多くのオーナー経営者との出会いで得た気付き ―北原不動産

賃貸経営ストーリー

<<つながりの中で勝機をつかむ>>

「土地に稼がせてもらう」気付きを得た
多くのオーナー経営者との出会い

「人が稼ぐのではなく、土地に稼がせてもらう」。北原不動産の北原登美夫社長の経営コンセプトは明快だ。そして、多数の物件開発で積み上げてきた実績のベースにあるのは、多くのオーナー経営者との出会いだという。

北原不動産(横浜市)
北原登美夫代表

 

自社保有物件60棟 賃貸管理3000戸

 北原不動産は、本社がある横浜市鶴見を拠点に、同市内を中心として幅広く不動産事業を展開している。オフィスや賃貸住宅のほか、商業施設なども含めて自社保有物件は60棟以上。横浜の中心エリア馬車道通りに面したオフィスビルから、市内住宅地のマンション・アパート、そして食品スーパーや老人ホームに貸している物件などさまざまだ。

 また市内で8カ所の保育園施設を運用しているほか、倉庫・駐車場なども所有。現在、年間の家賃収入は8億円になるという。

 さらに、地域の土地オーナーから受託しているさまざまな賃貸物件を含めて賃貸管理は3000戸強。その多くは同社が土地オーナーとの長年の付き合いの中から活用の相談に乗り、企画・開発して出来た物件だ。


 北原社長は、若いころの青年会議所や商工会議所などの活動を通じて地域のさまざまな業種のオーナー経営者と近しくつき合いを続けてきたという。建設業や小売業、飲食業の経営者、病院役員や福祉関係の人など、いずれも直に話を聞く機会が増えていく中で多くの学びを得たという。

 「さまざまな業種の経営者の方々とのお付き合いを通じて、次第に、この土地にはどんな業種が向いているか。つまりその土地の持つ潜在能力のようなものに気づけるようになってきました。当社がここまでやってこれたのも、こうしたたくさんのオーナー経営者の方々と直接出会って話すチャンスに恵まれたからだと思いますね。人が稼ぐのではなく、土地に稼がせてもらう。その土地のベストは何かに気付けるかどうかですね」

 しかし、今でこそ、地域に根差して安定した経営をしている同社だが、かつては倒産の危機ギリギリを切り抜けてきた厳しい時代も経験して来たという。

3億円で買った土地が3000万円に

 北原不動産は1968年、昭和43年に北原社長の父親が創業した。造成事業などを行いながら徐々に事業を拡大。以後、高度成長、そしてバブル景気に乗って土地の売買にも手を広げていたさなか、平成のバブル崩壊にまともに捕まってしまった。

 「父は当時、それほど大きく事業を拡大していたわけではありませんでした。しかし、3億円で買っていた土地があっという間に10分の1の3000万円にまで下がってしまった。当然借金は3億円のまま残るわけですよ。そしてそんな中、父はがんにかかり闘病生活に入ってしまったのです」

 当時、北原社長は24歳。東京の大手不動産会社で働いていたが「父親に尽くすこれが最後のチャンス」と心に決めて退職し、生家に戻った。しかし、父親はそのすぐ後に入院してしまい、結局1年持たず退院することもなく亡くなってしまった。

 そして25歳で後を継いだ北原社長だったが、2~3年はほぼ「開き直り」に近い状態だったという。

 「当時で会社の借金は8億円ありましたが、地価の下落によって保有資産の評価は半分以下に落ちていましたので、完全な債務超過です。もう銀行には『いつでも会社ごと持って行ってください』という状態でしたね」

 その後数年間は、清掃やクロス貼り工事などで細々と現金稼ぎをして何とかしのいでいたという。そのうち徐々にアパートオーナーから管理を任されるようになった。また、物件の売買にも多少関わるようになってきた。だが、会社にのしかかった多額の借金を返済するには到底及ばなかった。

「これはマズイ、終わった…」と思いきや一転

 転機が訪れたのは、4年後、北原社長が29歳の時だった。管理物件などを通じて知り合った地主から、ある日まとまった土地の売買相談を受けたのだ。

「相続対策で土地を売りたいという話でした。斜面の土地でしたが容積率もしっかり取れて、ここにマンションを建てれば、70~80世帯分はつくれるいい土地でした」

 北原社長にとってはまさに千載一遇のチャンス到来。しかし、現実はそう簡単ではなかった。実はその傾斜土地は上部だけ平らになっており、その部分は広場として市に貸し出していた。当時シルバー世代に大人気のゲートボール場として使われており、もしここを開発のためにつぶしてしまうと、地域住民から大きな反対運動が出ることは間違いなかったのだ。

