<<地主のターニングポイント>>
祖父から継いだ駐車場経営から脱却
ホテル建設で不動産事業に弾みをつける
「本当にやりたいことが見つかるまで、地道に駐車場のみを経営すべし」。そう言い続けた祖父から事業を承継した赤玉商事の川越英和社長。日本青年会議所で培った人脈とバイタリティーとで、ホテル建設を実現した。
赤玉商事(宮崎市)
川越英和社長
宮崎市は2月に行われるプロ野球の秋季キャンプの中心地だ。
「朝晩は冷え込みつつも日中は穏やかな気候だというのが、宮崎市がプロ野球のキャンプ先に選ばれる理由です」と川越社長は話す。
キャンプが行われれば、取材をするメディア関係者やファンが集まる。彼らが滞在する市内のホテルの一つ「コンフォートホテル宮崎」は川越社長が2018年に竣工し、30年の定期借家契約でホテル事業者であるグリーンズに貸し出しているホテルだ。年間を通して約85%の稼働率だという。
このホテルを筆頭に、川越社長は、18戸のファミリータイプのマンション「エストコンフォート」を1棟、そして国道沿いのコインパーキング「赤玉パーク24」、宮崎市郊外に300~350坪規模の月極駐車場を4カ所経営している。
赤玉商事が不動産事業を開始して45年余り。川越社長が16年にマンションを竣工するまで長らく駐車場経営のみを行ってきた。
「祖父はことあるごとに『建物を造るのは最後の最後にしろ』と言っていましたから」(川越社長)
娯楽事業の成功で土地を購入 リスクを取らない駐車場経営
赤玉商事は戦後、祖父が娯楽事業を興し、成功させる中で宮崎市内の土地を入手していった。
当初キャバレーを複数店舗経営していた祖父だったが、キャバレーは人材の確保や育成に多くの時間を費やす必要があった。そこで、次に始めたのが市民の間で人気の出ていたパチンコだった。
「これが大当たりで。祖父の経営するパチンコ店にばかり人が行くというので、ライバル店からは『あの付近には幽霊が出るらしいから行かないほうがいい』なんてうわさ話を立てられるくらいだったそうです」(川越社長)
そうして増やしていった現金資産を祖父は土地の購入に充てた。できるだけ広い土地をと考えた祖父は、基本的には300坪以上の土地にしか手を出さなかった。この考え方が、川越社長の代になっての土地活用に役立つこととなった。
土地の取得に貢献したパチンコ店の経営だが、1980年代に入ったところで閉業した。理由は、川越社長の父親が遊興事業を嫌ったからだ。
「父は小さい頃より持ち続けていたパチンコに対する悪いイメージをどうしても拭い去れなかったようです。『パチンコ店を経営しないと生活できないのか』と祖父に言い続けていたそうですから。経営にも関わっていませんでした」(川越社長)
そこで新たな法人となる愛英商事(現RBカンパニー)を設立、鹿児島県のパチンコ事業者から請け負っていた景品交換所の経営のみを新法人で引き継ぎ、パチンコ店経営からは撤退。赤玉商事は駐車場貸しとして不動産事業をメインの家業にすることになった。
「物件を建てて家賃が入ってきたとしても返済がある。それならば無借金で駐車場を経営すればトータルの賃料収入は変わらない。リスクを取って建てるよりも、ノーリスクで収益を上げたほうがいいというのが祖父の考え方です。それゆえに『土地活用は本当にこれをやりたいと思ったものができたらやれ。建物を造るのは最後の最後にしろ』と言われていたわけです」(川越社長)
祖父から直接の事業承継 競合少ない地域に物件竣工
そんな祖父が2010年に亡くなり、27歳だった川越社長が事業を引き継いだ。
「私は大学までサッカーをやっていた体育会系の人間。行動的なところは祖父に似ているそうです(笑)」(川越社長)
パチンコ事業からの撤退以降は堅実な駐車場経営を推奨していた祖父だったが、川越社長は時代の変化を感じていた。ただ単に土地を所有して、今までどおりの駐車場経営をしていても、収入はだんだん減っていくのではないか。何か新しい活用をすることでようやく引き継いだものを維持できる、そんな世の中になってきているのではないか。そう考える中で、自分の代での土地活用を決めた。
そうして初めて手がけたのが、宮崎駅の東側、徒歩3分の場所に位置する賃貸住宅エストコンフォートだった。「賃貸住宅を建てようと考え始めたのは15年ごろでした。土地活用の実験といった感覚でプロジェクトを始めました」(川越社長)
元は駐車場だったこの土地を活用しようと考えた理由は、周辺の開発がなかなか進まないためだった。というのも国有地が多く存在するエリアだったからだ。実際、エストコンフォートを建てた土地も、祖父が競売で入手した元国有地だ。
「そのため、周辺では賃貸住宅の建設が進んでいません。ここ10年以内に建てられた築浅の物件がほとんどないため、競合が少ないと見込んでの新築プロジェクトでした」(川越社長)

