<<11代目の決断>>
江戸時代から続く地主の資産組み換え
背負う歴史と未来への取捨選択
三重県津市で長年醤油蔵を営む阿部家は、江戸時代に藩主から譲り受けた土地を経営する大地主でもある。しかし津市は、年々減っていく人口や、水害に対する脆ぜい弱じゃく性など、賃貸経営においてさまざまな課題を抱えているという。11代目となる阿部哲郎オーナーは、この5年で阿部家の資産の大部分を県外の土地に組み換えるという、大きな決断を下した。
阿部喜兵衛商店
阿部哲郎オーナー
藩主から土地を譲られた地主
阿部喜兵衛商店は、江戸時代から津市で醤油の製造・販売を行っている。
造り酒屋として始まった家業は、5代前に醤油蔵へと転換。300年以上の歴史を持ち、現当主・阿部喜兵衛社長は10代目。「喜兵衛」の名前も代々阿部家当主が受けついできたものだ。息子の哲郎オーナーは11代目となる。伊勢別街道に面した本宅は、かつて城主がタカ狩りの際に湯あみに訪れたといわれ、津市の指定文化財となっている。
地主としては、江戸時代に当時の当主が津藩主に77両を貸し付け、その返済に替えて1万坪の土地を受け取ったことからスタートしたといわれている。
そんな津の名家・阿部家は、2020年代に入り大きな転換を決断した。津に所有していた土地・建物の多くを売却し、東京の物件に資産を組み換えたのだ。
決断の背景には、資産家としての阿部家の歴史と、未来に対する当主の理念があった。

名字帯刀を許された名家
阿部家の歴史は現在の三重県安濃郡にあった安濃村から始まると伝えられる。先祖が村の治水に尽力した記録が残っているという。
伊勢別街道に店を構えたのは江戸時代のことで、藩主が街道沿いの商業を整備する際に居を移し、以後、明治時代まで造り酒屋として栄えた。前述のとおり、藩主とは強いつながりがあり、この時代に商人として名字帯刀を許されていた。
■津市の指定文化財である本宅の様子
- ▲酒や醤油の販売が行われていた土間部分
- ▲津市指定文化財の標識
- ▲違棚のある床の間
- ▲中庭の様子
醤油蔵へと家業を転換したのは5代前の明治時代。酒樽に菌が混入して酒が全滅。酒造として存続の危機にひんした。当主の娘の機転で同じ醸造業の醤油蔵に切り替え、危機を乗り切ったのだ。
そんな阿部家において、賃貸経営を始めたのは現当主の父で哲郎オーナーの祖父である9代目・阿部喜兵衛氏だった。戦前に本宅の裏手にあった長屋を買い取り、借家事業を始めた。
長屋解体と「マンション」建設
9代目が購入した長屋は、第2次世界大戦後1970年代に取り壊しの時期を迎えた。1戸20坪ほどで、家賃は戦前から値上げ交渉などを行っていなかったため、当時としても破格の1700円。全部で十数戸の長屋で5戸ほどが立ち退きを拒み、交渉は裁判までもつれ込んだ。地元で有名だった弁護士を雇って高裁まで争ったが敗訴した。
判決を受け、当時はまだ跡取りの立場であった10代目の喜兵衛社長が、直接借主の元へ交渉に出向く。所有する土地に家を建てて移り住んでもらおうと図面を持参したが「うん」と言わせることはできなかったという。
10代目の現・喜兵衛社長は「『現金が欲しいのだ』と言われて、ひと家族に170万円払いました。私は今も忘れてへんけど、お金を渡すと、その後2週間で出ていきました。つらかったですよ」と振り返る。
想定以上の出費を必要としながらも立ち退きを急いだのは、この土地で住宅都市整備公団からの借り入れによる活用を考えていたためだ。当時、公庫からの借り入れで新築物件を建てるには、300坪以上のまとまった土地が必要だった。
哲郎オーナーは当時のことを「祖父と父の代でのこの経験は、地主の抱える課題のいくつかをよく表していますね。新しい建物を造りたいが、古い借家の立ち退きに際し、士業の人や入居者とのコミュニケーションがうまくいかなかった。しかし同時に、それでも先祖代々の土地と資産を守ろうとしたという話でもあります」と分析した。
