稼げなければ、まちづくりは続かない ―小林まちづくり

賃貸経営地域活性

<<まちづくりの担い手>>

まちづくりは、志だけでは続かない。「地元に、まちに、活気を取り戻したい」と思っても、実際に地域に必要な施設を造り、人を雇い、次の事業へ投資するには、利益が必要だ。だが、公益性の高い地域事業ほど収益化は難しい。その難題に、真正面から挑んでいる会社が宮崎県小林市にある「小林まちづくり」だ。同社が中心市街地に建てた複合ビル「TENAMUビル」は、住宅も店舗も8年以上にわたってほぼ満室の状態が続いている。閉鎖されたホテルを買い取って再生した「パレスホテル小林」も、高い稼働率を維持する。その成功の背景には「関わる人を増やす」仕掛けを行った、1人の経営者の存在があった。

稼げなければ、まちづくりは続かない
「公益性×収益性」の両立で実現する持続的な地方創生

小林まちづくり(宮崎県小林市)
柊崎庄二社長

すべては1軒のスーパーの閉店から始まった

 小林市は宮崎県の西南部に位置し、熊本県と鹿児島県との県境に近い内陸の街だ。人口は約4万人と少ないが、県内では近年、活気のあるまちとして話題にもなっている。

宮崎市から車で1時間以上かかって訪れることができる小林市は、鹿児島県や熊本県とも近い。人口約4万人のこの場所が本記事の舞台だ

 その活気のもとになっているのが、小林まちづくりの存在だ。そして、この会社の中心にいるのが、同社の社長で、ひいらぎホールディングスのCEOでもある柊崎庄二社長だ。

 柊崎社長は全国で多数の飲食店を展開する企業の経営者でありながら、本拠地を小林市から動かさず、地元のまちづくりに長く関わってきた。全国規模で事業を展開する経営者が、なぜ小林市のまちづくりに、これほど深く手をかけるのか。

 柊崎社長が繰り返し口にする言葉がある。

「公益性と収益性、どちらが大事ということではなく、両方を大事にしている」。

 一見矛盾するこの2つを両立させる考え方は、会社が生まれたその瞬間から貫かれていた。

 すべては今から13年前、市の中心地にあった1軒のスーパーの閉店から始まった。

地元42人が「応援団」に 小林まちづくりの誕生

 小林市の中心市街地。2013年に、かつて市民の日常を支える核となっていたスーパーが姿を消すと、周辺にもシャッターを下ろす商店が増えていった。単に店が1つ減ったのではない。市民が毎日のように足を運ぶ生活拠点であり、まちの中心を象徴する場所が失われたことに、柊崎社長は強い危機感を抱いたという。

「小林市で一番中心の、シンボリックな場所でしたので、閉店は本当に残念でした。そこを再生することで、またまちに活気がよみがえり、周りにもプラスの波及効果が生まれるのではないかと思いました」(柊崎社長)

 ここで柊崎社長が取った選択が、この会社の性格を形作った。自分1人の会社で地域活性化の取り組みをするのではなく、共同出資を呼びかけたのだ。そして2014年、地元の商工会議所の会員や経営者に声をかけ、1口100万円を基本に出資を募った。集まった出資者は42人。複数口出資した人もおり、小林まちづくりの資本金は5000万円となった。小林市も出資に加わった。柊崎社長自身も筆頭株主として複数口を引き受けた。

 100万円は、決して小さな金額ではない。しかも柊崎社長は、出資者に対して最初から「利益は配当しない。すべてまちへ再投資する」と宣言していた。通常なら二の足を踏みそうな条件だった。「株主というより、まちづくりに対する応援団、理解者を募ったのです。お金を集めることが目的ではなかった」(柊崎社長)

 まちづくりは1人ではできない。地主、行政、事業者、市民など、地域の多くの人の理解と協力があって初めて前に進む。だからこそ、最初から地域の人々を株主として会社に巻き込んだ。見方を変えれば、これは地域の合意形成を、会社の株主構成そのものに組み込む作業だったといえる。「まちづくりは、いかに関わる人を増やせるかが大事です」(柊崎社長)

 当時、柊崎社長の頭には、全国各地のこうした会社が抱える課題があった。スタートしてみたものの結局地域が一枚岩になれず、活動の一貫性がなくなってしまう事例が多かった。また資金面などで行政への依存が強く、補助金がなければ事業の継続が困難で、会社そのものが自立できずに持続的な活動が難しくなっている例も多く見られたという。

「持続性を考えれば、会社がしっかり独り立ちしないと続かない。そのため、最初から自分たちで投資して収益を上げる会社にすることを、まずきっちり決めてからスタートしました」と言う柊崎社長。その自立の土台として最初に手がけた事業が、TENAMUビルだった。

