<<家主の生きざま>>
3代で受け継ぐ「足るを知る」 家賃収入を残す堅実経営
「足るを知る」─それをモットーに不動産経営を行うのが糸川康雄オーナー(大阪市)だ。個人と法人で、賃貸住宅をメインに保育園やテナント合わせて約40戸を所有。年間家賃収入は数千万円ほどになる。だが、糸川オーナーの生活は決して派手なものではない。「家賃収入でいわゆるぜいたくはできるでしょう。でも、私はそうはしません。足るを知らないといつまでも“何かが欲しい”状態で心が欲に振り回される。私はただ、入居者が満足に過ごしてくれることや、家業の存続に不安がないことが幸せなのです」(糸川オーナー)
糸川康雄オーナー(大阪市)
- ▲所有するRC造マンション。6年前にはエレベーターを新調し、今年は屋上防水と外壁工事を行う予定
三方よしの経営スタイル
糸川オーナーの所有物件の特徴は、そのほとんどが築古であるということだ。稼ぎ頭である大阪市のRC造マンションは、糸川オーナーが家業を継いですぐに手がけた新築物件で、今では築40年を超える。だが、45㎡の1LDKで今も家賃7万円を稼ぎ、ほぼ満室だ。また大工だった祖父や父が建てた木造物件の中には現役で稼働しているものもあり、その中には築60年になるアパートもある。現在は1階にデイサービス施設が入居し、2階は糸川オーナーの事務所に使うなど、今なお現役バリバリだ。丁寧に手入れをして長く稼働させるスタイルで、借入金の返済が終わっている物件が多く、家賃収入の多くが手元に残る。
建物を保つこつはメンテナンスだ。RC造マンションは小まめに点検と修繕をしている。コンクリートのひび割れに水が入ると鉄筋がさびて膨張し、爆裂を起こしてしまうが、それさえ防げば100年以上は問題ない。木造アパートについても、数年に1度のタイミングでリフォームをすることで補強が可能で、時には間取り変更を含むフルリノベーションも行ってきた。いずれも手入れの良さで築年数を感じさせない魅力がある。しばしば糸川オーナーや2人の息子が出向いて対応する安心感も相まって、所有物件はほぼ満室を維持している。
「きちんと手入れをすれば、木造で築60年超のものでもほぼ問題なく使えています。借り入れをつくるために建て替えたほうがいいとの意見もよく聞きますが、私はそうは思いません。入居者が安全に暮らせるなら、古い建物を大切に使うことに問題はないでしょう。まだ使えるものをわざわざ壊すのは性に合いませんし、経営的なメリットもあるのです」(糸川オーナー)
糸川オーナーが狙う入居者層は、相場より高い家賃を出す余裕がない人や、家賃を節約したいと考える人々だ。その層は厚いため、入居が決まりやすく長く住んでもらえるのだという。そうすると、おのずと家賃設定も〝そこそこ〟がいいということになる。築古物件を多く所有する糸川オーナーは、リフォームの程度を調整することで、そのエリアのマス層が求める物件・家賃を実現してきたのだ。
この道40年、借地の整理や入居者トラブルなど、地主・家主につきものの苦労はあったものの、常にほぼ満室経営を維持してきた糸川オーナー。多少の出費があっても生活には困らない。その気になれば自由に使えるお金も多いが、徹底的に質素倹約にこだわる。その考えは、物件への投資にも共通している。
「はっきり言えば、建て替えやあまりに高額のリフォームは無駄です。いいさじ加減のリフォームで、ほどほどに現代の水準に合った家賃で長く入居してもらうほうが、住むほうも家主もうれしい。古い建物も大切にできて、三方よしとなるでしょう」(糸川オーナー)

▲RC造マンションに建て替える前のアパート
周りから学んだ姿勢は堅実さ
これまでの家主人生で、幾多の苦労はあったが、経営破綻してしまうのではないかとまで追い込まれたことはない。それは、常に余裕のある経営を心がけているからだ。
「私たち家族が何とか危機を乗り切れるのは、ぼちぼちでしかやっていないからです。無理のない支出はどのくらいなのかという感覚は、長年の積み重ねで培ってきたものだと思います」(糸川オーナー)