紆う余よ曲折を経て、1979年、長屋のあった場所には1K15戸・3階建て鉄骨造の学生向けアパートが建てられた。この頃は大学生の住まいといえば共同風呂・共同便所の下宿が定番だった時代。3点ユニットバスを備えた1Kのアパートは、すぐに満室になる人気物件だったという。近隣から建築士や設計士が見学に来るほどの最先端の建物だった。

▲1DK36戸を有するRC造のマンション
当時、コーチとして三重大学の水泳部に関わっていた喜兵衛社長は、学生の意見を聞き「マンション」という名前を付けた。それほど近代的で新しい建物だったのだ。
次に手を付けたのは醤油蔵の裏手にあたる土地。ここには88年、1DK36戸、6階建てのRC造マンションを建てた。
ここまでは今は亡き9代目の名義で借り入れを行い、実質的な経営を10代目の喜兵衛夫婦が担っていた。同時期に、大学を卒業した哲郎オーナーが実家に戻り、不動産経営に関わるようになる。
賃貸事業の拡大と時代の変化
当時、賃貸住宅経営への参入障壁は下がり、昔からの地主ではない投資家らも、津の町にアパートやマンションを建てて貸し出すようになっていた。
ライバルが増えた阿部家が開発に着手したのが、藩主から譲り受けた1万坪の雑木林、その一部にあたる4000坪の土地だ。JR紀勢本線津駅からの距離が近い土地は、高級住宅街に近いため評判の良い公立校の学区にあたり、何より広さを確保することができた。住宅金融公庫からの融資を受け、大手ゼネコンの熊谷組が施工に関わった。
ところが、プロジェクトの決定後、雑木林の土地ゆえに建設に際しては建築費のほかに土地の開発費が必要であることが発覚。足りない分の6000万円は当時大学4年生の哲郎オーナーと担当建築士が地元の銀行に頭を下げて回って融資を受けた。また開発した土地に先祖が植え、阿部家で管理していたヒノキを市場に売却する手配も哲郎オーナーが行い、「この二つが阿部家の賃貸経営における、私の最初の仕事でした」と振り返る。
2001年に竣工したマンションは全3棟。2LDKの部屋が12戸、3LDKが24戸、4LDKが18戸と、ファミリー向けの間取りでそれぞれが広々としている。敷地入り口や建物には、阿部喜兵衛商店の「喜」の字をデザインしたサインが掲げられた。
入居付けには、付き合いのある仲介会社から独立したばかりの若社長が名乗りを上げた。彼が提案した家賃に、哲郎オーナーは「全室、1万円ずつ値上げしてほしい」と頼んだ。周囲の物件にない魅力を備えたハイクラスな集合住宅の家賃相場は、地主である阿部家がつくっていくのだという考えによるものだ。その結果、即満室どころか入居待ちが発生するほどの建物になった。

▲4000坪の土地に建てた3棟のファミリー向けマンション
2012年、哲郎オーナーは関西を中心に活動する「がんばる家主の会」に入会し、他の会員から賃貸経営について学ぶようになる。
いよいよ賃貸経営の中枢を担い始めた哲郎オーナーは、様々な改革を行っていった。まず行ったのが融資の見直しだ。
これまでの住宅金融公庫からの借り入れを民間の銀行に借り換えることを決めた。これまで阿部家は2%の金利で融資を受けていたが、いつの間にか市中金利は1%の時代を迎えていたのだ。今後の投資効率や返済期間を考えると借り換えが妥当だった。
「銀行に話を持ちかけられて、私が両親に借り換えのメリットを伝えて相談したのですが、話がまとまるまでには時間がかかりました。結局、その間に担当者が2度替わるほどでしたが何とかまとまりました」(哲郎オーナー)
大規模修繕と隣地売却
哲郎オーナーは次に所有物件自体の見直しを行った。2019年には「マンション」の名前を付けた学生アパートを解体。跡地には高級車向けの貸しガレージを造った。サーキットで有名な三重県鈴鹿市が近い土地柄と、近隣の高級住宅街から車庫証明を取れる立地により、防犯性の高い、スーパーカー用のガレージの需要を感じたのだ。