TENAMUビルを核に 「点」から「面」へ

 TENAMUビルの開発では、官民それぞれの役割が際立っている。まず、スーパー跡地の3264㎡の土地は小林市が取得し、小林まちづくりは市に正当な地代を払ってその土地を借りている。そのうえで、建物は小林まちづくり側が資金を調達して建設した。投資規模はおよそ7億円だ。「上物は全部自分たちで建てて、地代を払っている。市には固定資産税も地代も入るので、市にとってもプラスの話になります」(柊崎社長)

2017年に完成したTENAMUビルの落成式典。ここが小林まちづくりの第一歩目だった

 行政がすべて造って民間に運営を任せるのではない。官が土地の面で協力し、民がリスクを負って建物を整備して、事業を運営する。民間の活力で中心市街地を再生したいという市の意向ともかみ合った。

 建物には、まちに必要な機能を複合させた。1階には、市民の要望が最も強かったスーパーを復活させた。高齢化が進む中、車を持たない人でも中心部で買い物ができることの意義は大きい。2階には商工会議所や生命保険会社、市の交流スペースや子育て支援施設が入った。そして上階には、住宅18戸を設けた。中心市街地に「来てもらう」だけでなく、実際に「暮らす人」を増やすためである。

 ここに、柊崎社長の経営姿勢がにじむ。ビル全体の稼働率が70%でも銀行借り入れを返済できるように計画したのだ。満室を前提とした過度に楽観的な想定をしなかった。

 ところが17年の開業以来、入居率は基本的に100%で推移してきた。「入居者の入れ替わりの時期を除けば、基本的にずっと満室です」と柊崎社長は言う。単身者とファミリーの双方が暮らしており、日常の買い物や飲食店にも事欠かない中心部の利便性が支持されているという。

 だが、TENAMUビルの最大の成果は、建物の中ではなく「外」にあるといえる。開業以降、その周辺に約20の店舗が新たに出店したのだ。かつて目立っていた空き店舗の場所には、新たなにぎわいが誕生した。小林まちづくりも、中心街の土地を持つ地主と出店希望者をつなぎ、空きテナントを紹介し、遊休地の活用を提案する。必要とあれば自ら不動産を取得し、駐車場などにして土地を生かす。エリア全体を見渡す、デベロッパーに近い役割を担うようになった。

「点から面へ」。柊崎社長が繰り返すこの言葉が、TENAMUビルの本質を表している。1つの点を確実に育て、その求心力で周囲の民間投資を呼び込み、効果を市街地全体へ広げていく。1棟の収益を最大化するだけでなく、周囲の空き店舗や遊休地まで動かすことで、エリアそのものの価値を引き上げていった。

まちづくりは、いかに関わる人を増やせるかが大事です

施設名の由来①
「TENAMU(テナム)」は、「一緒・協働」を意味する地元の方言に由来する。みんなが集い、小林市の象徴となる建物にしたい─その思いが込められた。「一緒に歩く」というニュアンスもあり、まちと共に進むという小林まちづくりの考え方そのものが反映された名称だ。名称は公募で選ばれた。

 

閉鎖ホテルを再生し
利益を見ながら追加投資

 点を面へ広げる動きとして、次に手がけたのが市街地の中心部にあったホテルの再生だった。

 現在、パレスホテル小林のブランドで運営するこのホテルは、売却案件として持ち込まれたものではない。コロナ禍の20年に前身のホテルが閉鎖されると聞いた小林まちづくり側から所有者に連絡し、交渉を経て売却してもらったという。

パレスホテル小林の客室は改修されてモダンな印象に

 所有していたのは県外に本社を置く大手企業だった。当初は建物を解体し、別の用途に転用する可能性もあったという。それでも柊崎社長は、まちづくりの意義を丁寧に伝えた。来訪者を増やしても、泊まる場所がなければ地域にお金は落ちない。宿泊施設は観光振興を支える地域インフラであり、ホテルとして残すこと自体がまちづくりなのだ、と。

 実は、小林まちづくりは17年に観光地域づくり法人(DMO)として国土交通省に認定されている。観光DMOとは、地域の観光を1つのビジネスとして成り立たせて活性化させる「司令塔」となる組織のこと。同社は小林市の観光振興も担っているのだ。

「観光でいかに人を呼び込むかに取り組んでいる以上、宿泊施設がなくなることの影響は大きい。それを理解していただいて、売却してもらえたのだと思います」(柊崎社長)

 再生の進め方にも、柊崎社長らしい慎重さがあった。取得後は内外装や備え付け家具の表装を一新するにとどめて、まずは運営を始めた。そしてホテルの需要があることを確かめたうえで、2年ほどたってから全室のユニットバスや寝具を入れ替えるなど、段階的に追加投資を重ねていった。

