パン屋からの事業転換で資産を築く

賃貸経営ストーリー

<<敏腕オーナーの軌跡>>

パン屋からの事業転換 70億円を超える資産を築く

1923(大正12)年。小山将義オーナーの祖父が始めたのは街のパン屋さんだった─。創業100年余りを経た現在、小山家は都内を中心に多数のマンション、ビルを保有する不動産会社に生まれ変わっている。3代目である小山オーナーは、パン工場から街のパン屋へ、そしてパン屋から不動産賃貸事業へ事業転換した2度の過渡期を乗り切ったという。

小山将義オーナー(東京都品川区)

 

都心の一等地を中心に地方でも物件を所有

 1棟もののマンションやオフィスビルを17棟、そのほか区分マンションや保育園を所有する小山家。港区、千代田区、渋谷区という東京の一等地を中心に、神奈川や京都、福岡にも物件を増やしてきた。現在、年間家賃収入は約3億5000万円。所有不動産の売買評価額ベースでの総資産額は、約70億円にもなるという。

 43年前の1983(昭和58)年に小山オーナーが家業を継いだ際、小山家の主業はパン屋で、不動産経営はどちらかというと副業の扱いだった。その時の年間家賃収入は4000万円ほどだったという。つまり小山オーナーは、自分の代で家賃収入を10倍近くにも増やしたのだ。

 そして今、家業は不動産事業1本だ。パン屋は2007(平成19)年に閉店したからである。

 パン屋から不動産への事業転換は戦略的なもので、小山オーナーはパン屋の閉店から逆算して10年以上準備してきたという。

 「周囲には『3代目で家業をつぶした』と言う人もいます。でも、パン屋はつぶしたというより、畳んだだけですね。ですから、気にしてません」と小山オーナーはほほ笑む。

 「すご腕」の3代目は、いかにして事業転換をし、不動産を増やしてきたのだろうか。その軌跡を追う。

愛される街のパン屋さんから不動産事業1本へ

戦後の需要でパン屋は順調

 小山家のパン屋は、祖父が1923(大正12)年、関東大震災の直後に東京都品川区で開業したのが始まりだ。東京都内の老舗パン屋で修業した祖父がこの地に立ち上げたという。パン屋は地域住民に愛されており順調。またその傍ら37(昭和12)年には、祖母がパン屋の裏手に2戸の高級仕様の借家を造って副収入を得るようになっていた。

 転機は第2次世界大戦だった。45(昭和20)年6月、B29爆撃機の空襲で、パン屋も借家も灰になり、その直後終戦を迎えたのである。

 だが、すべて燃えても小山家はすぐに家とパン事業を立て直すことができたという。なぜなら、戦後はパンの需要がものすごく高かったからである。戦後の学校給食は、アメリカの余剰小麦の提供により毎日パン食だった。祖父は借地にパン工場を建て、この需要に応えて朝から晩まで働いたのだ。並行して街のパン屋としての商売もしており、学校の長期休暇中も休む暇はなかったという。

 商売としては順調。そう見えたが、不幸が小山家を襲った。50(昭和25)年のクリスマス。祖父は働きすぎがたたって52歳の若さで急に亡くなってしまったのだった。

 それを受け、51(昭和26)年、パンなど一度も焼いたことのない父がパン屋を継いだ。勉強が好きだった父は学者肌。大学で教えるほどで、パン屋を継ぐ予定はまったくなかった。そういった事情でパンの知識がない父だったが、パン職人を雇い順調に売り上げを伸ばしていたという。客相手の商売が好きだった父は、買い物客と会話を楽しんだり、近隣の学校の売店で学生たちにパンを売ったりと楽しみながら働いていた。

 

 パン屋の収入を支える意味で、祖母は不動産事業も再建した。52(昭和27)年ごろにはパン屋近くに単身者用の住まいを建てたり、その家賃を貯めたものとパン屋の売り上げを活用してほかにもアパートを土地から建てたりとこちらも順調だった。

