<<地主の戦略>>
「守るために買う」
1500坪の地主が歩んだ資産承継の道
ほとんど家賃収入がないところから不動産事業を起こし、「守る」と「稼ぐ」を使い分けて収益を伸ばしながら相続税と戦ってきた鈴木家。40年前に祖母が亡くなった際の相続税額は巨額の4億5000万円、11年後には父も亡くなりさらに1億6800万円の相続税も課せられた。これらの納税のために行った借り入れは今なお返済中だ。現在、鈴木俊之オーナーはこの40年の教訓を生かし「後継者に苦労をさせない」との強い思いを持つ。その決意のもと未来を見据えた事業を展開している。
鈴木俊之オーナー(右)・貴之オーナー(左)

相続税4億5000万円がすべての始まり
鈴木家は現在、2つの法人を柱にして不動産賃貸事業を行っている。土地は代々受け継いだ東京都世田谷区千歳船橋エリアを中心に所有。そのうち、世田谷の土地には、戸建て賃貸、介護施設、保育園、レストランを、一方で渋谷区神宮前には高級仕様のビルを持つなど、多様な不動産を運営する。
今でこそ経営は安定しているが、ここに至るまでの40年間は鈴木家にとってまさに激動だった。そもそも鈴木家が不動産事業を始めたのは、莫大(ばくだい)な相続税を納めるため。それしか選択肢がなかったからなのである。
今から約40年前の1985年、鈴木俊之オーナーの祖母が亡くなった。それがすべての始まりだった。
鈴木家の所有地は小田急電鉄小田原線千歳船橋駅から徒歩3分ほどの場所だ。祖父は早くに亡くなっていたため、祖母が亡くなる前までは、この地を祖母と父が個人で所有していたという。祖母が亡くなり、祖母の所有分を一人息子の父が1人で相続することになった。
ここからが大変だった。その時に課された相続税は、なんと4億5000万円だったのだ。
千歳船橋駅周辺は、昔は農村地帯でそれほど地価も高くなかったが、都心のベッドタウンとしてどんどん宅地化が進んだ歴史がある。すぐ隣には都内屈指の高級住宅街「成城」があり、高度成長に伴って地価は上昇。さらに、祖母が亡くなった頃はバブルの真っただ中だったこともあり、その価値はうなぎ上りでグングン上昇していた。そのため土地にかかる税金は想像を絶する額になってしまったのだった。
そんな状況にありながら、当時は祖母も父も、全く相続税対策をしていなかった。代々鈴木家は農業や養豚を営んでいた家だったため、そもそも相続税の節税についてほとんど関心を持っていなかったという。それでも多少の土地活用はしていたものの、不動産収入はあくまで生活の助け程度で行っているに過ぎなかった。むしろ農地にするわけでもなく、ほぼ更地の状態で置いていた土地も多くあり、税額はさらに高く算出されたのだ。
実際、当時1700坪以上あった鈴木家の広大な所有地にあったのは70坪の自宅、3棟のアパート、あとは駐車場のみ。当時は父も俊之オーナーも、そして俊之オーナーの兄もそれぞれが勤めに出ており、自分が“地主”という意識自体が薄かったという。しかし、当時の収入を一家合わせても到底相続税など払えないことは誰の目にも明らかだった。
「何もしなければ土地を失う――」
必要な納税額に比べれば、まだスズメの涙ほどの収入しかない現状から、4億5000万円を何としてでも払い切る。これが鈴木家の相続税との長い長い闘いの始まりだった。
- ▲スペインの街並みを思わせる、黄色がアクセントカラーの戸建て賃貸「アルカステル」
父は相続税を延納した
窮地に立たされた父はまず、時間の猶予を得るために相続税を15年の割賦で納めることに決めたという。延納することで納税額そのものがかなり膨らんでしまう見込みだったが、当時はやむを得ない選択だった。また銀行と交渉して資金繰りを計画するには時間が必要だと考えたのだ。