 「私は若かったので何とか和解できるだろうと生意気にも見込んでしまい、土地購入の手付けまで入れたんです。当時は、大手デベロッパーとも少しずつお付き合いもできていたので、その話をしたら『エッ、あそこを買うの? ウチは引いたよ』と驚かれてしまいました」

 だが、とにもかくにもキーマンとなる地元老人会の会長の元へあいさつに行こうと、その人の住所を聞いた途端、青ざめてしまったという。

 「会長のご自宅がまさに開発用地の北側真後ろにあったのです。そこでもし7階建てのマンションが建ったら、もう日陰で真っ暗になってしまうんです。それがわかった瞬間『マズイ、これで終わった』と思いましたよ」

 しかし、今さらここまできて引き下がることなどできない。腹を決めて計画図を持ち、恐る恐る会長宅に説明に行ったところ、思いがけない展開になった。

 「実は、そのマンション建設予定地すぐそばのバス停の目の前で会長さんがコンビニを経営していたんです。そしたら『マンションができたら店の売上は上がるなあ(笑)』なんて喜んでくれたんですよ」

 結局、交渉は難航するどころか、会長が先頭に立って地元に話しを付けてくれ、全く無事に終了。購入した用地はデベロッパーに売却でき、これで3億円以上の利益を得ることができたという。借入金の返済に大きく貢献したことは言うまでもない。まさに同社復活のターニングポイントになった出来事だった。 

「待機児童ゼロ」政策に協力し 保育園8カ所開園

 以後、銀行、デベロッパー、地元不動産会社、そしてオーナーからも大きな信頼を獲得した同社は、マンション、オフィス、商業施設、病院、老人ホームなど、次々に地域で開発案件に手を広げていった。また当時の横浜市は「待機児童ゼロ」を宣言していた女性市長の下、保育園開設にも力を入れていた。北原社長は、このチャンスも逃さず実績を積み上げ、これまでに8カ所を開園している。

▲外壁がさわやかな緑色の特別養護老人ホーム


 「もともと、パチンコ屋だったところをやめてもらって、いったんは更地にして、1階がコンビニ、2〜4階を保育園という建物を作りましたが、これは地元にも喜ばれましたね。区長さんには地元から感謝状が贈られたそうです。地域に、社会に必要なものを作ることは良いことだと実感しました。普通のアパート事業より収支もいいですしね」

外国人オーナーとも組み リゾート開発

 そして目下、北原社長が力を入れているのがリゾート開発事業だ。

 千葉県の房総半島南端エリアで、大海原を眼下に望める高台に大きなプールを備えた高級リゾートホテル「BOTANICAL POOL CLUB」を所有。企画・運営は息子に任せているという。

▲大きなプールを備えるBOTANICAL POOL CLUB

 「もともと大学のセミナーハウスだった建物を大規模にリニューアルしました。21室のリゾートホテルとして運営していますが、おかげさまで週末は常に満室です。プールサイドから夕方、ちょうど海を見渡す感じで、富士山の脇に夕日が沈んでいくんですね。その光景を宿泊のお客さんは皆さん楽しんでいます」

 このホテルは総額20億円、プールの建設費だけでも3億5000万円かかったという。

 リゾートホテルの用地として、ほかにも東京・八丈島、千葉県一宮町、同県南房総市では、4万坪を購入。さらにスキーリゾートとして北海道のニセコと並んで人気が高まっている長野県白馬村でのリゾート開発も計画しており、これは息子が企画し、外国人投資家との連携で進めているという。

 北海道のニセコ町などでは、富裕層の外国人が1泊100万円の宿泊代を支払っているなど、日本人のレベルとはケタが違う状況が起きている。開発投資する外国人オーナーの動きも同様だ。

 「要はそれを見てポカーンと眺めて『スゴイナ』で終わってしまうか、あるいはそういう人々と一緒に組むかです。組めれば、大きな世界が開けてくる」

 倒産ギリギリの状態から、その危機を乗り越えて今日に至るまで30年。北原社長が今、強く感じているのは〝変化に対応する力〟の重要性だという。

 「今はAIだとか社会は大きく変化を遂げていますが、結局こういう社会の変化についていけない会社は経済競争に負けてしまう。外国の人たちとの共存も同じことではないかと思っています」

 変化の波を捉えた今、北原社長の目は1つ先のビジネスへと向いている。

 同社は現在、総事業費43億円を投じてJR鶴見駅前の銀行跡地に8階建ての商業ビルを建設しており、2027年12月の完成に合わせて本社を移転する予定だ。

▲鶴見駅前で建築中の自社ビルは2027年末に完成予定だ

(2026年10月号掲載)

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