その境地に至ったのは、長くこの地で不動産経営を行ってきた中で、何人ものオーナーが失敗する姿を間近で見てきたのが大きな理由だろう。
例えば、糸川家と類似の物件を手がけた家主。普通に経営していれば何の問題もなかったはずだが、バブル景気の頃にぜいたく癖がつき、高額の敷金を使い込んでしまった。退去の際に返すお金がなくなり、自転車操業の末に廃業した。
ほかにも、一気に規模を拡大した投資家家主。家賃収入を丸々遊興に使ってしまった。後から修繕費はおろか固定資産税すら支払えなくなり、どこへともなく失踪してしまった。
そして最も大きな教訓となったのが母の弟、叔父の生きざまであった。叔父は祖父母亡き後、家業をほぼ1人で切り盛りしてきた姉である糸川オーナーの母より多くの資産を相続した。祖父が土台を築き、さらに母が不動産を増やした糸川家の資産は多く、叔父の相続財産は当時の価値で数億円にも上ったという。だが叔父は相続後すぐに不動産をすべて売却。得たお金をわずか30年ほどで使い果たしてしまったのだ。
「叔父は相続直後に不動産を全部売って、それで『長者番付』に載ったほどでした。普通なら一生かかっても使い切れないほどのお金はあったはずです。それなのに……」(糸川オーナー)

▲祖父の工務店では寺院建築も請け負っていた
私たち家族が何とか危機を乗り切れるのは、
ぼちぼちでしかやっていないからです
相続物件売却後の叔父の生活は、まさにぜいたくの探求だった。何度も買い替えた自宅にはプールが付いていることすらあった。ビルを買って2~4階を自宅にしていた頃には、シャンデリアのほか、なんと金の茶釜まで飾られていたという。
「子どもの頃は叔父の家に遊びに行ってプールで無邪気に遊んで、豪華な調度品を物珍しく眺めた思い出もあります」(糸川オーナー)
当然だが、そんな生活ではお金は出ていくばかりで入ってこない。相続を機に遊びのような仕事も辞めてしまった叔父。不動産を売却しているので家賃収入もない。いわゆるお金持ちではあるが、誰の目にも破綻は避けられない未来が映っていた。叔父の自宅は買い替えるたびに小さいものになっていき、お金がどんどん減っていることは明らかだった。
叔父が亡くなり久しぶりに親族が集まった際、残された家族が暮らしていく蓄えなど少しも残っていないことが判明。後の祭りだった。
「せめて家賃収入のある物件を1つでも残していたら、叔父の遺族はそれなりの生活ができたでしょう。本当に、お金が消えるのはあっという間なのです。しかも、お金を生み出してくれる不動産を売ったらもうおしまい。叔父の破綻では恐怖と共に大きな教訓を得ました」(糸川オーナー)
- ▲現在は1階にデイサービス施設が入居している
- ▲父が建てた築60年のアパート
- ▲2階は糸川オーナーの事務所として活用中
叔父の件で恐ろしさを感じたのは両親も同じだったようだ。糸川オーナーの両親は、相続した子ども世代の金銭感覚が狂うことは絶対に避けるべき事態だと考えていたようだった。
両親は、糸川オーナーと兄と姉の3人に、自分たちの財産を引き継がせ、家業を行ってもらうことに決めていた。
暮らしの中できょうだいに家賃収入の意味合いを言い含め、そして、将来きょうだいが支え合って暮らせるように生前から公正証書遺言を残してくれたのだという。
そのおかげで、今も糸川オーナーがきょうだいの物件の管理やリノベを行うなど、関係はすこぶる良好だ。
旅館を解体してアパート建築
不動産経営を始めたのは、糸川オーナーの祖父だ。祖父は明治時代、和歌山県で工務店を経営していた。寺院建築を任されるほどの高い技術力があり、職人も何人か雇うような事業規模だったという。
祖父の娘、つまり糸川オーナーの母によると、そんな祖父は工務店の傍ら旅館経営でも事業を拡大させたいと考えていた。実際に祖父は明治の終わりに地元の観光地に自分で旅館を建て、自ら経営していたという。