駆け付け防犯システムを備え、しっかりと施錠できるガレージは想定どおり好評だった。ガレージは100万円で建てれば月3万円で貸し出せるうえ、住宅より設備が少ないために手がかからずランニングコストも低いという。

▲貸しガレージも外装の色やサインにこだわった
そして所有していた土地の一部を売却にも踏み切った。01年の大規模なマンション建築から約20年、マンションに隣接する土地2000坪を売却することにしたのだ。
隣地ということで、単なる売却ではなく、高級住宅街の雰囲気を壊さない高級団地とすることを要請。阿部家からも20年分の入居者データを提供し、哲郎オーナー自ら図面作成などの会議に参加することでこの場所の需要に合った住宅地を造り上げた。開発を担当した大和ハウス工業の営業所長は当時阿部家のマンションに入居しており、面識があったことも幸いした。
この頃、築20年を迎えたマンションの家賃下落を止めるため、7500万円をかけた大規模修繕やガス衣類乾燥機の導入も行っていた。いずれも、この後も長期的に保有することを想定した投資だった。
「高級住宅街が隣地にできたので『これでマンションの価値も上がる』と思っていました」(哲郎オーナー)
しかし、時は新型コロナウイルス流行初期。阿部家の所有する「ハイクラスなファミリー向け賃貸物件」のメインターゲットである転勤族の需要が縮小してしまった。これには、大企業における人事異動の減少と同時に、三重県に支店を置く企業が減り、名古屋への統合、あるいは三重県四日市市への移転が増えたことが関わっていた。
この動きと2022年の土地売却によって、阿部家は資産について考え直す機会を得る。
まず考えざるを得なかったのが、津市の人口減少だ。哲郎オーナーが住む団地も、住人の70%は後期高齢者が占めている。市全体では年に6%以上の人口が減少している状態だ。
さらに、保有資産があまりにも地元津市に集中し過ぎていることも問題だった。
「実は、がんばる家主の会に入会した当初、投資家系の家主の人々と交流する中で、ポートフォリオという資産運用の考え方を学びました。そこで阿部家の資産の棚卸しを行なったのです。それは、一カ所に集中し過ぎていて健全なポートフォリオとは言えないものでした」(哲郎オーナー)
また単純に阿部家の資産も減少していた。藩主から与えられた1万坪の土地は、祖父が市長の要請を受け2000坪を売却済み。さらに祖父母の相続税を支払うために2000坪を売却していた。今回はポートフォリオの充実を目指し、土地の金融資産への組み替えを意図した積極的な運用ではあるものの、さらに2000坪を売却し、少しずつ土地を減らしていた。
残った土地もハザードマップで水害リスクが高いとされ、住宅需要が下がりつつあるエリアにあたる。
「きっと、阿部家が藩主からもらって、地主として守ってきた土地の価値は、今が上限なのだろうと思いました。ピークを過ぎた土地を持って、子どもたちに『いいものを渡しますよ』とはいえません」(哲郎オーナー)
こうして、哲郎オーナーは土地を売り、資産を組み換えることに決めた。
これから阿部家を動かしていくのはせがれや
と思って、全部任せることに決めました

現当主・10代目阿部喜兵衛社長
阿部家の優先順位を考える
資産を整理するにあたり、哲郎オーナーは喜兵衛社長に「阿部家当主が守っていくべき理念のようなものは何か」と聞いた。そこで返ってきた答えは「第一に『阿部家の名前を残すこと』、第二に『資産家でいること』、第三に『醤油屋でいること』、第四に『文化財の母屋を残すこと』」の四つだった。
これを受けて、哲郎オーナーは改めて津市内の母屋以外の土地を売却していくことを決意。阿部家が資産家として生き残っていくために、今ある土地だけでは戦えないと判断したのだ。
