<Regeneration>
築100年を迎える三重・津の旧銀行ビル
文化と歴史を伝える登録有形文化財

横田毅・尚美オーナー(三重県津市)

三重県津市の中心部近く、津城の城下町で、昭和時代には繁華街として栄えた「大門通り商店街」の中に、築100年を迎えようとする鉄筋コンクリート造のビルがある。ギリシャ建築のような装飾的な柱が目を引く「オーデン大門ビル」だ。
1928年、三十三銀行の前身・四日市銀行の津支店として建てられたこの建物は、津で知らない者はいないという。建築面積は238㎡。正面から見た印象よりも奥行きがある構造だ。
2018年に登録有形文化財に指定され、所有者である横田毅・尚美オーナーと修繕を行っている。
- 地元のミニチュア作家が作成した模型。正面からはわかりづらい奥行きや煙突が確認できる 。
- 登録有形文化財の銘板
現在は、2階建ての建物のうち1階部分を津演劇鑑賞会と三重県映画センターがオフィスとして利用中だ。
津演劇鑑賞会の竹添敦子代表は「この建物は市内ではとても有名なので、最初は『本当にそんなところに入居できるのかしら』と思ったものです。我々の活動は文化振興に寄与するものですから、登録有形文化財であるオーデン大門ビルを拠点に活動できるのはいいことだと思います」と話す。
津市の歴史と 共に歩んだ100年
オーデン大門ビルが四日市銀行津支店として利用されていたのはオープンした1930年から35年までの5年間。その後保険会社に売却され、42年には三重銀行と名前を変えた旧四日市銀行が、売却先から借り入れる形で再び支店を開いた。
そして45年、津市中心部は米軍機による空襲を受け、焼け野原と化す。この時、オーデン大門ビルを含めたごく少数の建物のみが残った。
終戦後、58年まで三重銀行はこの場所で支店を経営。73年に民間に売却される。当時のオーナーは地域で酒店を営んでいた齋藤商店だ。地元の名士であり、芸術にも造詣が深かった店主が、建物のデザインに引かれて購入し、画廊を開いていた。現在もエントランスの吹き抜けに残る吊り下げライトは、この頃設置されたものだ。
- 2016年の調査時の写真
- 1978年ごろ、毛糸店新装開店時の写真
しかし、画廊は経営者の高齢を理由に閉店し、横田家が経営するオーデンに売却。建物は横田オーナーの営む毛糸店として生まれ変わり、閉店までの20年余りの間地域住民に愛された。
2000年ごろに毛糸店が閉業した後は、カフェやレストランなど、いくつかのテナントに貸し出された。しかし、築80年を迎える頃には2階部分に雨漏りが発生していたこともあり横田オーナーは建物の解体を検討するようになる。そんな中、大きな転機が訪れた。津市の運営する育児支援スペースとして利用されていた時期だ。
- 現在は津演劇鑑賞会と三重県映画センターが1階をオフィスとして利用している
建物の価値を再認識 登録有形文化財に申請
15年頃、横田オーナーは建物の解体を本格的に検討。しかし、歴史ある古い建物であるという認識があったため、16年に建築士に調査を依頼し、建物の現状を図面に残すことに決めた。
そこで改めて、建物の構造や、津市と共に歩み戦禍を耐えた歴史的背景がまとめられた。これを受け、調査に参加した建築士や、入居する育児支援スペースの運営元である市の教育委員会が建物の価値を再認識。横田オーナーに国の文化財登録制度の利用を提案した。
「文化財になればこの建物の記録が残る。いずれ壊してしまうにせよ、そのほうがいいような気がしたのです」(横田オーナー)
調査後2年ほどのためらう期間があったものの、横田オーナーの申請により、18年にビルは登録有形文化財に指定される。この時期に大門通り商店街では、1964年から商店街の通路全体を覆っていた全蓋式アーケードが老朽化を理由に撤去された。2階建ての建物の装飾的な外観の全容が見えるようになったのだ。このアーケードの撤去が、文化財登録当時は不明だった施工事業者や設計者が明らかとなる端緒になった。
閉ざされていた2階の窓 90年の時を経て解放
建物全体の装飾的な外観が見えるようになったことで、横田オーナーはビルのライトアップを検討。前述の調査を行った建築士からの提案で、40年近く閉め切られていた2階の窓のシャッターを開けることになった。1928年に製造された手動の開閉機構は、90年の時を経て正常に動作し、立ち会った人々を驚かせた。
そして、このシャッターの機構に「合資会社榮進社」の文字が見つかる。この会社は、渋沢栄一と清水建設の前身である清水組が設立した国産シャッター製造会社だ。
ここからビル自体が清水組の施工であると仮定してさらに調査を行ったところ、清水建設の社内記録に同ビル建築の記録があることが判明。設計者は小笹徳蔵、施工は当時の清水組名古屋支店だということがわかった。

小笹は三重県出身で、1890年生まれ。清水組入社後、若い頃に設計した「片倉工業館(東京、現在は滅失)」が関東大震災で傷一つつかなかったことで建築家としての名を上げた。後に清水組の社長にまでなった人物で、四日市銀行津支店としてのビルを設計した頃は30代で名古屋支店長になったばかり。欧米視察の経験がある新進気鋭の設計者だった。
オーナーは存在すら認識していなかったシャッターの機構が、建築当時の歴史を静かに示していた。この時の再調査で、横田オーナーも建物の価値を改めて認識することになった。
登録有形文化財として これからの歩み
オーデン大門ビルが登録有形文化財として認められてから間もなく8年目を迎える。しかし、建物はまだまだ修繕が必要な箇所を残している状態だ。
横田オーナー夫妻は登録後、愛知県犬山市にある「博物館明治村」の年間パスポートを購入した。同博物館は、20世紀建築界の巨匠として名高いフランク・ロイド・ライトの設計で1923年に建築された旧「帝国ホテル」の正面玄関などが移築されており、明治時代の歴史的建造物を見学できる屋外博物館だ。夫妻は修繕に際して疑問が生じるごとに博物館明治村を訪れ、同時期の建築について学んだ。文化財としての価値を尊重し、当時の建築を学ぶオーナーの姿勢に共感し、時には自らも博物館明治村を取材した職人の手によって、修繕の際には当時の技法や雰囲気が現代の技術で再現されている。1階をオフィスとして貸し出す際に造った仕切り壁やドアは、見学者が当時からの造作だと信じて疑わないほどだという。

現在、オーデン大門ビルは2階部分を含め、毎年1カ所ずつ賃料収入などを使って修繕を重ねている状態だ。一方で、修繕途中の建物の雰囲気を気に入った団体に声をかけられ、25年11月から12月にかけて1カ月間、2階でお化け屋敷のイベントが開かれた。横田オーナーは「魅力的な建物はデザインの魅力で人を呼び、私たちに出会いをくれる。このビルにひきつけられた一人ひとりが建物に何らかの価値を見出してくれたなら、それ自体が建物を維持する事の価値であり、維持活動の動機になっています」と話す。
約100年の歴史を背負うビルは、これからも、人を引き付け、津の歴史を語る建物として受け継がれていく。
(2026年 3月号掲載)







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