だが、当時は交通インフラもなく、旅館事業はうまくいかなかった。やむなく祖父はこの旅館を解体。その材木とともに大阪にやって来て、工務店の仕事を続けながら、新たに賃貸アパート事業を行うことにしたのだ。旅館の材木は大阪の地でアパートとして生まれ変わり、これが糸川家の賃貸経営の始まりとなったのである。
その後祖父は大阪の地に根を張り、工務店としての仕事で得た資金や、少しずつ増えていった物件の家賃収入で、新たに賃貸物件や旅館を建てていったという。
「大阪でも工務店や旅館を転廃業するといった失敗もありながら、こつこつ資産を増やしてきたと聞いています。もともと旅館だった建物を購入してアパートに転用したこともあったそうで、熱意とアイデアあふれる人でした」(糸川オーナー)
戦後は残った土地にアパートや長屋を建てて家業を立て直し、資産を大きく増やしていった。祖父が亡くなった後は、祖母と父母とで家業の経営を行うようになったという。
父が建て、母が買う
現在の糸川家の不動産は、両親が手がけた物件も数多い。特に母は不動産の売買が好きで、例えば大阪市に3階建ての鉄骨造マンションや奈良に2階建てアパートなどを購入していった。当時は近畿日本鉄道が沿線の大阪や奈良の開発をしており、母に連れられて開発中の住宅地をいくつも見て回った記憶があるという。
一方父は、祖父が大工の腕を見込んで東京から大阪に連れ帰った人物だ。祖父仕込みの腕で、自らいくつものアパート建築に取り組んだという。
父が建て、母が物件を買い、一族はどんどん物件を増やしていった。
「家族一丸で事業をしていたこともあり、自分の家というものは高校生ぐらいまでありませんでしたね(笑)。私の記憶にある幼少期の〝家〟はほとんどアパートの管理室です。しかも、何カ所かのアパートの管理室を転々として育ってきました。廊下の艶出しをしたり、台風が来たら戸板をくぎで打ち付けたり、それはそれでなかなか経験できない楽しい思い出になりました」(糸川オーナー)

▲借地権を解消する際に買い取った長屋
物件の新築と長屋の買い取り
1986年、糸川オーナーは30歳の節目に家業を継いだ。
当時の顧問税理士から「不動産管理法人をつくって、個人のほか法人に利益分散させるようなやり方をしたらどうか」と法人設立を提案されたことが1つのきっかけになったという。両親は健在だったがすでに高齢で、当時は独身で身軽だった糸川オーナーが家業を任された。
家業を継いでまず行ったのが、先に紹介した大阪市のRC造マンションの新築だ。もともと祖父が建てたアパートが朽廃しかけており、建て替えたのだという。
いきなりの大仕事だったため、当初はハウスメーカーに話を聞くくらいしか選択肢がなかった糸川オーナーだが、新築に詳しい家主仲間と出会い、いいアドバイスを受けることができた。それは、設計と施工を分離して入札させるというアイデアだった。今でこそ分離発注はコストダウンの手段としてよく聞くようになったが、当時としては斬新な手法だったという。
「昔から大阪は助け合いの地です。それは家主同士も例外ではありません。両親もアパート組合、現在の「おおや倶楽部」に所属していました。その縁で詳しい人につながったのです。家主人生の最初から人に助けられました」(糸川オーナー)
建てたタイミングもよかった。バブル直前だったこの時期、これから住宅地として花開くことになるこのエリアは、とにかく住宅が不足していたのだ。
「当時、入居者募集の垂れ幕を出したら、建築中にもかかわらず、申し込みが殺到して大人気でした。事業者も『客付けさせてほしい』とひっきりなしに問い合わせしてきて。敷金も10カ月分が普通で、しかもそれが支払えるような人しか入ってこない。本当に景気のいい時代でした」(糸川オーナー)
