「女系家族」に見る 地主家の「遺言の逆襲」

コラム名作に学ぶ

<<名作に学ぶ地主と相続>>

第3回 今月の作品女系家族
地主家の「遺言の逆襲」

遺言が引き起こす争い

 ある地主家の相続で、印象に残っている遺言があります。先代は婿養子。妻の実家に入り、長年、貸地や貸家の管理、同族会社の資金繰り、親族との調整を一手に担ってきた人でした。周囲からも「立派な当主」と見られていました。

 相続が始まり、その人が残した遺言を拝見すると、不動産はこの相続人に、預金は別の相続人に、会社関係は後継者に、と驚くほど細かく指定されていました。冷静に時間をかけて考え抜かれた様子でした。

 ただ、そのあまりにも整った準備に、私はどこか引っかかりました。法的には整った遺言でも、作成者の迷いや感情の揺れが行間に残ることは少なくありません。その違和感を見事に描いた、相続をテーマにした作品が、山崎豊子の「女系家族」です。

著者:山崎豊子 出版社:新潮社(新潮文庫)


 女系家族は、大阪・船場の老舗商家、矢島家の相続を巡る物語です。矢島家は、代々跡継ぎの娘に婿養子を迎えて家を守ってきた女系の家です。当主・嘉蔵も婿養子でした。

 嘉蔵の妻は数年前に亡くなっており、相続人となる3人の娘、長女・藤代、次女・千寿、三女・雛子が、嘉蔵の多額の遺産と家業の行方を巡って争い始めます。そこへ、嘉蔵がひそかに囲っていた女性・浜田文乃の存在が明らかになります。さらに、文乃が嘉蔵の子ども(男の子)を身ごもっており、嘉蔵が生前に胎児認知の届け出を済ませていたことも明らかになります。女系で続いてきた矢島家に、最後になって男児が現れるのです。

 これは単なる愛人騒動ではありません。相続の視点から見ると、婿養子として長年家に尽くしてきた嘉蔵が、自分を軽んじてきた家に対して、遺言という法的手段で最後の意思表示をした物語なのです。

 もちろん、不貞や隠し子を肯定するつもりは全くありません。しかし、相続の現場にいると、嘉蔵の心情を一笑に付すこともできません。地主家には、家を支えながら、正当に扱われていないと感じる人がいます。

 「家のために働いてきたのに、最後は血筋の人間だけで決めるのか」

 そうした思いが積み重なると、遺言は争いを防ぐ道具ではなく、争いを生む道具になってしまうことがあります。

感情度外視ではいけない

 地主家の相続で難しいのは、財産と家業と家族感情が一体化していることです。貸地、貸家、賃貸マンション、農地、同族会社株式、先祖代々の自宅。これらは単なる資産ではありません。誰が守り、管理し、我慢してきたのかという記憶が刻まれています。

 現代の地主家でも「収益物件をもらえるなら得ではないか」と外からは見えます。しかし実際には修繕、空室、借地・借家の扱い、近隣対応、納税資金など、受け継ぐ側には重い責任があります。一方、受け継がない側は「結局、土地をもらった人が得をした」と感じます。

 受け継ぐ側は「責任を負わされた」と思う。受け継がない側は「財産から外された」と思う。この2つの感情が言葉に翻訳されないまま、遺言だけが示されると、家族は激しく揺れます。

 女系家族で重要なのは、嘉蔵が相続と遺言の仕組みをよく調べていたことです。彼は、文乃の胎児を自らの相続人とするため、生前に胎児認知の届け出まで済ませていました。胎児認知には母の承諾が必要で、認知された胎児が生きて誕生すれば相続人となります。なお現在では、嫡出子と嫡出でない子の法定相続分は同等です。

 つまり、遺言は書き方次第で、家族の力学を大きく変えることができるのです。自宅敷地や収益物件の承継先、代償金の準備方法、同族会社株式の集中先。遺言1つで、家の未来は大きく変わります。

 だからこそ、遺言はある意味で「怖い」のです。

 正しく使えば、争いを防ぐ設計図になります。しかし、感情を整理しないまま使えば、家族への最後の反撃にもなってしまいます。女系家族の遺言は、その両方を持っています。嘉蔵には娘たちへの配慮も、家業を守る考えもありました。しかし同時に、女系の家に対する積年の怒りもありました。遺言には、その人の品格だけでなく、傷も出るのです。

 もう1つ、この作品で注目したいのは「誰と組むか」です。相続の現場では、相続人だけで話が進むとは限りません。配偶者、おじ・おば、番頭、顧問税理士などの専門家、知人、不動産会社。周囲の人の一言で、相続人の感情は大きく動きます。

「もっと主張したほうがいい」「今ここで譲ったら一生損をする」。こうした一言が、相続を争いへ傾けることがあります。いい助言者もいますが、結果として火に油を注いでしまう人がいるのも事実です。地主家では財産規模が大きく、関係者も多くなりがちです。だからこそ「相談相手」は、財産評価と同じくらい重要です。

人生を振り返る大切さ

 では、女系家族から地主家は何を学ぶべきでしょうか。

 私は、遺言を書く前に、まず「自分の傷」を見つめることだと思います。誰に感謝しているのか。誰に寂しさを感じているのか。誰に家を託したいのか。誰にわかってほしかったのか。その感情を整理しないまま遺言を書くと、遺言は冷静な設計図に見えて、実は感情の爆弾になってしまいます。逆に、その感情を整理できれば、遺言は家族への最後の贈り物になるでしょう。地主家の遺言とは、土地の配分表である前に、家族への最後の説明責任なのです。

 だからこそ、地主家の相続では、早めに専門家を交え、財産だけでなく感情も整理しておくことが大切です。遺言を書くことは、家族に自分の人生をどう
伝え、どう受け取ってもらうかを考える営みにほかなりません。

感情の爆発か、贈り物か。遺言は書き方次第


税理士法人レガシィ(東京都中央区)

天野大輔代表社員税理士・公認会計士

慶応義塾大学大学院文学研究科修了。2015年、税理士法人レガシィへ入社。相続実務、事業承継・M&A(合併・買収)コンサルティング、デジタルサービス企画・開発に従事。21年、グループ代表に就任。

 

(2026年9月号掲載)

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