<<地主のターニングポイント>>
11代目が実践した倉庫業態の転換と長屋改修
松田家の家業は、倉庫業と京町家の連棟長屋の経営だ。代々土地を生かして暮らしてきた家であっても、時代に合わせて事業を変革しなければ生き残れない。11代目にあたる松田晋オーナーは、会社員だった経験から、さらにその思いを深めた。倉庫業の改革で事業のコンパクト化を、長屋の修繕でエリアづくりを実現した松田オーナーの奮闘に迫る。
松田晋オーナー(京都市)

倉庫業・賃貸事業合わせて年商およそ1億円
倉庫業と賃貸住宅。土地を活用するという点で共通するこれら2つの事業により安定した経営を続けているのが松田オーナーだ。
松田家は京都市内で代々受け継いだ土地と祖父が増やした土地を活用し、現在、倉庫は650坪のものと250坪のものを2カ所、賃貸住宅としては連棟長屋20戸を所有。このほか、事業用定期借地として分譲マンションとスーパーマーケットが立つ土地や、20台分ほどの駐車場からも収入を得る。家業全体で見た年商は1億円程度だという。
現当主は松田オーナーの父で、松田オーナーは法人の専務として実務を任されている。親子がそれぞれの思いをぶつけ合いながら経営を行ってきた。
現在のこの安定した経営は、むろん代々バトンをつないできたものによる面が大きい。だがその一方で、松田オーナーは経営に入ってからこれまで20年の間に2つの大きな改革を行った。
土地や事業があることに甘んじることなく、時代に合った家業への革新を行う。これが11代目の挑戦であった。
「変えなければ生き残れなかったと思います」と松田オーナーは振り返る。
稼ぎ頭の倉庫業で改革を実行
「倉庫自動化」の時流と支出の多い事業構造を懸念
松田オーナーが家業に戻ったのは2003年、24歳の時だった。実家が経営する倉庫業の会社に所属し、仕分けなどの業務に従事する傍ら、休日は同じく実家が所有する賃貸住宅のリノベーションを行うような生活を送っていたという。
実家に帰った際の倉庫業は売り上げも大きかった。社長である父の意向もあり無借金経営で、経営は極めて順調。その頃は倉庫を3カ所経営していた。650坪のメイン倉庫、800坪の倉庫、そして250坪の比較的小型な倉庫があり、3カ所トータルで月500万円程度を稼ぎ出していた。だが、松田オーナーだけはこの状況に危機感を覚えていた。

▲大型倉庫を前に松田オーナー
それは倉庫の技術革新と支出の多い事業構造への懸念だった。
「やり方を変えないと駄目だ、生き残れない。そう強く感じました。収入があるうちに手を打たねばと、20代半ばの若者ながらに必死に考えたのです」(松田オーナー)
問題点の1つ目は、当時のトレンドである倉庫の自動化だ。当時の松田家の倉庫は、倉庫を単に空間として貸すのではなく、棚などの内装を自社で整え、スタッフを雇い、荷役や運送などの仕事を請け負うというやり方だった。現在のメガ倉庫やコンピューター制御の自動倉庫が日本に上陸する情報は十数年前からあった。近い将来、ロボットが指定された部品を取ってくるといった自動倉庫がもっと広がっていけば、顧客は近未来の倉庫に流れてしまうかもしれない。
2つ目の問題点は社員の生活を守らねばならないことだった。将来、倉庫のテナントが新しい倉庫に移転した場合、次のテナントが入るまで収入がなくなる。そんな状態でも従業員に給与を支払わなければならない。現実的には解雇も考えざるを得なくなるだろう。しかし、倉庫の従業員20人の生活を支える責任がある以上、急な解雇だけは避けるべき事態だった。
そして、3つ目の問題点は倉庫建物の老朽化だった。祖父が第2次世界大戦後に建てた倉庫は当時推定築50年超であり、修繕、建て替え、別事業への転換を選ばなければならない時期に差しかかっていたのである。
