<ファミリーで支える賃貸経営>
被災者の暮らしを支えた30戸のマンション
退去抑制の鍵は入居者と積み重ねた母の会話
兵庫県明石市のJR山陽線明石駅から徒歩10分。本木時久オーナー(兵庫県神戸市)が所有するSRC造11階建てマンション「エンゼラート明石」は、1997年の竣工から29年を迎えた今も、ほぼ満室の状態が続いている。家賃は共益費込みで11万8000円、30戸すべて同額に統一している。近隣相場と比較しても、築年数を考えれば決して安い水準ではない。それでも空き部屋は出るそばから埋まり、改修工事中の段階で次の入居が決まることも珍しくないという。この安定感を生み出すためには、本木オーナー自身の努力に加え、同マンションに住んでいる母親の存在が不可欠だった。
本木時久オーナー(兵庫県神戸市)

祖父の代で途絶えた家業
本木家のルーツは江戸時代にさかのぼる。徳川の世になり、明石城主が松平家に代わった時、それに伴ってこの地に移り住んだ宮大工が祖先にあたるという。近隣の寺や五重塔を手がけた家系で、その後は材木商として明治・大正と商いを続けてきた。
家業が途切れたのは祖父の代だった。跡取りだった息子たちが病気や戦争で次々と亡くなり、親戚筋から養子を迎えてどうにか家名をつないだ。その養子にあたるのが本木オーナーの父であり、大手自動車企業に勤めるサラリーマンだった。父は祖父から「本木の家が途絶えるのは困るが、材木商を継いでほしいとまでは思わない」と言われていたという。家業は祖父の代で静かに幕を下ろしたが、土地が残った。
その土地は国道沿いにある300坪超の場所にあり、非常に重要な資産だったが、1950年代の国道拡張で約半分を失ってしまったという。
「ほぼ無償で持っていかれたらしいと聞いています」(本木オーナー)
結果として手元に残ったのは約150坪。それでも明石駅至近、国道に面したこの土地が、後に重要な役割を果たしていく。
震災から3年、決めきれない時間
転機は1995年1月17日の阪神・淡路大震災だった。明石市の本木家もトイレが壊れ、屋根が抜け、住める状態ではなくなった。当時の本木家は本木オーナーとその両親、さらに出産直後で里帰り中だった妹も同居していた。震災後、一度は避難所に身を寄せたが、妹が連れていた乳児の存在や、両親が犬・猫を飼っていて避難所での生活は難しく、程なくしてペット飼育可の近隣賃貸へ移った。
しかしその際、本木オーナーだけは半壊した実家に残った。実は同年4月に結婚を控えていたが、震災の影響で結婚式を1年半延期することになった。その間、両親と同じ場所に移り住むことはせず、半壊した実家を修理しながら式を終えるまでそこに住み続けた。そして結婚後、本木オーナーが実家を出ると、代々住み継いできた家と土地が空いてしまった。ここの活用が次の問題となった。
「父はサラリーマンで不動産に関する知識はなく、建て替えか売却か、あるいは維持か。なかなか決断を下せないまま時間が過ぎてしまいました」(本木オーナー)
動き出すきっかけになったのは、行政からの提案だった。被災者向けの「特定優良賃貸住宅(以下、特優賃)」制度である。相場賃料よりも安く貸し出し、市場価格との差額は行政が補填する。入居者は市場より安い家賃で住める一方、オーナーにとっては相場賃料で安定した入居が見込める制度だ。

97年竣工のエンゼラート明石は11階建て30戸のマンションだ
空いてしまった土地の活用もでき、被災者のためにもなるのであればと特優賃を造ることに決めた本木家。建築には数億円の資金を要したが、明石駅から徒歩10分、国道沿い150坪の土地の担保評価は高く、問題なく銀行から融資を受けることができた。そして96年に着工し、97年にはSRC造11階建て・全30戸のマンション、エンゼラート明石が完成した。入居者の負担は6万9800円。行政補助を加えると、オーナーが受け取る実質家賃は約9万円だった。
特優賃の終了も問題なし
