14代目として受け継いだバトンと790坪

相続事業継承

<<私の相続体験記>>

過去の相続争いバネに円満な未来を築く
14代目として受け継いだバトンと790坪

 祖父から父へ、父から自分へ。相続のためにやむなく粕谷博幸オーナーが背負うことになった借金は実に2億円にも上る。長男である粕谷オーナーが家を継ぐのが前提だったため、憧れの職業を目指すのも諦めた。そうやって自分を殺して苦労してきたからこそ、管理のしやすい良質な不動産を残したい、将来もめることがあってはならないとの思いは強い。その思いが日々の原動力となっている。

粕谷博幸オーナー (東京都小平市)

▲アパートの正門前に立つ粕谷オーナー(右)と母・弘子氏

粕谷家の現在:不動産賃貸事業
アパートと寮の〝いいとこ取り〟

 粕谷家に代々受け継がれてきたのは自宅を含む790坪の土地だ。代々の当主は農業や養豚・養鶏業、製造販売業など、さまざまな事業を行い粕谷家当主のバトンを渡し渡されてきたという。そしてどんな時代にも常に傍らにあったのが、東京都小平市にあるこの土地だった。

 現当主は14代目の粕谷オーナー。現在の家業は不動産賃貸事業だ。本格的に不動産賃貸事業を始めたのは父の時代である。この大きな土地に7棟64戸のアパートを所有し自主管理している。年間家賃収入は一族で3800万円ほどだ。

 場所は名門、津田塾大学から徒歩数分で、入居者のほとんどが津田塾大学生だ。最も古い棟は築39年と築古が多いものの、内装をしっかりとリフォームしている点、学生同士のつながりができる点、家主一家が敷地内に住んでいる点の評価が高いという。親から好評を博し、常にほぼ満室を維持している。

 近年は同大学周辺に1Kアパートが乱立しており、周辺には粕谷家の物件よりもきれいで広いものも多い。津田塾大学も少子化で定員が減ってきており、状況は決していいわけではないという。「物件そのものでは太刀打ちできない。うち独自の『もの』が大事」と粕谷オーナーは話す。

 物件そのものでは太刀打ちできない。
うち独自の『もの』が大事

 2025年春から、新入生歓迎会として希望者全員を「よみうりランド」に招待することにした。バーベキューを行い、その後はフリーパスで遊び親睦を深めてもらう。初めての1人暮らしに不安を抱える中、横のつながりができると好評だ。「お金はかかりますが、広報の一環としてのメリットもあります」(粕谷オーナー)

 粕谷オーナーの母の存在も大きい。勉強や人間関係の悩みをそれとなく聞いてくれる「みんなのおばあちゃん」となっている。

 大学の寮は規則が厳し過ぎて嫌だけれども、親元を離れていきなり1人暮らしは心配という学生とその親にとって「アパートと寮の〝いいとこ取り〟」が人気の秘策だ。

 こういったソフト面での良さが光り、敷地内に一歩入れば穏やかな時間が流れる粕谷家のアパート群である。だが、この場所が激しいもめ事の舞台となっていた時期もあったのだという。

過去①祖父から父への相続
土地の使い方で親族内で大もめ

 1979年、祖父が心筋梗塞で急死した。粕谷オーナーが小学5年生、11歳の時のことだった。長男である父が土地のほとんどを相続したが、長男が家を継ぐのが当たり前との考えもあり、遺産分割の内容自体ではもめることはなかったそうだ。

 だが、土地の使い方でもめにもめた。それというのも相続後すぐ、父が独断で敷地内のほぼすべての建物を取り壊してしまったのが発端だ。祖父の代に営んでいた養豚場や養鶏場の建物、母屋、物置―。そうして何もなくなった土地に順次建てられていったのが今も立つアパートである。

 これに黙っていなかったのが父の弟妹たちだった。弟妹といっても、父のきょうだいは9人もいたのだ。この9人全員が相続を機に一気に父と対立してしまったのだからたまらない。粕谷オーナーにとっては、父方の叔父・叔母9人全員が急に〝怖い人〟になってしまったのである。

 長男だからと父が土地・建物を相続することに反対しなかった叔父・叔母たちであっても、父がすべてを更地にしていく状況には大反発した。商売の跡地だけでなく、母屋を含めてすべてを解体されたのだから、思い出を破壊されたような気持ちになってしまったに違いない。確かに父の更地にするというエネルギーはすさまじく、粕谷オーナーですら「おやじはなんでここまで壊しているんだろう」と思うほどだった。結局、粕谷家の土地の入り口にある門構え以外は、元々あった建物は何も残っていない。

 

 またその後の土地の在りようも叔父・叔母には受け入れ難かった。父が始めた不動産事業を叔父・叔母たちは家業だと認めなかった。当時は「自分の家の敷地内に他人を入れるだけでもいかがなものか、しかもアパートに住まわせるなどとんでもない」との価値観が根強かったのだ。