「父は15年の割賦で相続税を納めることにしました。しかし、4億5000万円を単純に15回で払うということにはなりません。金利分が余計にかかるのです。その頃の税務署の金利は4・8%。返済額はどんどん膨らみ、15年で6億円払う計算になってしまいます。すると1年に4000万円返済しなくちゃいけないんですね。でも、そうするしかなかったのです」(俊之オーナー)
延納の結果、鈴木家が支払わなければならない相続税は年間4000万円となった。
これに加え、固定資産税が重くのしかかった。当時の鈴木家の不動産は駐車場が中心で、固定資産税における小規模宅地の軽減措置が適用されなかったからだ。固定資産税は年間1500万円にも上っており、相続税と合わせて税金だけで年間5500万円払わなければならない事態に陥っていた。
だが、結局このやり方で納税できたのは最初の数年だけだった。年間5500万円もの支払いは、普通に働いてどうにかなるような金額ではない。悩んだ挙げ句父は、86年に100坪、87年に50坪の土地を売却したが延納した相続税は減少しなかったという。しかも、毎年こうして土地を切り売りしていたら、代々受け継いできた土地のほとんどを失いかねなかった。
そこで父は、一大決心をしたという。金利や返済方法の融通が利いた銀行から借り入れを起こして相続税を一括で納め、銀行へ返済していくことにしたのだ。
とはいえ、これで鈴木家の苦しい状況が変わったわけではなかった。その後も数年間は利子の支払いしかできないような状況で、元本はなかなか減らなかったという。
相続発生から7年後の92年には一族の個人不動産を管理する資産管理会社「貴鈴」を設立した。法人化を通じて、資産管理体制の整備と併せて、それまであまりやらずにいた土地活用を本格化させた。
「父が代表取締役になり、母、私、兄、姉が役員になる形の会社でした。父の個人資産をなるべく法人に移しておくことで将来の相続に備えるとともに、駐車場や遊休地を活用するための法人化でした」(俊之オーナー)
土地活用としてまず翌年に手がけたのが、女子寮の建設だった。駐車場だった453坪の土地に大きな建物を建てて大手警備会社に貸し出した。建設のためにさらに借り入れた資金は5億5000万円にも及んだが、警備会社との建物借り上げ契約によって20年間は安定した収入が得られる。このことで、銀行への元本返済が進み始めた。

▲父が1993年に手がけた女子寮は今、老人ホームとして事業者に貸している。20年の定期借家契約が終わった後内装をリフォームし、2012年にはほぼそのままの状態で新たな定期借家契約(20年)を結ぶことができた。父の残した大切な財産だ
残りの土地についても継続的な方針を打ち立てた。その時重視したのは建物を可能な限り法人で取得すること、個人所有の不動産は土地も含めて長期的に法人に売却することだ。
「千歳船橋は土地の評価額がとても高いので、個人にかかる相続税を抑えていくことを長期的な目標に据えました。法人が個人の不動産を取得するには法人に資金力が必要です。計画的に時間をかけて進める必要がありました」(俊之オーナー)
相続税がさらに1億6800万円課される
法人設立から3年後の95年の秋になった。俊之オーナー自身も当時勤めていたシティーホテルを辞めて家業に専念することにした。父と共に土地や税金のことを学んでいこう、一族の不動産の管理に自分が関わっていこうという思いからだった。
ところがこの直後、鈴木家を再び激震が襲うことになる。
その年の年末、それまで元気だった父が急に倒れ、翌96年の年始に急死してしまったのだ。当時父はまだ64歳。その死は家族の誰も想像もしないものだったという。
結局俊之オーナーが父と共に経営を行ったのはわずか3カ月ほどの期間となってしまったが、その悲しみに追い打ちをかけたのが、またしても相続税だった。
祖母の死を契機に始めた相続税対策はまだ道半ばだったこともあり、父の相続税は、母ときょうだい合わせて1億6800万円。そのうえ、父が支払っていた祖母の相続税はまだ3億8800万円も残っていた。合わせて5億5600万円もの納税が鈴木家を襲ったのだ。
