<<名主の選択>>
資産承継と社会貢献を目的に財団法人設立
室町時代から東京・初台エリアに広大な土地を所有し、地域に根差してきた光山家。現当主の光山和德氏は、「地べたは残さないといけない」という使命感がある一方で、これまで納税のために多くの土地を手放す決断をしてきた。光山氏はこのやるせない気持ちを解消すべく、公益財団法人を設立。公益財団法人への寄付により、若手音楽家に演奏の機会を与える文化活動を展開している。
公益財団法人光山文化財団(東京都渋谷区)
光山和德理事長

若手音楽家を支援
平日の午後7時。東京都内の音楽ホールで女性音楽家2人によるオーボエとピアノのデュオコンサートが開催された。64人の観客を前に楽器を奏でる2人は、曲が終わるたびに響く拍手に笑顔で応えながら、1時間半ほど演奏。公演後に2人は「こんな機会を頂けてうれしいです」と喜びいっぱいに話した。
2人の姿を上階の観客席から目を細めて見守るのが、コンサートの主催者である公益財団法人光山文化財団の理事長の光山氏だ。
「新進の演奏家にとって発表の場があることは大事ですし、お客さまにとっても無料で鑑賞できることでクラシック音楽をより身近なものとして楽しんでいただける機会を創出しています」と話す。
同財団では2016年の設立以降、年5回のコンサート開催のほか、20歳以上35歳以下の若手音楽家を対象に毎年助成金を交付している。このように財団では、クラシック音楽における有望な若手音楽家に演奏の機会の提供や資金的な助成を行うことで、次代を担う優れた音楽家の誕生を促進し、音楽文化の発展に寄与している。
- ▲演奏する若手音楽家
- ▲コンサートのチラシ。年に5回開催している
突然の相続で41歳で当主に
光山家は、17代にわたり東京都渋谷区の初台から代々木までの広いエリアに土地を所有してきた大地主。江戸時代には名主として年貢の取りまとめを行っていたほか、地域で知られる「源内大根」をはじめとする農作物の開発・栽培を手がけていた。
そんな家に生まれた現当主の光山氏が家を継いだのは、1990年、41歳の時だった。当時は、ゼネコンに勤務していたが、同年3月に父親が病気のため入院し、わずか2カ月後に急逝した。それにより、突如として光山氏が事業を承継することとなった。
生前の引き継ぎや相談はほとんどできておらず、また当時は顧問税理士もいなかったことから、同じく地主家の出身である妻の実家からの紹介で税理士を確保するところから対応が始まった。
時は、平成バブル崩壊の直前で相続税評価が高い一方で、融資を受けにくい状況下だった。期間内に相続税を申告・納税しなければならなかった。そのため、対応はほとんどできずに当時、初台に所有していた約2600坪の資材置き場などを、納税資金を捻出するために売却した。残った不動産は、自宅と底地、駐車場用地だった。
「先祖が何代にもわたって守ってきた地べたは残さないといけない」という使命感を持っていた光山氏は父親の相続によって、納税の大変さを経験した。そのため、不動産分野に強い仲間と共に計画を立て、所有地で建物の建築を始めた。
92年に1棟目となる木造アパートを建築。それを皮切りに、特定優良賃貸住宅の建築、約20年間にわたるコイン洗車場の運営、駐車場やトランクルームの経営など、不動産賃貸事業を幅広く展開していった。所有不動産も渋谷区にとどまらず、道路拡張により得た代償金を活用し港区浜松町エリアに不動産を購入。さらに新宿にビルを購入したりして、いわゆる地価の高いエリアに物件を増やしていった。
父親の相続時に相当数あった底地についても、焦らずタイミングを見計らいながら、専門家と共に話し合いを進め、合意を得て底地を減らしていった。現在は底地をほとんど保有していない。京王電鉄京王新線初台駅から南に延びる商店街沿いの底地については、デベロッパーに等価交換方式で売却。現在は3棟のマンション1階のテナント区画と住戸数戸を保有している。
「地べたは残さないといけない」という使命感
使い道が明確なものに活用
時代に合わせてさまざまな対策を講じてきた光山氏だが、母親の二次相続を見据えると多額の相続税が発生するのは明らかだった。そのような状況の中、日頃から社会貢献への寄付に強い関心を示していた光山氏に、顧問税理士から公益財団法人設立の提案があった。
「単に税金を納めるのではなく、使い道や目的がはっきりとわかっていることに資金を活用したいと思ったのです。そういう意味で、財産によって目的が明確な文化振興事業に直接資金を役立てることができるのが公益財団法人だったのです」と光山氏は同財団の設立を決意した理由を話す。
財団の事業として、当初は日本舞踊などの日本の古典芸能の支援を検討したが、仕組みや関係性が複雑であったため断念。最終的に、公益認定が取得しやすい「クラシック音楽の振興および若手演奏家の支援」を目的とすることにした。
公益法人の認定を取得するのは容易ではないが、立ち上げを専門に扱う事務所の手配により、準備から公益認定を取得するまでわずか4カ月ほどの期間で立ち上がった。「寄付事業」として申請したことが、早期の公益化につながったという。
こうして2016年6月、公益財団法人光山文化財団は設立した。設立資金は株式会社の資本金にあたる基本財産が300万円だ。
なお、株式会社と異なり元本保持の規律として、財団の基本財産(正味財産)を維持すべきとするルールが存在する。
財団の年間の運営資金は300万〜500万円程度。光山氏本人からの寄付や配当金などを充てて確保している。
「公益財団法人への寄付は寄付金税額控除の適用を受けられるものの、財団の運営には結構資金が必要で、正直大変です」と本音をもらす光山氏。だが、社会貢献の手応えを感じていることもあり、表情は明るい。
というのも、光山氏にとってこれまで接点のなかったクラシック音楽の世界や演奏家と深く関わる機会が得られたことで、見識が広がった。「演奏家がやりたい曲を存分に演奏できる場を提供でき、出演者から大変喜ばれています。また来場者が演奏を楽しみ喜ぶ姿を直接見られることが大きなやりがいとなっています」(光山氏)

▲光山文化財団の建物
次世代への承継
今年、財団は設立して11年目を迎えた。今後の展望としては、事業および資産の次世代への円滑な承継が中心的な課題となっている。光山氏は、長男と次男の兄弟2人で力を合わせて事業を引き継いでもらう計画を進めている。
現在、次男は会社を辞めて家業の会計・経理を担当しており、別業界で働く長男も適切なタイミングで合流させる予定。残る借入金の返済を進めつつ、銀行などとの関係も考慮しながら代表権付き会長と社長という形で段階的に代表権や経営権を移譲する。長男と次男による経営体制へと移行していく方針だ。
「実は6年前に自宅の隣接地に自前の音楽ホールを建設する計画を立てたのです。最寄りの初台駅には『東京オペラシティ』があるので、音楽愛好家を集めやすい立地です。ただ、建築費が高騰しており、断念せざるを得ませんでした」と計画書を見ながら話す光山氏。今は地元以外の音楽ホールを借りて、コンサートを開催することもあり、地元で開催したい思いが募っている。
次世代がその思いを引き継ぎ、光山家の不動産と無形の資産といえる財団の価値を高めていくだろう。

(2026年11月号掲載)