駅近で人気物件のエストコンフォート
7階建ての1階部分はRBカンパニーの事務所で、2階から7階は2LDKの専有部が18戸。賃料は駐車場込みで10万円前後だ。およそ2億4000万円の融資を受けて建設した。それまで無借金経営を続けていた中で、初めての借り入れとなった。
「当社のメインバンクである宮崎銀行に融資をしてもらいましたが、銀行の担当者からは『初めて赤玉商事の決算書を見た』と言われました。祖父の代からお付き合いはありますが、今まで見てもらうきっかけがなかったのです」(川越社長)
そして、この金額であれば、仮に失敗してもリカバリーが利くとも考えていたと川越社長はいう。
「いかんせん、初めての土地活用ですので、万が一の場合は駐車場を一つ手放せばカバーできる規模の投資にしたいと思っていました」(川越社長)
だが、それは杞き憂ゆうに過ぎなかった。16年の竣工時には満室での引き渡し。現在でも、退去が出ればすぐに次の入居が決まる人気物件だ。
融資12億円のプロジェクト 後押ししたのは青年会議所
エストコンフォートの着工と前後して、川越社長は次の土地活用を念頭に動き始めた。それが、宮崎駅の西側に広がる飲食店街の中心にあった350坪の駐車場だ。
元は前述のパチンコ景品交換所があった場所だが、鹿児島のパチンコ事業者が撤退した後は駐車場として経営していた。

国道沿いの駐車場
だが、赤玉商事の稼ぎ頭である赤玉パーク24と同じ規模の広さがありながら売り上げは半分程度だったのだ。
「赤玉パーク24は国道沿いにありますが、この駐車場は国道から2ブロック奥にあるうえに、接している道路は一方通行なのです」(川越社長)
駐車場は立地がすべて。赤玉商事のファンだから駐車をしたいと考える利用者はいない。今後、この駐車場の売り上げが劇的にアップすることはないだろう。それであれば別の活用方法を考えなくてはならない。川越社長は懇意にしている地元の工務店に相談した。そうしたところ「ホテルの建設はどうか。収益は住宅より圧倒的に高い」と言われた。
「ですが、ホテルとなると投資額は住宅の比ではありません。万が一失敗したら取り返せないと思うと、すぐに決心することはできませんでした」(川越社長)
そんな社長の背中を押したのは日本青年会議所(日本JC)の全国大会が宮崎市で開催されるという決定だった。11年から同会の会員となっていた川越社長は、この全国大会の実行委員長を任された。
日本JCの全国大会というと、1万人以上が集まる大きなイベント。しかし当時、宮崎市内にあったホテルの総客室は4000室余り。とても出席者をカバーしきれない。
「自分のホテルを建てたとしても170室程度ですが、それでも、受け入れ先にはなれます。そう思ってホテルを建てることを決めました。全国大会が開催されるというきっかけがなければ一歩を踏み出すことはなかったでしょう」(川越社長)
早速、相談先の工務店から事業用建物の開発を行う九州都市開発に話が伝わり、3〜4社のホテル事業者を紹介された。
「そのうちの1社だったグリーンズのウェブサイトを見ている時、その理念の第一に『地域社会への奉仕と貢献』と書かれており、そこに引かれました」(川越社長)
グリーンズ本社のある三重県四日市市のJCメンバーにグリーンズについて問い合わせたところ、同社の村木雄哉社長をはじめ、歴代の社長が四日市JCの理事を務めていることを知り、これが決定打となった。
ホテルを建てる土地はある。事業者も決まった。残るは融資をしてもらう銀行の決定だった。
「宮崎銀行は『いまだかつてホテル事業への融資をしたことがない』という消極的な返事でした。同時に打診をしていた福岡銀行は複数のホテル融資案件を手がけていたため、『すぐにでも貸す』という返事でした」(川越社長)
できれば付き合いの長い地元の宮崎銀行で融資を受けたいと考えた川越社長は「宮崎銀行さんと取引をしたい。けれど、最終的には金利の安いほうに決定します」と正直に伝えた。
結果は、頭取決済で宮崎銀行からの融資が決まった。
「福岡銀行の担当者から『宮崎銀行さんは相当頑張りましたね』と言われました。宮崎銀行との関係を続けたいと伝えた私の思いに応えてもらえました」(川越社長)
融資額はおよそ12億円のフルローン。返済期間を30年に設定したため、グリーンズとの定期借家契約も30年にした。
こうして18年9月、9階建てシングルルーム152室、ツインルーム27室の計179室のコンフォートホテル宮崎が竣工した。JC全国大会の開催に間に合い、コンフォートホテル宮崎のオープンは1棟丸ごとJCI大阪が貸し切るという形で滑り出した。

