。

 「みんなが就職活動を始めていて、自分も社会を知らないまま家業に入るのは嫌でした。それと、単純に東京のサラリーマン生活に憧れていたんですよ。渋谷で飲んだりとか(笑)。2〜3年くらい働いて満足したら戻ろうかなと」(岸オーナー)

 東京のIT企業に新卒で入社したのが85年。システムエンジニアとして配属され、その後すぐに営業職へ転向した。両親に就職を伝えたのは内定後、卒業の半年ほど前だったという。

 「父は驚いていましたけど、たぶん『良かったな』と思っていたように感じています。家具の製造業はもう斜陽と言われていたので」(岸オーナー)

 家業はその後、ゆっくりと縮小していった。工場用地は元々船で資材を搬入していたことから、川沿いの「何もない場所」に造られた立地で、父の代に水道や電気を自前で引いた経緯がある。ところが地下鉄駅が開業し、私鉄が乗り入れ駅となったことで周辺の宅地化が進むと、後から建った住宅の住人から「煙突のばい煙で洗濯物が汚れる」「材料置き場が危ない」といった苦情が寄せられるようになった。材料置き場が放火される事件まで起きたという。

 嫌悪施設としての扱いに苦労しつつ、時代に合わせて製造機能を縮小しながら、空いた建物は順次貸し出していく。完全な廃業は2004〜05年ごろ。その頃、社員寮だった建物の外階段が崩落しかけるなど老朽化が目立ったため、建て替えを検討し始めた。そして06年に竣工したのが7階建て14戸のRC造マンションだ。岸オーナーが44歳の頃である。

 「家業については、いつ辞めたとはっきり言える日はないんです。地道に少しずつ縮小していきました」(岸オーナー)

 元々2〜3年くらい働いたら戻ってくると考えていた岸オーナーだったが、結局サラリーマン生活は17年まで32年間に及んだ。家業を継がなかったことについて、父との間で揉めた記憶はないと岸オーナーは言う。だが、幼い頃から父の苦労を見て育っただけに、「自分が簡単に口を出せる立場ではない」という思いがあった。父子の間には、お互いに踏み込み過ぎない「見えない境界線」のようなものがあったとも振り返る。サラリーマンとして勤める息子と、家業を縮小しながら土地を守る父。家業を畳んでからは、新築したマンションや既存建物のテナントとの賃料交渉、契約書の作成の事務作業を、サラリーマン業の間を縫って時々手伝う程度の関係が続いていった。

▲岸オーナーの幼少期。周りは本当に何もない場所だったという

相続とは家族対策だった

 転機は突然訪れた。11年に父が体調を崩してからわずか半年で他界した。享年82歳だった。

 家主業に対する引き継ぎはほぼ何もなく、岸オーナーが受け継いだのは関係業者の名刺の束だけだった。当時は利回りという言葉の意味さえ分からず、ローンの仕組みも知らなかった。家業の廃業後、父が運営してきた賃貸物件と土地が、ほぼ何の説明もないまま自分の管理下に置かれたのだ。そんな当時の岸オーナーが何より欲しかったのは、相談できる相手だった。

 「リアルな家主を、誰一人として知らなかったんです」(岸オーナー)

 身近には賃貸経営の経験者がいなかった。サラリーマン仲間にもいない。そこで、大家になって最初にしたことは家主に関する本を片っ端から読むことだった。共感できる著者を見つけてはコンタクトを取ろうと試みた。読んだ本の著者が主催するスクールにも約60万円を支払って参加し、1年間東京に通って学んだこともある。

 「当時、利回りという言葉も知りませんでした。父が亡くなって、次々に業者対応や判断を迫られる中で、のんびり勉強している余裕なんてなかったのです。だから経験と時間を買いました。ほかの人が何年もかけて経験することを、一気に詰め込んだ感覚でした」(岸オーナー)

 そのスクールの懇親会で初めて、生身の大家と顔を合わせることができた。同じ悩みを共有できる相手がようやく見つかったのである。後にこの縁が地元・名古屋の大家ネットワークにつながり、現在岸オーナーが代表を務める家主の会「チームJ」の発足にも結びついていった。

業者の品定めをはね返す

 賃貸経営に対する勉強を急ピッチで進めていく中、岸オーナーはその現場で別の試練に向き合っていた。それが事業者からの「品定め」である。父の代から付き合いのあった事業者の一部は、引き継いだばかりの岸オーナーに対し、独特の距離感で接してきた。「大変だろうから、これはお金いらないよ」と無償で工事を引き受けようとする事業者もいた。

 「ただほど高いものはない、と思ったんです。引き継いだばかりで、こちらがどこまで分かっているか業者側も見ているように感じました。『安くやっておきましたよ』と言われても、それが本当に安いのか当時の自分には判断できなかったのです。恩を売られる形になるのも避けたくて。だから全部、ちゃんと支払いますと断りました」(岸オーナー)

 修繕の見積もりも油断できなかった。コンセントのアースキャップが外れているという指摘とともに、交換費用1万2000円の見積もりが出てくる。岸オーナーが「自分でできるのでは」と返すと「交換には資格がいるんですよ、大家さん」と返される。そのため、岸オーナーは電気工事士の資格を取得した。すると、それまで頻繁に上がってきていた不要な電気系統の修繕見積もりが、ぴたりと止まったという。

