蔵の利活用を通して地域とつながる ―板橋ととと

賃貸経営地域活性

<物件を地域に開く>

一度閉ざした門を再び開放
蔵の利活用を通して地域とつながる

 600坪の土地にたつ本家が空き家になった。そうした状況ではまず、分譲して売却あるいは収益物件を建てるという選択肢が浮かんでくるだろう。一方で連綿と続く歴史を途絶えさせたくないという気持ちも湧き起こるかもしれない。そうした「収益」と「家の歴史」の両立を目指そうと、物件を地域に開く形で利活用し始めた事例がある。蔵をリノベしてテナント貸しとレンタルスペースとして活用する「板橋ととと」だ。

「板橋ととと」 (東京都板橋区)
主宰 蓮沼由紀氏

 東京都板橋区小豆沢。都営地下鉄三田線の志村坂上駅から徒歩4分ほど行くと、静かな住宅街の一角にこんもりと茂った大きな木々とそれを取り囲む長い塀が見えてくる。正面にはあずき色ののれんがかかった薬医門がある。板橋とととだ。

 板橋とととは2025年11月にオープンした複合施設で、およそ600坪の敷地の中には母屋、離れ、土蔵、二階屋そして2つの蔵がある。薬医門をくぐって右手にあるのが「東ノ蔵」だ。1916年築の14坪ほどの蔵を改装したもので、現在はカフェ「apollon」と書店「タイムトラベル専門書店utouto」がテナントとして入居している。

 左手にあるのは「西ノ蔵」で、こちらは7坪の納屋蔵。東ノ蔵のオープン半年後の2026年4月にレンタルスペースとしてオープンした。

「この場所を掃除していると『入っていいんですか、ここ』と聞かれることが本当に多いのです」。そう話すのは、板橋とととの主宰者である蓮沼由紀氏だ。物件を所有する蓮沼家の20代目の姉にあたる。

「それもそのはず。40年以上もずっと閉ざされた家だったのですから」(由紀氏)

名主としての役割
公的な意味を持つ場所

 蓮沼家の歴史は、記録を追える限り1650年代、江戸初期にまでさかのぼる。その役割は「地主」の枠を超えていた。多くの田畑や土地を所有していたため、地域の産業であった農業を支え、従事する人たちの生活を支えることは当然だが、蓮沼家はこの地域の名主として公的な機能まで担っていたのだ。主人と奉公人の仲裁や、出兵前夜の送別の場の提供、宗教講(御岳講)の宿泊受け入れなど、冠婚葬祭から日常の金銭貸借まで、蓮  沼家はこの地域の公共的な拠点であり続けた。

 若くして家を継いだ由紀氏の祖父も同じく地域との関わりを深めながら蓮沼家の役割を担い続けた。しかし1983年にその祖父が亡くなったことで事態が変わった。

土蔵の上棟式の模様。工事に携わる大工は、蓮沼家の家紋が入った揃いの半纏を着ている

 19代目になったのは、由紀氏の伯父だったが、すでに中学・高校の国語教師という本業を持っており、広く門を開け、地域に自宅を開放する機会は次第に少なくなっていった。

「教師として忙しく過ごす伯父は、この敷地を活用するよりも、まずは守り維持していくことを大切にしていたのだと思います」(由紀氏)

 しかし、相続税の問題は大きくのしかかった。時代はバブル直前。都市部を中心に少しずつ地価も上がっている中、相続税もふくらんでいたはずだ。

 伯父は、所有する不動産をいくつか売却することで相続税を支払い、最終的に自宅の敷地の門は閉ざした。19代目は自身の本業にまい進することに集中したことで、蓮沼家が地域に築いてきた歴史とつながりは、伯父の代で静かに閉じようとしていた。

