名古屋で198戸を守る 記者とサンバを経た地主の半生

賃貸経営ストーリー

<<地主、波乱万丈>>

記者とサンバを経た地主の半生
3代続く家の宿命を背負い、名古屋で198戸を守る

名古屋市の東部、名東区の街を1人の女性が自転車で走っていく。向かう先は、自身が切り盛りする賃貸マンションだ。空室の様子を確かめ、設備に不具合があれば夫と共に自ら手を入れる。その姿は、どこにでもいる働き者の家主に見える。そんな加藤亜紀オーナーは今、一族が名古屋で保有している9棟の賃貸マンションおよび東京にある14戸の区分マンションの管理を実質的に担っている。その背景には、3代続く地主の家に生まれた者の、逃れられない事情があった。

加藤亜紀オーナー(名古屋市)

肥やしを運んだ祖母と土地を守る家

 加藤オーナーの来歴は少し変わっている。幼い頃は父の海外赴任でフランスなどで過ごし、帰国した後は新卒で新聞記者となった。その後は東京で雑誌ライターに転じ、サンバに魅せられてブラジルへ渡り、通算10年を過ごした。沖縄を経て名古屋に腰を据えたのは13年前のことだ。

 そもそも加藤家のルーツは農家である。もともと名東区に田畑を持っていたが、市街地化が進んで所有地が名古屋市東部に組み込まれると、農地の評価額は跳ね上がった。この重い税負担に対処するため、借り入れをして賃貸マンションを建てたのが加藤家の賃貸事業の始まりだ。多くの地主がたどった道を、加藤家も歩んできた。「ただ単に税金対策で始めたんですよ」と加藤オーナーは言う。賃貸経営は、望んで選んだ事業というより、土地を守るための手段として先代が選んだ形だった。

 その土地への執着を、加藤オーナーは祖母の話を聞いて学んだ。戦後間もない時期、農地の肥料とするために祖母は実家から30㎞も離れた自宅まで、肥やしをリヤカーで運んで畑を耕していたという。戦後の化学肥料不足の時代、肥やしは重要な商品だったのだ。「こういった話を聞いて、土地を維持するのはすごく大変なことなんだと、何となく植え付けられていきました」(加藤オーナー)

▲1977年に撮影された加藤オーナー(右)と祖母

 土地を守ることの重さは、相続の場面で一層鮮明になる。加藤家では代替わりのたびに親族が相続で激しくもめた。実際に加藤オーナーが13歳の時に祖父が亡くなったが、その相続問題は加藤オーナーが高校生になっても続いていた。

 遠縁の者までが口を挟んできて、関係が壊れていく様子を加藤オーナーは間近で感じる中、相続を苦にして命を絶った親族さえもいたという。学校でスピーチの課題が出た時、遺産相続について話したこともあったというくらい、加藤オーナーにとって「相続」は生活の中に入り込んでいた。

 「なんで人間、相続でこんなふうになっちゃうんだろうみたいなことを、子どもながらに思っていました」(加藤オーナー)

 加藤オーナー自身も傍観者ではなく、幼い頃からその渦中にいた。相続税の負担を軽くするため、姉妹はそろって祖母の養女、いわゆる孫養子となっていたという。「1代飛ばし」による相続対策だ。多くの公的書類に「養女」と記される環境で加藤オーナーは育ってきた。1代飛ばしの相続は、加藤家では当たり前のことなのだ。現在では、夫も息子も含めた家族3人が加藤オーナーの父親の子として登録されているという。土地を持つ家に生まれた者として、この地主という家業と向き合うことを、加藤オーナーはどこかで受け入れていた。

なんで人間、
 相続でこんなふうになっちゃうんだろう

記者からサンバへ 名古屋を離れた半生

 もっとも、加藤オーナーは真っすぐ家業に入ったわけではない。むしろ半生の多くを、名古屋の地を出て過ごしてきた。大学を出て新卒で入ったのは新聞社だった。ハードだったが楽しかったと振り返り「警察署の記者室で何日寝たかわかんないくらい」と加藤オーナーは笑う。3年間の記者生活を経て、フリーの雑誌ライターとして活動した。