 この時期に、父に反発した叔父・叔母の行動が粕谷オーナーの心に大きな影を落とすことになる。

 毎日学校から帰ってくると誰かしら「代わりばんこ」で叔父か叔母がいて「兄貴は実家を壊すなんて何てことをしてくれたんだ」と父や母を責め立てて口論になっていた。本人がいればまだいいほうで、叔父・叔母から相談を受けたと思われる赤の他人が、まだ小学生だった粕谷オーナーに面と向かって「おまえのとこはとんでもないな」と文句を言うこともしばしばあったという。しまいには、粕谷オーナーの祖母にあたる父の母親までも9人の弟妹側に付いてしまった。

 毎日毎日、親族がののしり合う姿を見せられた粕谷オーナーは、人を信用せず最低限の付き合いで生きていこうという決意を固めるほどにショックを受けたのだった。「根回しもせずに考えを押し通した父も悪いのかもしれませんが、毎日全力で嫌がらせをしてくる人間がいるなんて、とても信じられませんでした」(粕谷オーナー)

13代目・父の夢
大規模農業を目指して畑を購入

 実は、そうまでして父が行いたかったのは農業だった。それも大規模農業だ。だが小平市は地価が高く、所有地周辺には広い農地を購入することができない。そのため、代々の土地にアパートを建てて堅実な収入を得ながら、車で通える地に広大な畑をいくつも運営する計画だったという。父は実家の近くで営んでいた畑を売却し、車を使えば1時間強で行ける埼玉県の狭山市や川越市に合計1・5ヘクタールの畑を新たに買った。

 祖父の死から3年ほどでやっと遺産分割協議が終わり、父は叔父・叔母に代償分割として現金を支払った。その額は1人につき1200万円。父は個人でお金を借りたという。1人あたりの金額はさほどではなかったものの、弟妹は9人もいる。父は遺産分割だけで合計1億800万円もの現金が必要だった。

▲埼玉の畑に建てた物置小屋

 その結果、父が背負った借金の額は2億円にも上った。この借り入れには代償分割の資金のほかに、遠距離農業のために大型トラックや農業機器を購入する資金も含まれている。また父が実母である祖母ともめてしまったため祖母が本家に同居するのが難しくなった。父は祖母の新たな家とその後の生活費も負担したのでその費用も入っているだろう。

 代償分割金の支払いが一つの区切りとなり、それ以降、粕谷家に叔父・叔母が乗り込んでくることはなくなった。

 こうやって粕谷オーナーは、あっけなく父方の祖母や叔父・叔母と絶縁となってしまった。事業承継の争い事は終わったとはいえ、ちょうどこの頃の粕谷オーナーは多感な時期である中学生。楽しいはずの時期に争いを多く見たことや人間関係があっけなく絶たれたことはショックな出来事だった。「幼い頃に楽しい時を過ごした、いとこたちとも他人となりました。このことをきっかけに、とにかく人を信用できなくなってしまいました」(粕谷オーナー)

過去②父からの相続
強制された進路や家業

 高校入学後は父に「東京農業大学に行け」「家を継ぐために農業を学ぶのがおまえの道だ」というプレッシャーをかけられていた。「おまえは長男だ、後継ぎだ。そうやって散々洗脳されて育ってきました。自分でも染まってしまっていると思うこともあるくらいです(笑)」(粕谷オーナー)

 やっと家に叔父・叔母が来なくなったと思ったら、学校から帰るやいなや「ちょっと来い、進路はこうだ」と強制される日々が待っていたのだ。

 家の中は相変わらず「父の言うことは絶対」という雰囲気だったが、さすがに粕谷オーナーの反抗心に火が付いた。粕谷オーナーには夢があったのだ。昔から絵を描くのが好きだった粕谷オーナーはイラストレーターを目指したいと考えていた。父と粕谷オーナーのバトルは激しいものだったが、驚くべきことに最後は父が折れた。「若いうちは好きなことをしてもいい、でも、必ず帰ってこい!」との譲歩を引き出せたのだ。東京農大ではない専門学校に進学することもかなったのだった。

 学校卒業後、これからイラストレーターを目指せる職場で頑張りたいと意気込んでいた粕谷オーナー。幼少期に苦労はあったものの、将来に希望が持てた瞬間だったという。

引き継いだ家業
長男だからやむなく…借入金は2億円

 しかし、夢は実現しなかった。粕谷オーナーが22歳の時、父が心筋梗塞で倒れたのだ。命は助かったが1人で農業を行うのは難しい状況となり、粕谷オーナーは家業を手伝うことを余儀なくされた。「もう、ただただ仕方ないとしか思えなかったですね。夢はここで諦めました」(粕谷オーナー)