当時、考えられた選択肢は大きく以下の4つだった。①大きな設備投資をして自動倉庫に変える②修繕して建物だけ貸す倉庫にする③修繕して人を雇う今の形態を継続④更地に戻して土地活用─である。
まず自動倉庫への設備投資は断念した。「当時の〝完全とはいえない〟不便さの残る機材の投入であっても、6億円の投資が必要でした。到底回収できる金額ではないうえに、すぐに技術が進むことでさらなる設備投資が必要になると予想されました」(松田オーナー)
残る選択肢から進む道を選ぶ中で決め手になったのは立地だった。松田家の3つの倉庫は超大型ではないものの、いずれも京都の市街地に近いところにある。しかも、平屋で天井高は10m以上あった。10mもの天井高になったのは、政府の備蓄米を保管するためだった。パレットに米袋を30袋ほど高く積み上げていたという。この天井高は市街地にある倉庫としてはまれな物件だった。他社はもっと大きな倉庫を貸しているが、それらは軒並み郊外に位置していた。市街地にあって高さの取れる大きな倉庫は確実に需要が見込める。

▲小型の倉庫は所有物件の設備をストックするのに活用している
松田オーナーはメインの大型倉庫と小型のものは引き続き倉庫として活用することにしたという。一方、もうひとつの倉庫は、徐々に倉庫業から撤退して別の土地活用に充てようと決めた。
問題は、自前のスタッフによって荷役や運送の仕事を請け負うこれまでのやり方を続けるかどうかだった。この点、松田オーナーはコンパクトな経営への切り替えを考えていた。
「倉庫は箱だけを貸すようにすれば、空室期間に人件費の支出はありませんし、倉庫が駄目になったときの転換も容易です。リスクヘッジと事業をコンパクトにすることによる最適化を狙いました」(松田オーナー)
こうして方針を定めた松田オーナー。売り上げは落ちるが、リスクが低くて生産性の高い倉庫を目指して行動し始めた。むろん父は、稼ぎ頭の事業からわざわざ撤退することに大反対だったが、数字や海外の倉庫業のトレンドを伝えることで、何とか改革の許可を得ることができたという。これは、松田オーナーが家業に戻って1年足らずの決断だった。
松田オーナーは美術系の短期大学を卒業した後、22歳で大手ディーラーに就職した。「今後家業を継ぐのに、ビジネスの力を培うことが大切」と考えたからだ。
特に営業力を磨きたいと考え、あえてノルマの厳しい環境に身を投じたという。灰皿が飛ぶような厳しい環境の中、大手の資金力、技術や価値観のブラッシュアップの重要性を肌で感じた。
事実、倉庫業の転換を考える際にこの経験が大いに役立った。もし自分が働いていたような力のある企業が、倉庫業に参入してきたら〝簡単に取って食われる〟イメージがついたからだ。「家業しか知らない環境にいたなら、これから競合となる外の世界を知ることはできなかったかもしれない」と、今となってもこの経験に感謝している。
事業をコンパクト化 収入・支出が安定
松田オーナーは、メイン倉庫に入居するテナントに「残り2年で今の倉庫はやめるので、新しい場所を探してほしい」と伝え、当時の従業員には「2年後に今の倉庫業はやめます。2年間働いてもらえるならありがたいが、その間に新しい職場を探してもいい」と話した。
2年間の準備期間を設けたことで従業員からは大きな反発はなかったという。一方、既存のテナントからは散々に言われた。「『バカのボンボン3代目が会社をつぶす』とまで言われたこともありましたね。でも、倉庫業の事業環境を考えれば、事業を残していくために決断が必要だったんです」(松田オーナー)
こうして、07~09年までの時間をかけて事業を改革。それから程なく10年には倉庫の建物だけを貸すスタイルで新しいテナントも見つかった。