 その後、日本で暮らすブラジル人が急増した時期に加藤オーナーはサンバに魅せられていった。そして、本場ではどう踊られているのかを確かめたくなり、ブラジルへも渡った。当初は半年ほどの滞在のつもりだったが、日系社会がしっかりと根付いていることもあって居心地が良く、結局通算10年も過ごした。息子はブラジルで生まれ、それをきっかけに家族はブラジルの永住権を得ているという。その後7年ほど暮らした沖縄を挟み、名古屋へと戻ってきたのは14年前、2012年ごろだ。

▲記者時代の加藤オーナー(中)。先輩記者2人とともに

入居率50%未満から経営の立て直し

 転機は、名古屋に腰を据えたことだった。加藤オーナーが名古屋に居を構えた当時、すでに6棟117戸ほどのマンションを一族は有していたという。しかし、所有者となっている父もそれまで海外や東京での勤務が長く、所有物件をほとんど自分の目で見ていなかった。

 そして管理を不動産会社に任せきりにした結果、経営は事業者のなすがままになっていたという。不動産会社に「台所の蛇口から水がぽたぽた落ちる」と連絡すれば、パッキンを替えれば済むところを蛇口ごと交換されて高額の請求がくる。エントランスのドアの修理を頼めば、見積もりの相談もないまま「直しました。4万円です」と後から告げられた。「当時は、言われるがまま支払うしかありませんでした」(加藤オーナー)

 名古屋に住むようになり物件との距離が近くなった加藤オーナーは、マンションの細かいところまで自分で確かめるようにしていった。明細に目を通し、おかしいと思えば不動産会社に問い合わせる。過剰な工事には歯止めをかけていった。夫も経営を支える心強い存在である。「夫はもともと美術を学んだ器用な人で、給湯器以外の設備は大抵自分で直してしまうんです」(加藤オーナー)

 ある部屋では、6万円の換気扇を丸ごと交換するのではなく、6000円ほどのモーターだけを取り換え、入居者から苦情のあった騒音を止めてみせた。「お金を無駄にかけることはしたくない。そのため、なんとかならないかと方法を探すんです。そこはわが家の強みですね」(加藤オーナー)。ユニットバスの古い折れ戸なども、部品を確保しながら修理し続けている。

▲内装は適宜改修を施し使っている

 加藤家の物件は、使われている部材の規格がバラバラだという。建てた時期がそれぞれ違い、さらに単身者向けからファミリー向け、ペット飼育可の物件まで入り混じる。加藤オーナーが名古屋に戻ってからも3棟新築し、今では9棟で約198戸という規模だ。築年数が最も古い棟は、上場企業の転勤者が入らなくなったため、いち早くペット飼育可に切り替え、リフォームすることで延命させた。ペットと一緒に住む入居者は定着し、今では高齢になるまで住み続ける人が出るほど、長く住まれている。規格や条件はバラバラだが、それぞれの物件の特長を生かしてうまく稼働させている。

 だが、中には長年にわたって苦戦している物件もある。名古屋市営地下鉄東山線本郷駅前に立つ28戸のワンルームマンションは、大学が近いにもかかわらず、9年間で入居した人のうち、学生はたった1人という時期が続いた。空室率は基本的に半分を超えていて、単体では赤字の状態が長い物件だという。加藤オーナーはこの物件の改善に注力し、その一環で入居者募集を一般媒介から1社専任媒介に切り替えた。すると、その不動産会社が抱える学生客を呼び込むことができ、26年は一度に7人が入居したという。「今年は救われた感じです。去年は本当に絶望的な状況でしたけど」(加藤オーナー)