収益物件に変える前に残したい
蓮沼家の歴史を伝える場所

 蓮沼家に次の動きが起きたのが2023年、伯父が亡くなった時だ。伯父は独り身で子どもがいなかったため、由紀氏の弟が20代目を継ぐことになった。

 伯父はいわゆる相続税対策を行ってこなかったため、ここでもまた莫大ばくだいな相続税が発生した。由紀氏の弟も同じように不動産を売却することで相続税を支払ったが、懸念点は600坪の本家の敷地だった。

 相続が3代続くと家がつぶれる―。その言葉を実感した蓮沼家にとって、まず浮かんだのは本家の敷地に収益物件を建てることだった。実際、伯父亡き後には複数の不動産会社から土地開発の提案が舞い込んできた。
弟も会社員として忙しく飛び回っており、本家の敷地管理にまでは手が回らない。マンションを建てて管理もすべて任せることが妥当だと考えた。由紀氏も当初そこに異論はなかった。蔵や母屋に残された多くの古文書や歴史を感じさせる家具や道具を見つけるまでは。

 伯父亡き後、本家の片づけを任された由紀氏は、無造作に箱に詰められたまま蔵に押し込められた古文書が多数あることに気付いた。

 自分1人では到底対処できないと思い、板橋区立郷土資料館に連絡。同館の学芸員たちが調査を開始したところ、江戸時代から第2次世界大戦後までの古文書がおよそ6000点、そして明治から平成までの多数の生活道具が収められていることがわかった。

「この地域の歴史を解き明かすミッシングリンクだと、学芸員の皆さんも興奮しながら調査してくれました」(由紀氏)

 蔵の所蔵物の調査に並行して、由紀氏は仏壇にあった「繰り出し位牌」の調査を始めた。収められていた位牌を1枚1枚写真に撮り、家系図を作ったのだ。

 こうした作業を行うことで由紀氏の気持ちが変わっていった。

「400年間のご先祖さまのうち、誰か1人でも欠けていたら、私は今ここにいなかった」(由紀氏)

 マンションを建てることで、この連綿と続く蓮沼家の歴史を終わらせたくないと考えるようになった。 

「マンションを建てる前の一時期だけでいい、本家の敷地の管理・運営を自分に任せてもらえないか」と由紀氏は弟に打診した。いつかは収益物件への建て替えを前提にしながらも、弟もその案を快諾。こうして由紀氏の「蓮沼家本家の利活用」プロジェクトが始まった。

融資は受けずにリノベを行う
後の足かせをつくらない

 建物の改装の方向性を定めるため、全国の再生事例を探る中で由紀氏の目は静岡県伊豆市にある一棟貸しの宿「LOQUAT Villa SUGURO」のウェブサイトに引き寄せられた。

 明治時代に建てられた旧勝呂邸を宿泊施設にリノベした事例で、リノベ前の姿に既視感があったのだという。調べてみると大手空間デザイン会社の乃村工藝社が手がけた物件だと判明。

「その時は、そんな大きな会社だとは知らずにメールを送ってしまって。でも『一度見に行きます』と返事を頂いたのです」(由紀氏)

 現地調査の結果、同社にプラン作成を依頼することが決まった。複数のプランが提示された中には、敷地内の二階屋を取り壊して賃貸物件を建設し、その収益で蔵の運営を支えるという案もあった。

「賃貸物件も、クリエーター向けといったコンセプトを持たせることで、入居者が蔵を利用して活動することができるというプランでした」(由紀氏)

 しかし、弟や税理士を含めて協議を重ねるうち、そのプランは見送られた。

「賃貸住宅を建てるということは当然、融資を受けることになります。融資の返済が始まることは、将来的な本家の土地活用の足かせになるのではないかと考えたのです」(由紀氏)

 そこで、今ある建物だけでまず始めてみるというシンプルな方針とした。改装費用もリフォームローンを組まず、自己資金の範囲で賄った。

テナントありきで設計
収納されていた道具も生かす

 2025年、東ノ蔵のリノベが始まった。全体のデザインを乃村工藝社、施工をきよたけ建築工房が担当した。

 2階建ての2階部分をなくしたことで、天窓から明るい日差しが入るようにした。庭に面した壁には、大きな窓をつくった。店内からは敷地内にあるお稲荷様が見える。耐震性を担保するためには筋交いの設置が不可欠だった。古い建物の雰囲気を壊してしまいがちな筋交いも、デザインとして全く違和感のないものを設置した。