約15年間続いた特優賃の期間は、竣工からずっとほぼ満室で推移した。しかし、本木オーナーがこの時の順調な入居状況を振り返り「効いていた」と語るのは、相場より入居者が安く住めるという制度のことではなかった。
「父母が自ら住み、常に物件の清掃をしていたこと。これがうちのマンションが人気だった最大の理由だと思います」(本木オーナー)
両親は、完成と同時にマンションの一室に居住した。母は管理会社から共用部の清掃を業務として請け負い、自分の住まいでもある建物を、毎日こまめに磨き、植栽の手入れまで行っていた。
「毎日1回どころじゃないです。朝昼晩と、何度も掃除をしていました。だから近所の不動産仲介会社を回った際には、『エンゼラート明石はいつ行ってもきれいで、すごくお薦めなんですよ』と言ってもらえるほどでした」(本木オーナー)
- 特優賃を建設するために解体することに決めた明石の実家
- 震災後の実家の様子。震災の爪痕を隠すようにブルーシートがかけられている。
特優賃の期間満了に伴い、入居者の家賃負担が約7万円から9万円へと一気に上がってしまうことは、本木家の大きな懸念点となっていた。ここを乗り切ったのは母が入居者と積み重ねてきた対話だった。
掃除を頻繁に行っていると、当然だが多くの入居者と顔を合わせることになる。その度にあいさつを交わしていると、住人の顔と名前が一致するまでの関係になったという。その関係値のうえで、管理会社を通じて事前に「特優賃の終了とそれに伴い賃料負担額が増えること」を前もって丁寧に説明していたため、いざその時がきても問題は全くなかったという。さらにうれしいことに、ほとんどの住人が退去せずそのまま残ったのだ。母の日々のあいさつのなかで、住民たちには金額以上の魅力が伝わっていたのだろう。
独学で15以上の資格を取得
本木オーナーが本格的に経営に関わり始めたのは2022年からだ。父に認知症の兆候が現れたため、任意後見の手続きを進めた。そして、不動産の管理実務についても引き取った。
「最初は本当に何もわからなかったですね。利回りの計算すらできず、修繕の判断基準など、ありとあらゆることを、一つずつ勉強して学びました。目標として関連資格の取得を掲げ、独学で取っていくことにしました」(本木オーナー)
家主の会のブログを読み、オーナーに必要な資格を調べ、着実に取得していった本木オーナー。最初に取ったのはファイナンシャルプランナーの資格だった。そこから、福祉住環境コーディネーター、電気工事士、宅地建物取引士、賃貸不動産経営管理士、敷金診断士、賃貸住宅メンテナンス主任者など、3年間で取った資格は15を超える。その中で特に実務的にも活躍しているのが、電気工事士だという。この資格を取得したきっかけは、工事の見積もりからだった。
エンゼラート明石の場合、コンセントとスイッチが1部屋あたり27カ所ある。その交換の見積もりを専門業者に出してもらうと、12万8000円だったという。これを自分で施工することで、部品代だけの約2万円に抑えられているため、賃貸経営における貢献度は大きい。
・ファイナンシャルプランナー(3級→2級)
・福祉住環境コーディネーター
・電気工事士
・消防設備士(乙種6類、甲種4類)
・ボイラー技士
・防災士
・宅地建物取引士
・賃貸不動産経営管理士
・敷金診断士
・賃貸住宅メンテナンス主任者 など
資格取得後は、1部屋あたり2万2000円ほどで交換できている。テレビモニター付きインターホンも同様で、5万円の見積もりが部品代1万5000円で済むようになった。
ただし、本木オーナーは「自分でやる」と「プロに任せる」の線引きも大事にしている。
「温水洗浄便座の交換は私もできますが、洗濯機の給水まわりなどは未経験者が手を出すには難しくて。失敗すると壁を壊さないといけなくなるので、そういったリスクのある部分はプロに任せています」(本木オーナー)

※特優賃期間は補填が入るため、実質入居者負担額が69800円。(実際の賃料は約90000円)