 祖母の不動産事業をうらやましく感じていた母もまた、72(昭和47)年にパン屋の近くに従業員用の社宅を建てるなど不動産方面で頭角を現していったという。
「祖父母や両親の時代は、家族一丸となってパン屋を営み、加えて女性陣が不動産経営を仕切っていましたね」(小山オーナー)

 しかし、またしても小山家は時代に翻弄されることになる。70(昭和45)年ごろから給食に米飯が導入され始めたのだ。小山家のパン屋のエリアでは80(昭和55)年ごろに通達があり、月曜日から金曜日まで安定的に売れていたパンは、最終的には週2回程度の頻度となることに。小山家のパン屋も売り上げががくっと下がってしまうことが予想されたという。この逆境に燃えたのが、3代目となる小山オーナーその人だ。

 「20代の終わり頃、会社員としての生活に限界を感じていました。そのタイミングでの実家のピンチに『この状況をどう乗り越えるのか。地域の皆さんに愛されるようなお店をつくりたい』という志が芽生えたのです」(小山オーナー)

 給食ではなく、街のパン屋として店づくりに力を入れたい。そのために、小山オーナーはフランス・パリとスイス、日本のパン屋で合計5年間修業を積み、スキルを磨いて実家に入ったという。

 「家を継ぐ直前に修業していたパン屋で妻と出会いました。ほれた女性とおいしいパンを焼ける。これは今考えても幸せでしたね」(小山オーナー)

不動産で月に350万円

 給食に米飯が入って以来、雇用していたパン職人たちに新しい職場を探してもらった。全員が再就職先を見つけた後、今後は家族・親族だけでパン屋を営むことにした。83(昭和58)年、小山オーナーは本格的にパン屋の経営を担うようになり、夫婦でパン屋を切り盛りし始めた。

 その頃、小山オーナーに転機が訪れた。パン工場の立地が良かったことから、この土地を銀行として活用したいという申し出があったのだ。前述のとおり、給食需要が落ちたことから大規模のパン工場は要らない。小山家としても工場をどうしたものかと考えていたところで、まさに渡りに船だったのだ。

▲1967(昭和42)年ごろの小山家のパン屋

 早速小山オーナーは、借地に立っていた工場を取り壊し、資金を借り入れて立派な建物を建て、それを銀行に貸した。「地主さんへの建て替えの承諾料や銀行の建物代は支払いましたが、それだって月々の収入で数年かけて取り戻すことができました。賃料が毎月235万円も入ってきたのです。家の収入は安定しました。不動産はいいなと改めて思いましたね」(小山オーナー)

 パン屋も、元の場所から徒歩数分の場所に規模を縮小して再オープンした。

 実はこの頃、小山オーナーの両親は健在かつ現役だった。父は家族と共に生き生きとパンの売り子をしていたし、母はバリバリ不動産収入の管理をしていた。「一応私が経営を継いだ形ではありました。ですが、不動産収入は母ががっちり管理していて。『自分の道は家業で切り拓いていきなさい』と、ぜいたくどころか運用もさせてもらえなくて……。もやもやしていましたね。いくら母に『相続したらおまえのものになる』と言われても、ピンと来ませんでした」(小山オーナー)

 このように多少のもやもやはありつつも、昭和の終わり頃の一家は平和に過ごしていた。

 パリでの修業で覚えたクロワッサンアマンドは、日本では珍しいパンで人気の逸品。またおしゃれなパンだけでなく、庶民的な焼きそばパンやメロンパンもよく売れていて、〝愛される街のパン屋さん〟はまさに順風満帆だった。しかも、不動産収入だけで銀行に貸した建物やそのほかのマンションなどを合わせて月に350万円もあり、一家の財は増えていった。

 ─だが、大きな決断の時は確実に迫っていた。

腕に自信はあるが不動産へ

 パン屋を継いで10年ほどたった92(平成4)年。相変わらず街のパン屋はにぎわっていたが、小山オーナーはひそかにパン屋を畳んで不動産事業にシフトすることを決意していた。正直なところ、パン屋を続けていく道もあった。「パンではだれにも負けない」と腕に自信があったからだ。しかし、パン屋は事業そのものの魅力はあるものの、働き方や利益の構造に問題があると考えていたという。