思えば、祖母の死により突然巨額の相続税を課されたショックからまだ11年。鈴木家を襲った2度目のショックは1度目以上に衝撃的だった。
結局、飛び地だった一部の土地を60坪ほど物納したものの、残りの土地は売却したりせず再び金融機関から借り入れを行った。税務署に一括納付して金融機関に返済していくことで何とかその場をしのいだという。
「金融機関への返済期間を長期にしたことで、返済金額はある程度コントロールできました。しかし、相続のたびに発生する巨額の相続税を目の当たりにして、いよいよ土地活用の事業に本腰を入れなければならないと感じました」(俊之オーナー)
ついに1000坪計画、始動する
警備会社の女子寮を建てた後の、残りの鈴木家の土地は一続きの1000坪だった。その敷地の中央の辺りに俊之オーナーの実家があったが、これを取り壊すことを決意したという。そうすることで、1000坪を一固まりと考えて土地活用を行うことができるからだ。鈴木オーナーは、これを“1000坪計画”と呼んでいる。
「真ん中にあったのは築300年の古い実家だったのです。私の祖母も庭園や池が好きだった。でも、そんな悠長なことは言っていられない。先祖には申し訳ないという気持ちはありましたが、全部壊すことに決めました」(俊之オーナー)
土地活用について5~6社からプランを示してもらったところ、そのほとんどが低層の賃貸マンションだったという。確かに、シミュレーション的には最も魅力的。だが、最終的に俊之オーナーが選んだのは戸建て賃貸群だった。
「収益的にはマンションのほうがいいのです。それなのになぜ戸建て賃貸群かというと、20年たったら税制が変わるだろうと考えたのが一つの理由です。木造だったら壊せても、鉄筋コンクリート造は壊すのも難しい。また、もしお金が必要になったときに、戸建て賃貸なら分筆すれば売却できます。そして、一番大きかったのは建て替えへの不安でした。マンションにしてしまったら、自分たちのタイミングで建て替えできるかも不透明ですから」(俊之オーナー)

戸建て賃貸群に付けた名前は「アルカステル」。スペイン・カタルーニャ地方の言葉で城を意味する言葉だ。97年にまずA~Eの5棟、そして99年にF~Kの6棟が完成した。
このほか、敷地の一角には40台止められる機械式駐車場を、そしてレストランも1軒造ることにした。ホテル勤めで飲食事業に携わってきた俊之オーナーが家業に専念するにあたり、生前の父と「せっかくだからレストランをやろうか」と話していたことが背中を押した。
こうして、1000坪計画の核となる物件が完成した。
その後約10年間は、個人名義の物件の所有を徐々に法人に移していった。例えば、2009年には女子寮の建物を個人所有から貴鈴に、さらに土地の借地権も同社に売却した。個人にかかる相続税を抑えていくためだが、法人の資金力を高めつつ実行するため、長い時間を要した。この間、俊之オーナー自身はレストランのホールマネージャーをしながら、着々と法人の資産管理マネジメントを進めてきた。
結局、1000坪計画にかかった費用は9億円ほどだった。決して少なくない投資ではあったが、所有地の資産価値が評価されて借り入れもスムーズに進めることができた。年間家賃収入1億円で、利回りも高い。相続税を返すのに必死だった頃から一歩進み、事業の拡大に成功したのである。
11年には母が亡くなったが、1000坪計画での借り入れの効果もあり相続税はほとんどかからなかったという。祖母、父と、過去2回の相続発生時には、一家の危機を迎えたのだったが、“3度目の正直”で見事過去の教訓を生かすことができた。
17年には残っていた一画に保育園を建てて1000坪計画は完了した。