 父が狭山や川越の畑で育てていたのは小麦だ。病気に強く、雑草を抜かなくても問題なく育つため、遠距離農業向きの作物である。週に何度か大型トラックに重機を乗せて畑に行き、実れば収穫した小麦を載せて帰ってくる、そんな生活を送るようになった。収穫期にまとまった休みを取れる仕事なら両立が可能で、粕谷オーナーは近所のスーパーマーケットでのアルバイトや中華料理店の店長などの副業をして社会との接点を維持した。

 1・5ヘクタールの小麦畑から得られる収入は年間300万円ほど。そこから経費を差し引けばあまり利益はない。だが、父は将来大規模農家となるための通過点だと考えていたため、手間の割にもうからない点については気にしていなかったという。「もっと副業に時間を割くほうが効率的なのにと思いながらも、私も粛々と小麦を育てていましたね」(粕谷オーナー)

 

 そんな生活が10年ほど続いていた1999年のある朝、粕谷オーナーは父と小麦のことで言い争いとなり険悪な雰囲気のまま家を出た。それが父との最後の会話になってしまった。言い争いから程なくして、父は急病であっけなく亡くなったのである。「朝けんかをして、頭にきたまま職場に着いたら亡くなっていて。とても信じられませんでした」(粕谷オーナー)

 父は60歳にもなっていなかった。既往歴はあったもののそれなりに元気だった父。誰もが想像もしなかった死だった。

 若かったこともあり、父は相続対策を何一つしていなかった。そのため、相続税は2億円にも上った。狭山と川越の小麦畑はすべて売却して支払いに充てたが、それでも現金は足りない。粕谷オーナーは借金をするしかなかった。

 小平の土地だけは何とか残すことができた。相続で土地の持ち分を母が半分、残りの半分は粕谷オーナーと3人の弟妹で4等分というように共有にした。

 祖父から父への相続の際の借り入れは粕谷オーナーが引き継ぎ、そのうえ、父からの相続でも借金をしたことで、粕谷オーナー個人の借入金は2億円にもなってしまったという。借り入れは長男である粕谷オーナーが1人で背負っている。「長男ですから。仕方ないなと思っています。弟妹も経営を任せて好きにやらせてくれるので不満はないですね」(粕谷オーナー)

粕谷家のこれから
土地の共有解消と築古建て替え目指す

 勢いよく人生を駆け抜けていった父はまさに昭和の頑固おやじで、今なら「パワーハラスメント」と言われかねない行動で家を率いていた。そんな父を傍らで言葉少なに支えてきた母もまた、昭和の良妻賢母であった。粕谷オーナーと母は今も、そんなカリスマ性あふれる父について「好き勝手やっていたね」と文句交じりに話すことも多いのだとか。絶対的な存在だった父だが、粕谷オーナーは可能な限り反発して生きてきた。「『できるだけ父の言うことを聞かないように』してきました。でも…小麦の作り方を教えてもらったし、なんだかんだアパートの収入で暮らしてきた。本当に深いところでは、父への信頼はあったように思います」(粕谷オーナー)

 父から引き継いだ借金の金利は4・6%もあったが、粕谷オーナーが借り換えを繰り返して2・2%まで落とした。「徐々に片付いてきているのはうれしいですが、借り入れが減ってきたので自身の相続対策を早めに講じたいです」(粕谷オーナー)

 粕谷家のアパート群の今後の課題は大きく分けて二つ。一つ目は土地が共有になっていること、二つ目は築古となり建て替えの時期を迎えつつあることだ。

 まずは共有の問題。粕谷家の土地は大きな1筆の地を、粕谷オーナーのほか母と3人の弟妹が共有している状態である。今は良好な親族関係なので何の問題もないが、代が替わるたびに関係者が増えれば面倒なことになる。祖父から父への相続の際の修羅場を見ている粕谷オーナーには、感情的にこじれてしまうことへの恐れもある。「皆にしこりが残らない方法を考えて、自分の代で共有関係は整理していきたいです」(粕谷オーナー)

 もう一つは建て替えだ。「木造ゆえリノベーションや補強もそろそろ限界ですし、間取りも昔のものなので狭い。建て替えは避けられないでしょう」(粕谷オーナー)

▲管理の行き届いた物件敷地内

本当に深いところでは、
 父への信頼はあったように思います

 建て替えに際しての問題は接道だ。旗ざお地であるため、建て替えるためには敷地内に私道を通すほか手はない。敷地内のどこに道を通すのか、そのタイミングで土地を売ることも考えるか否か。具体策はまだ決めてはいないものの、10年以内には今の景色から変えることは決めている。

 この二つを解決し、手間と苦労のかからない形で一人息子に事業を引き継ぐのが目標だ。息子には、たとえ家は継いだとしても好きな仕事をして暮らしてほしいと願っている。

 「家業を継ぎ、環境に合わせて経営してきました。自分の意思で決めたことは一つもなかったと思います」と粕谷オーナーは話す。だが、14代目の決断の日はすぐそこだ。壊して建てるという行動自体は父と同じでも、粕谷オーナー自身の経験と思いが反映された改革は、もう始まっている。

(2026年5月号掲載)

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