大きなプロジェクトになったコンフォートホテル宮崎
全国初ライブラリーカフェ併設 自由設計のこだわりを詰める
「グリーンズとの契約ではホテルの仕様は基本的には自由設計。そのため、設計士たちと毎週打ち合わせをしました」と話す川越社長。初めてのホテル建設は貴重な経験になった。自由とはいえ、一般的なホテルから大きく逸脱しない「誰もが快適に過ごせる」ホテルを目指した。
「1点こだわったのは、ライブラリーカフェの内装でしょうか」。ライブラリーカフェはホテル1階にあり、朝食時間帯以外は宿泊者が自由に使えるワーキングスペースになる。グリーンズからの提案で、全国初の試みとして導入したスペースだ。
「ここの壁のタイルは、宮崎の空や大地をイメージした華やかでキラキラしたものを採用しました」(川越社長)
コロナ禍を乗り越えて稼働率上昇中
コンフォートホテル宮崎は、オープン直後に新型コロナウイルス禍に見舞われた。グリーンズからも賃料半額を打診されることもあった。
「ですが、時期を乗り越えた暁には通常の賃料に上乗せする形で減額分を返済するとの説明でした。論理的な計画に基づいていて、それならばと了承できました。しっかりした会社と契約できていたのだなと安心につながりました」(川越社長)
同ホテルがコロナ禍を乗り越えられたことは数字にも表れている。初年度の稼働率は約70%だったが、2025年の実績では85%にアップ。加えて客室単価も7000円から9000円に上がったことによりRevPAR(レブパー:稼働率と平均客室単価を掛け合わせた数値。ホテル経営において重要な収益性指標)も1.56倍になっている。
最初の10年間は固定賃料という契約だが、契約の更新内容次第で収益に応じた変動賃料にもなる。RevPARの上昇は今後の賃料収入アップにもつながっていくだろう。
土地活用が難しい時代に突入 次世代には無借金経営で渡す
16年にマンション、そして18年にはホテルを竣工した川越社長。この二つのプロジェクトによって賃料収入は3倍になった。
竣工から10年たったマンションも、新しくできた駅ビルや道路のおかげで利便性が高まっており、10年間満室経営を続けている。
「20年には駅ビル『アミュプラザみやざき』がオープンしました。そして今年には、住民の利用度が高いイオンモールへ迂う回かいせずにマンションからまっすぐ行ける道路が開通しました。そのおかげで賃貸住宅としての価値を維持することができると考えています」(川越社長)

宮崎駅付近の所有不動産
だが、だからこそ次の土地活用には慎重になっているともいう。現在、郊外に4カ所ある駐車場の土地開発だが、住宅という形では難しくなってくると考えている。
「宮崎市の人口は現在40万人を切った程度。県内で唯一増加していたのが、数年前に減少に転じました。30年後には30万人を切るのではないかと考えています」(川越社長)
駅近の立地ならいざ知らず、郊外の土地では住宅需要は低下していく可能性が高いという。
一方で、国道沿いの赤玉パーク24は多くの開発案件が持ち込まれる。しかし建築費の高騰がネックになっている。
「グリーンズより別ブランドのホテルの話もあったので見積もりを取りましたが、コンフォートホテル宮崎の倍以上となる26億円との試算でした。では賃料が2倍になるかというと、そうはならないでしょう。慎重にならざるを得ません」(川越社長)
次の代が承継するときに、足かせになるような物件は造りたくないと考えるのは、やはり自身が家業を継いだ時に無借金経営という恩恵を受けた経験があるからだ。
「息子は今、高校1年生。継ぐかどうかといった話はしていませんし、必ず継いでほしいとも思っていません。でも、親としては息子のためにいい環境を残しておきたいとは思っています」(川越社長)
日本青年会議所では経営者としての心構え学ぶ
40歳まで所属した日本青年会議所では、不登校児に対するケアといった福祉関係など、さまざまな活動を行った。宮崎県内の若き経営者たちとそうした多くの経験を積めたことは、今の自分を形作っていると考える。
「私と同じような2代目、3代目の経営者はどこか親たちの代が敷いたレールの上を走ってしまう傾向があります。一方で、同年代でありながら創業者の立場である人たちは、怖いもの知らずで突き進むバイタリティーがあります。でも彼らは彼らで、家業を継いだ人間の、例えば銀行との関係をうらやましく思っていることも聞きました」(川越社長)
起業経験を持つ仲間たちのバイタリティーに刺激を受けながら、家業を受け継いだ人間としての「安定」も享受できる。そうした自身の立場を客観的に把握しながら「ある意味、自分は最強のポジションにいるのではないか」と考えられたことも、積極的な土地活用へのエネルギーになったという。

宮崎青年会議所の70代目理事長も務めた
(2026年5月号掲載)