和室を残した人気物件
引き継ぎ後、本木オーナーは退去のたびに段階的なリフォームを始めた。システムキッチンへの入れ替え、温水洗浄便座やテレビモニター付きインターホンの設置、スイッチのワイドスイッチ化、LED照明への変更など、現代のニーズに沿った設備に刷新した。家賃は様子を見ながら9万円から段階的に10万8000円、11万円台へと引き上げ、現在の11万8000円に落ち着いたという。
判断が難しかったのは和室だった。当初は洋室への変更を検討していたが、近隣物件をインターネットで調べ、仲介会社にも聞いて回るうちに方針を見直した。
「小さい子どもがいるファミリーが多いので、和室があるほうがいいという結論になりました。あえて洋室にしても、コストを取り返せる家賃にはなりません」(本木オーナー)
- 当初から良い素材を使っていたため、フローリングは張り替えずとも十分に今も使えているという
- 植栽の剪定も含め、本木オーナーの父と母が毎日維持管理をおこなっている
そのため、和室はそのまま残した。フローリングも当初から良い素材を使っていたため、傷みが少なく、清掃のみで足りた。建物自体は、10年ほど前に約5000万円をかけて外壁を全面改修しているため、タイルがはがれ落ちるようなトラブルは一度もないという。
「ありがたいことに物件を内覧したいという人が退去前や工事中の段階で現れて、すぐに入居が決まります。気持ちよく内覧してもらうために、ウエルカムボードや内覧セットも作ったんですけど、全く置くタイミングがないです(笑)」(本木オーナー)
家族で住み、家族で守る
母による物件の維持管理は今も続いているという。父は少し前に他界したが、母は変わらずマンションの一室に住み、毎日の掃除を欠かさない。さらに25年からは本木オーナーの娘夫婦も、26年からは息子夫婦も同じマンションに住んでいる。一方で、本木オーナー自身は神戸市に居を構え、あえてこのマンションには住まないようにしている。
「自分も同じ建物に住んでいたら、もし以前と同様の震災が起きたときに家も賃貸物件も同時に失うことになります。そういった有事でのリスク分散として、判断しました」(本木オーナー)
また本木オーナーは、神戸市に自宅はあるが、現在は東京都渋谷区に単身赴任中だ。ただし、月に1~3回は明石へ戻り、点検や仲介会社回りを行っている。建物の日常清掃などは母が行い、今後は娘夫婦なども手伝っていく予定だ。そして、本木オーナーが東京から戻った際は、ハード面の判断と外回りを担うというように、自然と役割が分かれているという。
デッドクロスの解消が課題
現在の課題はデッドクロスだ。築29年を迎えたエンゼラート明石は、減価償却費の減少により、課税所得が増え返済額に占める元金部分も増えてくる時期に入っている。そのため、支払う税金が増えることにより、会計上は黒字でも手元資金が残りづらくなってしまっている状況だ。そんな中、借入期間は残り7年弱となった。土地の担保余力があることから、デッドクロス解消のため法人化を視野に入れているという。
「ローンの残存期間は約7年ですが、26年6月には法人を設立し、土地の担保余力を利用した資金調達を行って、建物を法人へ売却する予定です。そうすることで、新たに減価償却費を計上しつつ、返済期間を延長してデッドクロスを解消したいと考えています。法人名は『本木久右衛門』としました。資産を守り、価値を維持することもそうですが、代々受け継がれてきた先祖の名前を冠した法人で、地域に根差した誇りある家系を築きたいと思っています」(本木オーナー)
築29年・ほぼ満室・工事中に次の入居が決まる。その実績を支えてきたのは、毎日の清掃とあいさつや設備への投資判断、引き継いでから独学で積み上げた知識、そして家族が同じ建物に住んでいるという事にある。母が維持管理を続け、本木オーナーが東京から戻って手を入れる。親子の連携が、同物件の柱になっている。
(2026年7月号掲載)