▲引き継いだ建物を全て解体していった

土地を組み直す

 事業者への対応に加えて、書籍や家主仲間から学びを深め、賃貸経営の基礎を固めていった岸オーナーは、次第に所有する土地そのものの組み直しに着手していった。その背景には、長く工場を借りてくれていたパチンコ台製造会社が、企業買収の影響で14年に退去したことがある。

 その工場跡をどうするか。建物は元が工場だったこともあり、柱のない非常に大きな空間だった。広すぎるが故に、借り手がなかなか付きにくい。そのため、将来のことを考え、建て替えが最善だと考えた。しかし、父との思い出が詰まった工場だけに、解体の決断を出すことには迷いもあった。母親に相談すると、返ってきたのは意外にも「もう壊していいよ」という言葉。「母は、昔のやり方に縛られて私の足を引っ張るようなことはしたくなかったんだと思います。任せると言われて、自分が次の時代を決める立場なんだと実感しました」(岸オーナー)

 工場を解体した後に残るのは約700坪の整形地。ここをいかに活用するか。検討を重ね、結果的に工場跡地に建てたのは、保育園と高齢者施設だった。実は、より高い収益性が見込める事業用テナントからの相談もあったが、岸オーナーはあえてこの用途を選んだ。地域につながる土地に変えたかったことに加え、自分の保有する資産の価値向上もにらんだ判断だった。実際に保育園が開園した際、近隣の人から「周囲の雰囲気が明るくなった」と言われた時はうれしかったという。

 「この一帯は元々、工場地域なんです。06年に建てたマンションは、長らく住宅地帯と工業地帯の境界線上でした。そのマンションを住宅地のエリアとつなげられれば、マンションの価値も向上する。所有する物件全体の価値を上げるためには、ここに非工場を建てることで、既存マンションを工場地域から抜け出させる必要があったんです」(岸オーナー)

 つまり、物件単体の収益最大化ではなく、所有エリア全体のバリューアップを優先した判断である。隣接する保有マンションの価値が上がれば、賃料水準も上げられる。長期的に見れば、そのほうが収益も伸びる。結果としてこの土地は、保育園、高齢者施設、月極駐車場として運用することに決めた。

 また、土地全体での収益を考えていたからこそ、というエピソードがある。保育園は自治体の認可施設であり、要件は定められている。使用する土地の大きさや形が決められていて、それに従うのが基本だ。しかし、工場跡地の活用を検討する中で、隣接する月極駐車場と保育園の境界線を、保育園側へ約50㎝移動できれば、駐車場側は車を効率的に配置できるようになり、限られた敷地の中でも駐車台数を増やせることが分かった。そこで岸オーナーは保育園側と調整を行い、境界線を移動。その分、高齢者施設の境界線も調整することで、全体の土地面積を変えずに、土地の「最有効活用」を実現させた。自身の資産を点ではなく面として、全体で考えていたからこそできたことである。


 別のアプローチを取った土地もある。12年に、名古屋駅に近い城西エリアの約100坪の土地を競売で取得していた。その後コインパーキングとして運用してきたが、最終的には25年に隣地マンション用地として売却している。

 「この土地の隣や向かい側にも高層マンションが建っていて、ある種くぼ地のような立地になっていたんです。ここに何かを建てても、建築費が高騰してきた今だと収益が見込めなくなってしまった。その点、隣のマンション側にとっては、この土地を取得できれば大きなマンションを建てられる。デベロッパーの収支計画を理解すると、この土地が加わることで建設されるマンション全体の事業性が大きく変わると分かりました。通常の相場だけではなく、事業全体への影響も踏まえて交渉により、納得できる条件で売却することができました。また土地を細かく分割したミニ開発を避け、地域全体としてまとまりのある活用につながる点も、売却を判断した理由の1つでした」(岸オーナー)

 土地は単に「持つ」ものではなく、「最有効使用は何か」から逆算して価格を決めるという発想を、自身の土地の運用だけでなく「売却」にも応用した結果だ。

 「土地は、ただ守るだけでは資産として目減りしていきます。受け継いだ資産を最大限に生かす方法を考えることが、相続した者の責任だと学びました」(岸オーナー)

▲保育園と駐車場の境目。ここのわずかな位置調整も大きな結果の違いにつながる

次世代への承継を生前に設計

 岸オーナーが相続から15年に及ぶ試行錯誤を経てたどり着いたのは、相続を「自分が死んだ後の話」ではなく「自分が生きている間に組み立てておく話」として捉える発想だ。家具製造業の2代目として生まれ、土地を組み直してきた経験が、次の世代への引き継ぎ方を考える素材になっている。

 「父から大家業のノウハウの引き継ぎは何もなく、それで苦労したことも多いです。だから自分の代では、次の人に何をどう渡すかを最初から設計しておきたい。土地そのものを残すだけではなく、どうやって収益を生み続けるか、その仕組みや運営体制まで残していきたいです。誰に相談すればいいか、どんな業者とどう付き合えばいいか、どこを見れば判断できるか。次の世代がゼロから苦労しなくても回していけるような『自動運転』に近い仕組みやチームの部分を特に残していきたいと思っています」(岸オーナー)

 家業の転換から土地の再設計へ。そして次世代への承継をどのようにするかを考え続けている岸オーナー。この15年は、地主にとっての「自分の代でやるべきこと」をも、再設計してきた時間だった。

(2026年7月号掲載)

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