「リスクも低く、収入の多くがそのまま収益になる体制になりました。売上額は下がったものの、コンパクトに事業が継続できるようになったことは大きい。これでよかったと思っています。このメイン倉庫の収入・支出が安定したので、父も事業のコンパクト化へ理解を示してくれるようになったと感じています」(松田オーナー)
その後、メイン倉庫は21年に大規模修繕を行った。内容はアスベスト除去と補強などである。アスベスト除去が想定以上の金額になり総額6000万円かかったが、あえて建て替えではなく戦略的に修繕を選択した。建て替えてしまえば建築基準法の制限で10mもの天井高は二度と実現できないからだ。結果は大成功。現在は月額180万円で賃貸することができている。従来と比較して経費が下がった分、利益は順調に出ており修繕費の回収もすでに済んでいるという。
なお残り2つの倉庫のうち中型のほうは解体して更地とし、2020年に70年の事業用定期借地契約にて分譲マンションに。もう一つの小型倉庫は貸し出したり、自社所有物件の修繕用品を収納したりして活用中だ。
- ▲趣のある連棟長屋
- ▲夜はライトアップされ落ち着いた雰囲気に
入居者の住み替え交渉に真摯に向き合う
風情ある街並みを残す 内装は近代的にリノベ
松田オーナーは倉庫業の一方で、賃貸住宅の経営も行っている。それもただのアパートではない。街並みを残すことをイメージし、外見は昔懐かしい風情のある連棟長屋で、室内はクロス貼りでフローリングの現代風の内装の賃貸住宅だ。
松田家が代々受け継いだ土地は、JR京都駅から電車で5分ほどの丹波口駅周辺にある。住宅の多い落ち着きのあるエリアだ。松田家では、この丹波口駅から徒歩6分ほどの場所に連棟長屋20戸を所有している。祖父が建てた、恐らく戦争前後の木造で、正確な築年数は不明だ。老朽化もあり松田オーナーが家業に入る前から少しずつ修繕を重ねてきた。
「修繕はほぼフルリノベーションです。外観は当時の雰囲気を残しながら街並みを維持しつつ、中身は平成・令和の生活に合ったシンプルなものにしています」(松田オーナー)
古い建物は壊してしまえばもう同じものは造れない。一画の雰囲気を維持するため外観には補強と修復程度にしか手を入れず、かつての趣を残した。一方で内装は近代的だ。入居者の使い勝手のほか、長期的に変更がしやすいこと、点検口とコンセント口を増やし、レイアウト変更やメンテナンスがしやすい工夫も施した。トイレやエアコンは実需向けの設備を全戸統一で採用。自社の小規模倉庫にストックしている。
「ごく普通にいいもので長持ちすれば実需向けでもコスパは悪くない。入居者が満足し、私たちも管理がしやすいことを重視しています」(松田オーナー)
エリアの家賃相場や修繕後の内容、設備などの質を考えれば破格の10万5000円の家賃で貸し出している。
夜のライトアップされた風景は、落ち着いた京都の町家そのもの。豊かな暮らしが約束された風情ある一帯となっている。だが、この風景を実現するまでが一苦労だった。
もともと、朽ち始めていた連棟長屋の修繕を始めたのは松田オーナーの姉だった。松田オーナーは姉の結婚を機に修繕を引き継ぎ、倉庫の会社に戻ったのと同時に、長屋の修繕も担うことになった。
- ▲近代的な内装
- ▲修繕中の様子
修繕のための立ち退きと住み替え交渉
何より大きな問題が、修繕したいのに人が住んでいるためできないということだった。
「昭和の木造連棟長屋なので、土壁や土管など現代の生活に合わないものを放置すれば、使い勝手の悪い老朽化した建物になってしまい、時がたつほど作業自体の難易度も上がることに危機感を覚えました」(松田オーナー)
そこで松田オーナーは1軒ずつ入居者宅を回り、話し合った。20戸はすべて近隣にあるため、すでに修繕が済んだ建物への引っ越しを依頼することにしたのだ。引っ越しに際しては、家賃は従来どおりのままでいいということにした。その代わりに、古くからの入居者は契約書を取り交わしていなかったので、この機会にその問題を解決することにしたという。