「当時、世田谷では待機児童が大問題になっていました。少しでも地元の役に立つ事業をと思いました。実現できてうれしかったです」(俊之オーナー)
世田谷を守るために高級ビルを買う
1000坪計画の成果によって、千歳船橋の鈴木家の土地の収益は上がるようになったが、法人による個人所有不動産の取得はまだまだ道半ばだった。法人として貴鈴は、警備会社の女子寮(12年からは老人ホームに20年定期借家契約で賃貸)や保育園、一部の戸建て賃貸を取得していたが、資金面で余力がなく、1000坪計画の建物のすべてを取得することは難しかったからだ。また当時貴鈴の代表取締役は兄が継いでいたため、自分の考えだけで思うように事業を行いたいという気持ちもあった。
そこで俊之オーナーが選んだのは、自身が別の法人を立ち上げ、都心の不動産を買って資金源にするという大胆な行動だったという。世田谷の代々の土地を守るために自らリスクを背負って都心の高級ビルを買う。俊之オーナーはそれをやってのけたのだ。
13年に自ら法人リライアンスを設立。会社で借り入れを起こし、18年に神宮前に、19年に下北沢に高級仕様のビルを取得した。渋谷のビルは今も所有しているが、下北沢のビルは24年に売却した。「下北沢のビルは、建てて売って、その資金で世田谷の個人所有不動産をリライアンスで買おうと思っていました。実際、何棟かの物件を買うことができました」(俊之オーナー)
渋谷のビルについても、いずれ売却すれば、法人が世田谷の残った個人資産をすべて買うこともできる。また相続税の支払い原資にもなる規模の資産価値がある。
「私は、世田谷の不動産を残すためにこの2つの不動産を取得しました。息子にも言ってあるんです。私が亡くなった後にここを売って、会社に所有物件を買い取ってもらって相続税を払えと」(俊之オーナー)
息子には相続税の苦しみは与えたくないという思いで大胆な対策を成功させた俊之オーナー。法人の借入金が多く株価もほぼゼロであることから、近い将来の株の譲渡も視野に入れている。

▲神宮前リライアンスBldg
息子のやり方で経営をしてほしいと願う
俊之オーナーは、これまで一家が相続税に追われた40年をこう振り返る。
「もし、父が亡くなった時にすべて物納していれば、そこで相続税の支払いからは逃れることができたと思うのです。つまり、違う人生があったんですね。でも、この千歳船橋の土地があったからこそ銀行はお金を貸してくれて、今家族が暮らしていけるだけの家業になった。苦しかった相続税の苦労はもうごめんだけど、やはり代々暮らしてきた土地への思い入れは強いものがあります」(俊之オーナー)
まだ相続税支払いのために行った借り入れは2億円も残っている。先々の投資や事業資金を考えれば決して余裕があるといえない状況だ。しかし、次世代に託す心構えはできている。
家の法人である貴鈴は、兄と自身の息子、貴之オーナーとの共同代表になった。俊之オーナー自身がつくった法人リライアンスもいずれ息子が引き継ぐだろう。
「私としては世田谷の地を残してほしいという気持ちがあります。そして、当初は世田谷の不動産を残すために買った渋谷のビルも、もしかしたら残していけるかもしれません。息子は息子の考えで経営を進めてほしいと思います」(俊之オーナー)
父の姿を見て育った貴之オーナーも、自身の経営について未来を描く。
「代々受け継いだ千歳船橋の土地だけでなく父が取得した渋谷のビルもまた、私にとって大切な家の不動産です。何とか手放さずに承継することができるよう考えていきたいです」(貴之オーナー)
まだ個人所有の土地は7筆残っている。これを可能な限り法人所有に整理することが当面の目標だ。

(2026年11月号掲載)

1500坪の地主が歩んだ資産承継の道
資産承継と社会貢献を目的に財団法人設立 ―公益財団法人光山文化財団
不動産で実践する三分法と三方よし ―ツカキグループ
家族一丸となって承継を見据える



