<<次世代不動産経営実務者養成カレッジ 第3期 by次世代不動産経営オーナー井戸端セミナー>>
生活を守る集合住宅の新しい役割
集合住宅・戸建ての再生で、
市民の生活を守る住宅を開発するひとたち
不動産業界において大きな変化が起こりつつある。そうした中、「不動産オーナー井戸端ミーティング」を主宰する𠮷原勝己オーナー(福岡市)が中心となり、貸し手と借り手、そして地域にとって「三方よし」となる、持続的でブランディングされた不動産経営を目指す勉強会を有志で開催している。
当連載では、建築・デザインを学ぶ学生たちと、全国から集まったプロフェッショナルが一緒に受講する場として、九州産業大学建築都市工学部で行った全14回の「不動産再生学」と題した寄附講座を紹介。今回は、オーガニックアパート研究所の柳田 徹郎氏(兵庫県西宮市)の講演をレポートする。
オーガニックアパート研究所(兵庫県西宮市)柳田徹郎

化学物質過敏症の大家
私は普段、海運会社で省エネ船の開発など地球環境を良くするための研究系の仕事をしている会社員です。その一方で、大家としての顔も持っています。稼働不能状態になっていたスラムのような古いコンクリート建てのアパートをリノベーションして再生させたのが、私の大家業の始まりでした。
そしてもう一つ、私がお話しするうえで欠かせないのが「化学物質過敏症」の患者としての立場です。私は殺虫剤などの化学物質にさらされると、いわゆるひどいアレルギーのように、身体が過敏に反応します。その症状は多様であり、例えば、人の話し声は音として聞こえているのに、何を言っているのか全く理解できなくなるなど、言語理解力や思考力までもが著しく低下してしまうのです。ダニエル・キイスの小説『アルジャーノンに花束を』で描かれる、知能が上がりそして再び下がっていくあの悲しい過程を、私は実体験として体感しています。
因果関係がわかっている私は冷静に受け止めることが出来るものの、もし自分の体調不良の原因が身の回りの化学物質だと気付いていない人がいたら、どれほどつらい状況でしょうか。昨今、キレやすい子どもや発達障害の児童が増加しているというデータがありますが、本来の身体の機能が低下し「思うようにいかない」という彼らの抱えるストレスは、私自身の経験からは容易に想像がつきます。

見過ごされている「空気」の質と、賃貸業界の構造的な問題
私たちが1日に体内に取り込む量は、食品が約1kg、水分が約2kgであるのに対し、空気はなんと約15kgにも及びます。食品や水分は消化器官や肝臓というフィルターを通って解毒されますが、空気は肺から直接血液に入り、脳や心臓を含めた全身を巡ります。つまり、空気の質は健康において極めて重要なのです。しかし現代の室内環境は、消臭スプレーや柔軟剤などの生活用品に加え、接着剤や可塑剤といった化学品を含む建材に溢れており、ほぼノーガードの私たちの体への負荷は増大し続けています。そして、その人のキャパシティーを超えた際に化学物質過敏症を発症するとの説があります。
そういった状況を前提に賃貸住宅の業界構造を見てみましょう。管理会社は退去時のトラブルや損耗を避けたいと考え、リフォーム業者は誰でも手早く安価に施工できる方法を求めます。仲介業者は均質で清潔感のある扱いやすい物件を好み、クリーニング業者は強力な薬剤に依存します。結果として、安価で施工性の高い化学品建材を多用する仕組みに陥っているのです。効率、均質を求めて工業化しているとも言えるでしょう。大家側も収益を上げるためにコストダウンの方策として、悪意はなくとも、結果的に入居者の健康や安全性を損なうリスクのある安い建材を使ってしまいます。このように、現在の賃貸住宅においては大家と入居者の利益が相反する構造的な問題があると言えるかと思います。
賃貸住宅での発症事例としては、被災して移り住んだ住まいで親子ともに化学物質過敏症を発症し、働き盛りでありながら将来の展望を描けなくなってしまった人や、子どもが生まれて広い部屋に引っ越した直後に発症した父親が防毒マスクを着けて通勤し、結果的に家族と別居せざるを得なくなるなど、悲惨な事例は数多くあります。大家は、知らず知らずのうちに誰かの人生を変えてしまっているかもしれないのです。


新たな選択肢「オーガニックアパート」をつくる
現代の私たちの暮らしにおいて、食や衣類であれば「オーガニック野菜」や「オーガニックコットン」といった安全な選択肢を、お金を支払って選ぶことができます。しかし、住まい、特に賃貸住宅において「化学品リスクの低い安全な部屋」を選ぶ選択肢はほとんどありません。それならば、オーガニック野菜を選べるように、オーガニックアパートを選べる世の中にしたい。住みやすい街、住みたい街は自分たちの手でつくっていくべきだ。そう考えた私は「オーガニックアパート研究所」を立ち上げました。
私たちのミッションは、意志ある大家たちの良い部屋づくりをサポートし、将来世代を建材由来の健康リスクから守ることです。神戸の古い団地の一室を購入して実験棟とし、体に良い建材を自ら施工して、VOC(揮発性有機化合物)などの室内空気質を計測器で測り、患者に実際に過ごして評価してもらうという試みを行っています。例えば、クッションフロアなどの塩化ビニル製の床をタイルや無垢の木材に張り替えたり、塩化ビニル製の壁紙をやめて和紙をでんぷん糊で貼ったりしています。また、押し入れの合板を石こうボードやアルミ複合板に替えたり、防虫シート入りの畳の代わりに炭化コルクとアルミシートを敷いて断熱効果を持たせたりと、様々な工夫を凝らしています。
一般に知られていないですが、注意していただきたいのは、既存のビニルクロスの上に直接漆喰を塗ることは絶対に避けるべきだということです。ビニルクロスの可塑剤と漆喰のアルカリ成分が化学反応を起こし、2-エチル-1-ヘキサノールという非常に有害な物質を発生させてしまうからです。
こういったファクト(事実)を一つひとつ検証し、理解ある大工さんや職人さんと共に、誰にでもできるわけではない「目利き」と「腕」が生きる仕事を積み重ねていくことが、豊かな世の中をつくる第一歩だと確信しています。


未来を担う皆さんへ「旧弊打破」
私が皆さんにお伝えしたいキーワードは「旧弊打破(きゅうへいだは)」です。世の中には、昔からある変なしきたりや無駄な手続き、不合理な関係性など、古い仕組みがたくさん残っています。経済性を優先し、化学品に依存して思考停止に陥っている賃貸業界の仕組みもその一つでしょう。よく「世の中を変えるのは、よそもの、わかもの、ばかものだ」と言われますが、ただパワーや勢いがあるだけでは十分ではありません。既存の仕組みの裏側にある本質を見極める目、目の前の課題がなぜおかしいのかを抽出する力、そして人を説得するためのファクトを集め、ロジックとして組み上げて伝える力が必要です。
これから建築士などのプロフェッショナルとして社会に出る人々には、スクラップ・アンド・ビルドや回転率ばかりを重視した利益のみを追い求める不動産開発ではなく、古い建物を大切にし、地域の文化やコミュニティー、そして何よりそこに住む人の安全性と健康を守る「豊かさ」をデザインする仕事をしていただきたいと願っています。それが社会に求められるものであれば、利益は自ずとついてくるのではないでしょうか。おかしいと思うことはおかしいと言える世の中です。旧弊を打破して、新たな価値を生み出す人材が出てくることを心から期待しています。
(2026年4月公開)