「建築系の仕事をしている人が東ノ蔵を訪れると必ず『この筋交いはどのメーカーのものを使っているのですか?』と聞かれるくらいです」(由紀氏)

 カフェのカウンターや書店の書棚には桐だんすやレコードプレーヤーといった、蔵にしまわれていた家具や道具を使った。

 テーブルには、木材を削った際に出る「削り華」を樹脂で固めた板材を採用した。乃村工芸社のグループ、手デザインがデザイン・制作した家具も用いることで、空間としての一体感が増した。

 このリノベで特筆すべきは、設計の順序にある。一般的には「ハード部分をつくってから入居者を募る」のが常道だが、板橋とととではその逆を行った。テナントの顔触れが先に決まり、テナントありきでデザインが組まれた。

「デザイナーとの付き合いから生まれた縁で集まった2つのテナントでした」(由紀氏)

 こうして、門の外は令和、敷地内は昭和、蔵の中は大正という時間の層を感じさせる空間が完成した。施設名の板橋とととは乃村工藝社のデザイナーが命名。「令和と昭和と大正と」「人と人と人と」が重なり合う場所を象徴した名前だ。

 由紀氏にとって、テナント活用は初めての経験。オープンする前は果たして本当に人が来るのだろうかという不安もあった。だがふたを開けてみると、それは杞憂きゆうに過ぎなかった。土日ともなると入店待ちの行列ができるほどにぎわっているという。

 「寒い日は思わず並んでいる人にカイロを配ってしまったくらいです」(由紀氏)

 続いて西ノ蔵は、レンタルスペースとしてリノベ。同じく2階建てだったものを、2階部分を取り払い、天井の高いスペースに変えた。東ノ蔵とは違い、テナントを定めず多くの人々にさまざまな用途で借りてもらうレンタルスペースのため、リノベは耐震補強を行うなどのシンプルな改装にとどめた。

 4月のオープン以来、展示物や、物販、音楽会などに利用され、平日は1万円から、土日・祝日は1万5000円からで貸し出している。

行政との連携を視野に入れる
自主運営の企画も増やす

 こうして本家の敷地の利活用が始まったが「まだ固定資産税額にも届いていない収入であるのが現実で、今は『こらえどころ』」だと由紀氏は言う。

 いずれは行政との連携も考えている。例えば、市民緑地制度などを活用して広大な庭の一部を開放することもできそうだ。そうすれば固定資産税の圧縮にもつながる。

「オープンしてまだ半年の私たちに対して行政がすぐ動いてくれるとは思っていません。今は土台づくりの時期ですね」(由紀氏)

 そのため、西ノ蔵や母屋を使った自主企画を運営し始めた。具体的には、蔵の調査に関わってくれた郷土資料館の学芸員がレクチャーする古文書講座を開催した。午前・午後共に20人の定員が満席になった。6月に初開催したマルシェには地元クリエーターが4組集まり、好評を博した。

「ここを残すことに価値があったからこそ、人が入る。それが身に染みてわかりました」と話す由紀氏だ。

 新たに地域に門戸を開いたかいがあったと思う瞬間もある。

 「90歳くらいの女性から『小さい頃、こちらのお庭でよく遊ばせてもらったのですよ』と懐かしそうに声をかけられました」(由紀氏)

 かつての蓮沼家を知る人が再びやってくる。これこそ、地域社会を支え続けてきた家だからこそできることだろう。

「私自身も江戸初期から脈々と続く家の歴史を受け継ぐ1人です。そう考えつつ今の瞬間は私ができることを全力でやっていきたいと思います」(由紀氏)

 長く続いてきた歴史の中の「今の1人」として、できる限り力を尽くす。その挑戦は始まったばかりだ。

(2026年10月号)

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