松田オーナーは「家賃はそのままで修繕済みのところに住めますよ。ただ、定期借家契約を結んでもらえませんか? 自動更新にするので追い出すようなことはありません」と説明して歩いたのだという。
1軒目の引っ越しが決まると、それが地域のコミュニティーで広がった。これがきっかけで周りの入居者も全戸順次引っ越しに同意したという。修繕してはそこに引っ越してもらうことを繰り返し、10年ほどかけてすべての入居者が修繕済みの建物への引っ越しを終えた。
「こういった経緯があるため長く住んでくれた入居者の家賃は低めになっていますが、家賃はこれでよかったと考えています」(松田オーナー)
2020年、新型コロナウイルスの流行に端を発したウッドショックについて、顕在化する前に情報を得た松田オーナー。この時、倉庫の存在に賃貸事業は大きく助けられたという。木材の欠品・高騰の情報を聞いて、2000枚の構造用合板を仕入れておいたのだ。半分は倉庫の改修に、もう半分は少しずつ長屋の修繕に充てた。
「倉庫がなかったら置き場所がありません。情報があっても建築資材の高騰に苦しむほかなかったと思うので、本当に助かりました」(松田オーナー)
修繕のために自分で工務店を獲得
2つ目の壁は、修繕の内容がうまく現場に伝わらないことだった。
松田オーナーは若い頃に美術を学んでいたこともあり絵を得意としている。修繕のイメージは絵に描いて工務店や現場の大工たちに伝えていたという。だが、修繕後に完成したものが微妙に違うという事態が頻発していた。
原因は当時依頼した工務店だった。ほかの現場で余った材料や安物を選択した結果、一部の建材や設備、壁紙がちぐはぐになり、伝えたものと違うことがたびたび発生したのだ。
「長く住んでもらう以上、質が良く、さらに飽きのこないものをつくりたいと考えていました。なのに、こちらが『頼んだとおりにしてほしい』と言っても違うときがある。管理の徹底を考えるうえで妥協はできませんでした」(松田オーナー)
そんなふうに悩む松田オーナーに驚きの提案をしたのが、現場の大工の棟梁とうりょうだった。棟梁はなんと、松田オーナー自身が工務店を立ち上げ、自分たちに直接依頼してくれたらいいと提案したのだ。
「驚きました。絵は好きですが、大工の経験もない中で成立するのか心配もありました。しかし、私の家の物件を改修するために棟梁がここまで言ってくれている。腹をくくろうと思いました」(松田オーナー)
こうして、松田オーナーは工務店を立ち上げた。それ以来、絵で伝える方法がうまくいくようになり、改修のイメージと結果がずれることはなくなったという。
この時松田オーナーはわずか25歳。若くしての大きな決断だった。この棟梁は今も松田オーナーのパートナーとして現場に出ている。
「もう彼も80歳です。私を買ってくれて、長い間いろいろなことを教えてくれた。独立しろと言ってくれて本当に感謝しています」(松田オーナー)

▲松田オーナー(右)と棟梁
歴史の重みを感じつつ、次世代につなぐ
江戸中期から商売始める 地域のリーダー的農家
松田家の歴史は古く、松田オーナーで11代目となる。ただ、江戸後期の大火により5代目以前の家の歴史は完全に消失してしまっている。恐らく江戸の中期から商売を始めた家だと思われる松田家。家に残っている品々からは、少しだけその歴史を想像することができるという。
実家の倉庫には、牛が引いていた鋤すきや5つのかまどが残っていることから、おそらく人を雇った大規模な農業を行っていたのだろう。また松田オーナーの曽祖父まで、代々の当主の名前は「庄五郎」だった。そこからも、規模が大きい地域のリーダー的な農家だったことがうかがえる。

▲牛が引いていたと思われる農具