「迷いはありました。でも、阿部家の長い歴史の中で、住む土地を変えたり、家業を変えたりということはあったのです。それでも名前と家を守ってきたからこその今の立場ですので、子どもたちにも私が受け継いできたのと同じように、良い資産を残してあげなければなりません」(哲郎オーナー)
2022年に2000坪を売却後、2025年3月には1988年に建てたRC造マンションを売却。2025年12月、2001年に建てた3棟のファミリー向けマンションも売却した。
「22年の売却までは、受け継いだ土地はできるだけ残すつもりでした。しかし、25年にはもう腹をくくって、津の土地を売り、より良い物件を買う方に舵を切りました」(哲郎オーナー)
一方で地元の物件売却と相前後して、東京での不動産投資を始めた。2021年には、東京都世田谷区の駅から徒歩4分の場所にあるRC造新築1Kの特許工法による防音マンションを購入。53坪の土地を含め、5億円の借り入れを行った。
2025年には同じく東京都渋谷区・表参道エリアに100坪、築22年のRC造マンションを購入。投資家がバリューアップを行わないまま所有していた建物で、15億円の土地値で購入した。同エリア内で明らかに賃料が安く、家賃の値上げが見込める状態で売り出されていたことが購入の決め手になった。
- ▲世田谷区に21年新築した防音マンション
- ▲25年に取得した渋谷区のマンション
大胆な不動産資産の組み換えに関して、父・喜兵衛社長は「もちろん、異論はありますよ」と笑う。「ですが、これから阿部家を動かしていくのはせがれやと思って、全部任せることに決めました。息子は『阿部家が存続していくために、いずれは衰退していく土地にこだわっていてはいけない』という。『それはそのとおりや』と思うわけです」(喜兵衛社長)
阿部家が9代目・喜兵衛氏の代で売却した2000坪は、今は道路になっている。三重県総合文化センター誘致にあたり、道路があれば有利に働くとのことで、当時の市長の要請を受けたのだ。哲郎オーナーは、市長が病床の祖父に「津市のためにあの土地を売ってくれませんか」と話す姿を覚えているという。
10代目の喜兵衛社長は「母と私たち夫婦は、その道路を半年は歩けませんでした。そのくらい、当時の地主にとって土地を手放すというのは、重大なことだったのです」と語った。
当時の道路は、今も津駅から文化センターをつなぐ幹線道路として利用されている。
この先のために取り組むこと
大胆に資産を県外に移す一方、津市の指定文化財である阿部家本宅の醤油蔵では、今も醤油が作り続けられている。27年前には本宅の改修工事を行い、本宅と醤油製造事業を守る準備を整えた。これも阿部家存続のための取捨選択の結果を表している。
現在、哲郎オーナーは49歳。自分にできることを選別し、後を引き継ぐ子どもたちへの教育が必要だと感じている。
東京の管理会社や投資アドバイザーのもとには小学6年生の娘と3年生の息子を連れていき、跡取りである息子はいずれがんばる家主の会にも参加させたいという。
「がんばる家主の会で付き合いのある家主仲間の皆さんは、今回話したことを聞いたら驚くでしょうね。『県庁所在地のええ場所に大きくてきれいな物件を持ってはったのに、もったいない』と言われるかもしれない。ですが、私がもっとど田舎に土地を持っていたら、違うと思うのです。受け継いだ資産をより良いもの、より良い場所に変えて引き継いでいくことが、家を守るために必要な行為だと思っています」(哲郎オーナー)
今年春、哲郎オーナーは渋谷区の物件の改修に手を付ける。そこでは三重で信頼関係を築いた職人に仕事を依頼するつもりだ。三重の地主・阿部家としての積み重ねが、資産家・阿部家としての一歩一歩を支えている。

▲津市の本宅裏手では今でも醤油を作り、販売している
(2026年4月号掲載)






