築350年の土蔵を改修 地域住民へ学びの場として提供
川崎の地で、江戸時代から続く小林家の小林覚オーナー(川崎市)は、自宅の庭に残されていた2棟の土蔵を2018年に改修。地域住民へ開放するため、レンタルスペースに生まれ変わらせた。小林オーナーの地主としての思いを聞く。
小林 覚オーナー(川崎市)
タワーマンションが林立し、多くの商業施設が立ち並ぶ東急電鉄東横線武蔵小杉駅。同駅から徒歩12分ほど行くと、小杉御殿町と呼ばれる地区がある。かつて徳川家康が、ここにタカ狩りのための御殿を構えたことに由来するのだという。
この地で、小林家は江戸時代から豪農として知られた存在だ。小林オーナーは地主として、7階建て48戸のマンションと底地、築350年超の土蔵2棟を改修したレンタルスペースを所有している。
小林オーナーは中学生のときに父を亡くした。その後、1988年に祖父が亡くなった当時はまだ大学4年生。相続はまだずっと先だと考えていた中での祖父の急死だった。こうして、小林オーナーは一夜にして、およそ2000坪の土地を受け継ぐ小林家の当主になったのだ。
借地人が都合のいい解釈 底地の売却に15年かける
▲閑静な住宅街に立つベルザーネ小杉御殿町
事業承継はもちろんのこと、相続税対策も一切されていなかった。数億円の相続税の支払いのため、銀行の融資を受けた小林オーナーは、相続した土地のおよそ半分を占める底地を売却し返済に充てていこうと考えた。「祖父が亡くなったのはバブル絶頂期。相続税の申告を終えて返済が始まったのはバブル崩壊後。土地の値段が下がる中、売っても売っても相続税の返済は進みませんでした」と小林オーナーは振り返る。
▲土蔵脇には灯龍や道祖神が残されている
さらに小林オーナーの前に立ちはだかったのは底地契約の曖昧さだった。祖父、小林英男は川崎市の市議会議員も務め、同地の郷土研究にも尽力した名士だった。所有する土地に関しても、戦前・戦後に御殿町にやってきた人々に二束三文で貸すことで、地域の発展につなげようという思いがあった。そのため、小林オーナーが借地人に売却の話を持ちかけても「この土地は、かつて小林家からもらったと聞いている。いきなり底地だったと言われても困る」などと言われ、話を進められないケースが多発したのだ。
それでも、小林オーナーは諦めなかった。会社員としての仕事を続けながら、時間を見つけて借地人一人一人と粘り強く交渉を続け、数十件あった底地も残りわずかとなった。
「残りの借地人との交渉は長丁場になる」と考えた小林オーナーは、返済に充てる家賃収入を得るべく、賃貸物件の建築に踏み切った。2003年、自宅南側にあった庭の一部に竣工したのが、全48戸のファミリー向け物件「ベルザーネ小杉御殿町」だ。繁華街から徒歩圏内だが、御殿町は閑静な住宅街。一度入居すると長期入居も多く、満室経営中だ。
歴史的に貴重な土蔵 住民に利用してもらう
順調な賃貸経営での家賃収入もあり、相続税返済に終わりが見えたのは2018年。相続発生から20年が経過していた。
ようやく一息つき、自宅敷地内にある2棟の土蔵をどう扱おうかと考えを巡らせた。2階建ての蔵は、それぞれ質屋を営んでいた際に質草を保管するために使用されていたものと、みそ蔵として使用されていたもので、当時は倉庫として使われていた。「相続の時は売却してしまおうとすら思ったことも。でも、自宅の敷地は守りたい一心で手放しませんでした」(小林オーナー)
第一種住居地域であり、9階建ての物件の建築も可能だ。解体して収益物件を建てることを念頭に、専門家に蔵を見てもらった。すると蔵を見た専門家は「これは大変なものです。文化財としての価値がある貴重な蔵ですよ」と言うではないか。
蔵自体はくぎを使用しない寺社建築の手法を用いており、アプローチの御影石もノミ切り仕上げと呼ばれる、原石をノミ1本で平らに仕上げる方法が取られていたことがわかった。決め手になったのは妻かおり氏の一言だ。「代々の当主が受け継いできたものを、あなたの代で壊すのは嫌です」という言葉に「それももっともだ」と思い直した。せっかく残すなら地域の人々に使ってもらえる場所にしたい。そう考えた夫妻は、レンタルスペースにすべく蔵の改修に着手した。
基礎の一部分の傷みが激しかったため、曳き家を行って修繕した。修復に関しては、群馬県沼田市から寺社建築の大工を招き、3カ月ほど住み込みで作業にあたってもらった。蔵をそれぞれ「壱の蔵」「弐の蔵」とし、前者は1階、2階共にフリースペースに、後者は1階にトイレとキッチンを新設した。
レンタルスペースとして貸し出すにあたり「寺子屋三左蔵さんざぐら」という名を付けた。小林家の当主が代々「三左衛門」を名乗っていたこと、そして文化財を大切に引き継ぐためにはパーティースペースではなく「学びの場」をコンセプトに据えて地域に開放したいという思いから寺子屋を冠して、この名前にした。
およそ1年半かけた修復の完成した頃、蔵の保全に向けて背中を押してくれた妻が亡くなった。お別れの会は完成した蔵で行ったという。
現在、蔵は英会話教室やヨガレッスンなどに使われている。「コンセプトどおりに使ってもらえているのは、当主としてありがたいことです」と話す小林オーナー。代々受け継いできた蔵を、守るだけでなく開放することで、その歴史の息吹を広く感じてもらえる。これからは地域全体に愛される建物になっていくのだろう。
(2024年11月公開)
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