その後についても残っている記録は多くないが、帳簿を見ると畑を管理していた記載が多いという。今も長屋が立つ場所から数百mの範囲で所有地が点在するが、その間をつなぐように広大な畑が広がっていたと考えられる。戦後の農地解放や近隣公共施設への寄付などで所有地は減ってしまったのだろう。
倉庫業は戦後、祖父が土地を購入して始めた事業だ。この頃から松田家は倉庫業と賃貸事業で生活してきたのだという。
松田家は京都市の伏見稲荷大社から地域のみこしを預かるほどの、いわば地域の名士だ。この地域を支えてきた庄屋の家。今は農業からは形を変えた事業で家をつなぎ、エリアを盛り上げているが、今もその傍らにはみこしがある。「おみこしを預かる環境で育ち、家業の倉庫業を担うようになってますます地域に役立つ事業ができる基盤があることに感謝しています」(松田オーナー)
一部の長屋を民泊化 地域の資産になるまちづくり
現状経営には困っていないが、松田オーナーは改革の手を緩めることはない。賃貸不動産事業を伸ばすのが当座の目標だ。
20戸の長屋は、現在退去が出た後の募集を停止。7戸を民泊にする計画が進行中だ。
「賃貸物件だけでは収益に限界があります。今後の維持・管理を考えても、もっと収益性が高い事業も織り交ぜる必要があると考えています」(松田オーナー)
住居と民泊の戸数のバランスは事業を進めながら考えていくという。貸し方は変えていくものの、人が集まり関わり合うという昔ながらの生活スタイルは守っていく。松田オーナーが行いたいのは、まちづくりだ。人が集まるようになったら「ここにしかないにぎわい」が生まれると松田オーナーは考える。
「民泊に文化体験を付与し価値を高めることで、よりこの地域が盛り上がれば、観光やビジネスにもつながります。それが地域の資産になると思うのです。小商いのようなものができて、ここでしか味わえない体験ができる街並み。これは面白いのではないでしょうか」(松田オーナー)
新事業に伴って、もう1つ実現したいことがある。それは無借金経営からの脱却だ。父は無借金にこだわり、工場の大規模修繕ですら現金払いで行ってきた。
「父が無借金を貫いたことは素直にすごいと感じます。ただ、これからの時代は目まぐるしく変わる。バランスシートの調整はプロに任せることにしました。事業の在り方はAIも含め、さまざまな業種の人の意見も借りながら調整していますし、そのためには借り入れを行うことも必要です。資産のバランス的にも積極的に借り入れを起こしました」(松田オーナー)
まちづくりとさらなる事業改革にまい進する松田オーナー。
「自分が力を入れたからといって、将来子どもに後を継いでほしいと言うつもりはありません。私自身も両親から後を継げといったプレッシャーを与えられたことはありませんでした。ただ、次世代が困らないように事業の改革は進めていきたいと考えています」(松田オーナー)
父とは経営方針の違いで随分ぶつかった。「一度は言い合いの後に、長屋修繕の現場に大工さんたちが来なかったこともあったくらいです。よくよく聞いたら、父が止めていた(笑)」
だが、松田オーナーの父への尊敬の念は深い。経営の進め方は違えど、社長として矢面に立ってかじを握り続けてきたのは父で、自分は専務という現場に近く、動きやすいポジションでいろいろと学び、自由にさせてもらったからだ。
祖父は早くに亡くなってしまったため、父は32歳から1人で家を背負ってきた。「先代のいない状態で、しかも若くして事業を引き継ぐのは大変だったと思います。いきなりたくさんの人の生活を背負うプレッシャーを想像すると…。土地や事業を持っているありがたみも苦しみもあったはずです」(松田オーナー)

(2026年6月号掲載)

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