こうして、最初の新築は大きなトラブルもなくうまくいった。同時に行ったのが、RC造マンションの隣地にあった長屋の買い取りだ。ここは糸川家が借地人に貸している土地であったが、地代が昔のまま上げられず、ぼろぼろの建物が立ったまま、父母の代から膠着(こうちゃく)状態が続いていたのだ。「戦時立法である地代家賃統制令により、地代が上げられなかったのです。その地の借地人はうちから借りた土地に建物を建ててそれを第三者に貸していましたが、同じ法律で家賃も上げられなかったため収入も少ない。結局資産価値が低いまま年月だけが過ぎていって、母も気に病んでいました」(糸川オーナー)
糸川オーナーは代替わりしたタイミングでこれを一気に片付けることにした。借地人から建物を買い取り、その結果として借地権を消滅させ土地の所有権を得る手法を取ったという。これは地主が借地権を解消するためにはオーソドックスな手法である。しかしそれにかかった金額は莫大なものだった。
「ぼろぼろの建物なのに、当時の価格で1軒買うのに1500万円ほどまで買い取り額が膨らんでしまって…。また建物を買うということは、低家賃の入居者ごと引き取るということです。借地人がまた貸ししている家賃は相当安いものでした。この先うまくいくかはわかりませんでしたが、ここできれいに土地や建物を自分たちの所有にしたら、将来また隣のマンションとつなげることもできるかもしれません。ずっと先のことを考えて思い切って買いました」(糸川オーナー)
この土地は最近やっと収益を生み出す土地に生まれ変わった。
結局30年ほどこの地に入居者が住み続けたが、近年おおや俱楽部の活動の縁で保育園の話が舞い込み、更地に戻した後、現在は保育園となっている。保育園は20年の定期借家で事業者に貸しており、ついに念願だった長期入居で、安定収入を生み出す土地とすることができた。

▲長屋のあった場所では現在、保育園が運営されている
常に時代の流れを意識
こうして、現在も安定した経営状態を保ち続けている糸川オーナーだが、常に自身の相続のことは考えている。「私が明日仕事を辞めても、息子たちが後の支払いに困らない状態を常に維持しないといけません」(糸川オーナー)
2人の息子は40歳と38歳だ。将来的には長男が経営、次男がリフォームというように役割分担して資産を守ってほしいと糸川オーナーは考えている。すでに物件は2つの法人に分けて、公正証書も作成済みだ。
「資産家の子どもたちや親族がもめるのを散々見てきましたから。いくら今の仲が良くても、時がたつと変化することはありますし、代が変わればもっとリスクは高くなりますからね」(糸川オーナー)
自身が家主として過ごしてきた40年間で、人の住むエリアも暮らしも変わった。父が建てた当初はハイグレードの住まいだったアパートも、時代を重ねてごく普通の人が住む場所になった。そうした流れを見てきたからこそ、変わらないものはないと次世代に伝え続けている。
「これからの大阪は、人の住むエリアや住む人の所得の分布も急速に変わっていくでしょう。幸いわが家の物件は場所がいい。兄弟で協力して変化に敏感に対応し、地に足の着いた生活をしていってくれればと思います」(糸川オーナー)
- ▲マンションの出入り口はセキュリティも万全
糸川オーナーは自身の賃貸経営の傍ら、2002年から26年まで、24年の長きにわたって、家主たちの自助組織である「おおや倶楽部(大阪生野共同住宅組合)」の組合長を務めてきた。同組合は「困ったときには助けられ学習努力して自立し困った方を助けてあげられる喜びを共に分かち合う団体を目指そう」をスローガンに、家主を業とする人を積極的にサポートできる組織を目指している。必要な知識の習得や相互アドバイス、組合員同士の物件見学などの活動を手弁当で行ってきた。
多くの家主たちに“利他”の精神で接してきた糸川オーナーは、26年4月に代表を後進に譲った。「私自身が教えられることも助けられることも多かった」と振り返る。
今後は同会の名誉会長として、少し気楽に多くの家主たちの相談に乗りたいと考えている。
(2026年9月号掲載)

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