 「パン屋をがんばろうと思うと、人手が必要になります。また品質のいいパンをつくろうと思うと原価率は上がって利益が出にくい。そういったところにジレンマを感じていました」(小山オーナー)

 ちょうどそのころ、バブルがはじけて不動産の価格が下がってきた。それを目の当たりにした小山オーナーはいよいよ不動産事業に心惹かれていったのである。

 そこから小山オーナーは不動産の猛勉強を始めた。求めたのは経験値。ひたすら多くの物件を見に行って、良しあしを見定める目を養ったのだ。

 「家のお金は母が仕切っていたので使うことはできません。しかし、不動産の所有状況を売買事業者に見せると、いくらでも物件を紹介してくれました」(小山オーナー)

 最初は素人同然だったが、年間100件以上は内見に出向いた。そんな生活を2~3年続けていくと、図面や金額などの情報だけである程度内容がわかるようになってくる。4年目からは、データを見て、ここならばと感じたものだけを厳選して見に行くようになった。

 初めて物件を取得した2001(平成13)年までの間に見た物件は、恐らく700件は超えるだろう。いわゆる一等地といわれる場所の中でも、利回りや資産価値の高い、とりわけ好条件のものが小山オーナーの考えるいい物件だった。

 物件の目利き力を高めていくうちに、小山オーナーは売買事業者からも一目置かれる存在になっていった。「彼らも不動産売買の業界で百戦錬磨だから、客を見る目があるということでしょう。『これだったら小山さんは食い付いてくる』と、私が気に入る物件をあらかじめ選んでおいてくれるようになりました」(小山オーナー)

 01(平成13)年からは、物件を年に1~2棟のペースで買うようになった。相続対策にもなることから、父も母もついに購入を認めてくれたのだ。

 「両親は『相続対策をしなければならないね』という話を聞き入れて実行してくれました。両親が私に任せたのは、パン屋の実績を認めてくれる部分があったからではないかと思います」(小山オーナー)

 最初に取得したのは東京都港区芝のビル。それからは、同区六本木のビルや東京オペラシティの並びにある渋谷区初台のビル、東京・秋葉原のビルなど誰もが知る都会の不動産を増やしていった。

 


 06(平成18)年にはついに新築マンションを手がけた。東京・駒場の60坪の土地が非常に気に入った小山オーナー。見に行った足で銀行に出向き、融資の相談をしたほどだった。

 こうして07(平成19)年に竣工したのが、RC造7階建て26戸のマンションだ。一等地に立つ分譲仕様。「自分の手がけた物件がこんなにいいところにある。心が躍る感覚でした」(小山オーナー)

 実は、この新築マンションが完成したころには、小山オーナーの周りでたくさんの変化があった。竣工したのと同時期に父が亡くなり相続が発生した。毎年家族で「今年相続が発生したらどうなるか」とシミュレーションし、借り入れで物件を取得していたので、相続税負担は軽く済んだ。

 一方で〝父が生きているうちは〟と営業していたパン屋は、07(平成19)年に畳むことになった。収益は随分前から不動産が支えていたのだが、父が生きているうちだけはと期限を決めて営業していたのだ。

 念願だった新築マンションの竣工、父の死に伴う相続税の発生、80年間も続けていたパン屋の閉店。07(平成19)年は3つの大きな出来事が重なった年になった。

地方の物件取得に本腰

 こうして事業転換を成功させた小山オーナーだったが、その後は、パンの腕が錆びないようにと調理学校でパンづくりの講師をしたり、近隣に不動産を買ったり、それまであまりできなかった旅行をしたりと悠々自適に過ごしていた。そんな時に出会いがあった。共通の知人を介して出会った横浜市鶴見区の地主、塩田真人オーナーがきっかけで〝地方物件〟にも目を向けるようになったという。