拡大を続ける父 見守る娘

 加藤家の賃貸経営は、これまで大きく3つの段階を経てきた。初めに、祖父母から父の代にかけて、税対策として名古屋市千種区の星ヶ丘に次々とマンションが建てられた。加藤オーナーが家業に本格的に関わり始めた12年ごろには、すでに6棟が建っていた。次の段階では、加藤オーナーが名古屋に戻って以降、祖母が暮らしていた古い家を取り壊すなどして、単身者向けやペット飼育可の新しい物件が3棟加わった。そして現在は、名古屋市内で長年ほとんど無償に近い条件で貸してきた底地を回収するための手続きを進めている。

 相続対策である以上、借り入れを続けることには意味がある。加藤オーナー自身は「私は借金ゼロなので、今死んだらちょっとまずいんですよね」と、あっけらかんと言う。だからこそ加藤家は不動産を建てたり購入したりして、借金を重ねてきたのだ。

 ただ、そのかじ取りは容易ではない。91歳になる父は今も健在で、投資への意欲は衰えない。今、父は東京の区分マンションを取得することに意欲を注いでおり、加藤オーナーの知らないところで新幹線に乗って1人で東京へ足を運び、区分マンションを買い進めているという。その父には営業担当者の勧めに乗りやすいところがあり、加藤オーナーは気をもんでいる。気を付けるのはそれだけではない。銀行が融資の際に過大な担保を求めてきた時には、正面から掛け合って外させたこともあった。「銀行の言うことをそのまま聞いていると、危ないんですよ」(加藤オーナー)。日々目を光らせ、時に父の投資に歯止めをかけるのが、加藤オーナーの役目になっている。

 次の一手として見据えるのは、自ら動いて東京の物件を取得することだ。父に任せてしまうのではなく、自らが足を運び実際に物件を見たうえで、いい借り入れを行うための1棟を、東京で探しているのだ。

古さを新たな価値に変える 住宅の枠を超えた活用

 加藤オーナーは、築古物件に対して独自の信頼を寄せている。かつて幼少期に暮らしたフランスでは、築100年の賃貸マンションが当たり前のように使われていた。「あれを見ると、古くても大丈夫なんだという自信があります」(加藤オーナー)

 実際、今手元にある東京・田町の区分物件は築50年を数えるが、かつて300万円ほどで取得したものが、今では2000万円ほどの価値になっているという。日本人は新しいものを好むが、広さや間取りには古い物件ならではの魅力がある、というのが加藤オーナーの考えだ。退去後により狭い部屋に移った人から、加藤オーナーの物件の広さのありがたさを実感したという声を聞くこともあった。

 その先に見据えるのは、住宅にとどまらない使い方だ。「賃貸物件以外の事業をしたいなと思っているのです」と加藤オーナーは言う。空いている部屋や土地を、貸しスペースやアトリエとして生かせないかなど、まだ形になっていないが、アイデアの種はすでに手元にあるという。

▲25年に開催の沖縄サンバカーニバルの様子。中央で踊っているのが加藤オーナーだ

 現在、ブラジル労働省の認定プロダンサーでもある加藤オーナーは、05年から名古屋でサンバ教室を開講したり、沖縄サンバカーニバルの主宰を務めたりと精力的にサンバ活動も行っている。その活動で使う大型の人形や約200人分の衣装を保有しているが、いっそサンバの博物館のようにして、自ら案内できる場所にできないかと構想しているという。ポルトガル語を操る加藤オーナーにとっては、決して遠い未来の話ではない。

 自転車で9棟を巡り、夫と共に設備を修理し、苦戦する物件と付き合う。地主の宿命を背負いながら、加藤オーナーはその重みを、記者やサンバで培った異色の感性で受け止め直そうとしている。住まいを提供するだけではない、次の形を探して。名古屋の街を走る家主の物語は、まだ途中だ。

(2026年11月号掲載)

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