 2人の出会いは2014(平成26)年。以来小山オーナーは、塩田オーナーが京都や福岡に勢いよく物件を買っている姿を友人として近くで見ていた。最初は見ているだけだったが「『地方もいいなぁ』と素直に思えてきたのです」(小山オーナー)

 ちょうど東京の不動産の価値が上がってきた時期で、一方で、自身の借り入れは減っていく。実際、今後の相続のために対策の必要性は感じていた。しかし何よりも、友人を見ていて「もっと利回りのいい不動産が地方都市にあるんだな」「もっと不動産の値段が上がったら買っておけばよかったと思うのではないか」などといった思いがどんどん膨らんでいったのだ。

 毎月のように塩田オーナーと共に、東京都心に加えて京都や福岡の物件を盛んに見て回るようになった。もちろん、自身の見る目にかなった物件はスピーディーに購入していく。

 「塩田さんから刺激を受け、背中を追いかけるように、私も京都や福岡の物件を探しに行くようになりました。15(平成27)年ごろには京都の宿泊需要が増してホテルを探すのが困難になったので、二条城のそばに2000万円弱の区分マンションを買って拠点にしたほどです」(小山オーナー)

 この京都の拠点を購入した15(平成27)年ごろから、実際に物件を買い始めた。東京よりも利回りが優れ、東京一極集中よりもリスク分散できた点で、満足のいく結果となったという。

事業の引き継ぎを進めつつ次世代に期待

 こうして70億円を超える規模の資産を築いた小山オーナーだが、物件を増やし続けることに不安がないわけではない。不動産事業は途中でやめにくい側面もあるからだ。資産と相続対策の関係を考えると、定期的に借り入れを行う必要がある。

 実際、不動産を取得するたびに資産は増える一方で、手元の現金は減る。家賃収入が増えれば増えるほど所得税率は上がる。その一方で、相続対策に本腰を入れる必要もある。

 「憧れていた地主さんの仲間入りをしたら、結構大変なことになりました(笑)。それまでは、こんなに骨の折れることだとは思わなかったのです。しかし、不動産はどんな事業でも必要となります。いいものを次世代に残せばきっと役に立つでしょう。後進が彼らのやり方で活用してくれると思っています」(小山オーナー)

 そして、不動産投資にはえも言われぬ喜びと価値があるという。

 「特に、自分の物件を見に行くのが好きです。福岡や京都に行くたびに道を歩けば自分の物件がある。何物にも代えがたい、すごくいい気分になるのです。1つ1つ違う物件を集めていく楽しみもあります」(小山オーナー)

 


 今後は、取得よりもリフォーム・リノベーションに力を入れる意向だ。物件をグレードアップさせ、家賃を少しだけ上げることも想定している。

 不動産は、いずれ2人の子どもたちに引き継ぐ予定だ。近年は法人で物件を買うようにしており、25(令和7)年の夏には息子に代表取締役を引き継いだ。株もすべて移譲済みで、借金が多く、株に値段が付かない時期に戦略的に譲った形だ。「息子には、人の流れを分析する才能があると思っています。どの場所でどういう人をターゲットにするのかを見定めて、量より質で良質な事業を行っていってほしいと考えています」(小山オーナー)

 今、個人で持っている物件はもう1つの法人に買わせ、それを株の譲渡で娘に渡すべく動き始めたところだという。「娘に引き継ぐ予定のビルでは、2年前から民泊事業を行っています。まず自分でやってみましたが、内装や備品など、女性ならではのセンスが生かせる事業だと感じました。彼女の感性でいい運営をしてくれるでしょう」(小山オーナー)

 小山オーナーは、自分の代で年間家賃収入を約3億円以上伸ばした。その源は、祖母や母から不動産経営の基本を、祖父や父からは客商売で人とコミュニケーションを取る大切さを学んだことにあるだろう。次世代への引き継ぎを見据え、小山オーナーは新しいステージへと突入していく。

(2026年8月号掲載)

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