リニューアルされたパレスホテル小林。観光振興の観点からとても重要な意義を担っている宿泊施設だ

「最初から完成形にはしない。まず運営してみて、十分いけると思ったので、次の投資をした。最初から全部の投資判断をするのは難しかったと思います」(柊崎社長)

 初期投資を抑えて走り出し、需要と収益を確かめながら投資を積む。多店舗の出店で培った実に経営者らしい投資判断が、そのまま生きている。

 またホテル運営において収益性を支えるのは稼働率である。同ホテルは、当初は稼働率60%程度でも採算が取れる計画だったが、開業以降の実績は70%台後半から80%台で推移している。「地方では、ダイナミックプライシングのように極端なことはできない。常に適正な価格で提供したい」と柊崎社長は言う。価格を乱高下させるのではなく、建物の快適性と接客・サービスを磨き、稼働率を高めることで収益を確保する。市内で最も客室数の多いこのパレスホテル小林は、TENAMUビルと並ぶ、小林まちづくりのもう1つの収益の柱となっている。

街中から観光地へ 収益事業の領域を広げる

 TENAMUビルとパレスホテル小林で築いた収益基盤と経営ノウハウは、その後、より広い領域へと展開されていく。

 その1つが、JR吉都きっと小林駅にできた「KITTO(キット)小林」だ。市が駅舎を建て替えた際、1階の待合や観光案内所、2階の地域観光交流センターの運営を、指定管理者として小林まちづくりが引き受けたのだ。「不動産の再生」から「人を呼び込む仕組みづくり」へ。活動の領域は着実に広がっている。交流拠点では年間数十本に及ぶ自主イベントを企画して収益を生み、それを次の投資へ回す。夏祭りなど、途絶えていた催しを復活させ、定着させたものもある。

 そして、これまでで最も難易度が高かった挑戦が「えびの高原ホテル」の運営である。小林市外ではあるが、えびの高原は宮崎県内で高千穂に次ぐ観光の集客地。ここを起点に小林市への人の回遊を図ることができる、重要な拠点だ。しかし、これまでの管理会社から変わる形で県から指定管理を引き受けたこの事業は、条件が厳しかったという。国立公園内であるため周辺に住む人が少なく、働き手の確保から始めなければならなかった。また設備は古く、25年には近くの活火山「新燃岳」の噴火で数カ月の休業を余儀なくされた。さらに重油の高騰も、温泉施設である同ホテルの経営に重くのしかかってくる。

指定管理者として携わっているKITTO小林

 それでも同社に運営が移って以降、数字は伸びているという。温泉に加えて食事を強みにすべく、和食やイタリアンの料理人を迎え、新たにランチ営業も始めた。接客サービスを磨き、人材を育てた結果、宿泊者数も飲食の売り上げも毎年1・5倍のペースで伸びた。運営受託後3年目の今年から、ようやく黒字化を達成できる見込みである。25年に噴火で休業した期間にも、スタッフは駐車場に積もった灰を掃きながら、料理開発の腕や接客スキルを磨いていた。その積み重ねが、いま実を結び始めている。

「これまでのどの仕事よりもハードルが高い。それでも、えびの高原ホテルを再生することは重要です。ほかの事業で出した利益を全部ここに注ぎ込んできて、ようやく先が見えてきました」(柊崎社長)

 柊崎社長はもうかる事業だけを選んでいるわけではない。むしろ、収益性の高い事業で体力を蓄えているからこそ、こうした難易度の高い、それでいて重要な公益事業に挑める。「公益性と収益性」という言葉の意味が、ここに見えてくる。

施設名の由来②
「KITTO小林」は、地域を走るJR吉都きっと線と、「きっと来たくなる」「きっと願いがかなう」という前向きな言葉を掛け合わせた愛称。中心市街地の活性化と、未来への期待が込められている。TENAMUビルと同じく、名称は公募で決められた。

 

277店舗の「借りる経験」をまちの「貸す力」へ

 小林まちづくりが、なぜこれほど事業計画やリーシング、投資判断に長
た
けているのか。実はその答えは、柊崎社長の歩みにあった。

途絶えていた催しを復活させることも。写真は「シン・こばやし夏祭り」の様子

 柊崎社長は、大学卒業後に世界を旅した経験を基に、28歳で旅行会社を起業。約10年を経た2000年代初め、インターネットの台頭で旅行業界の先行きを見据え、新たな柱として食の世界に踏み込んだ。02年にイートスタイルを創業し、大手飲食店のフランチャイズチェーン(FC)加盟から店舗運営を積み上げていった。今ではFC店と自社ブランドを合わせ、グループで全国に277店舗を展開する。その約6割がFC、4割が自社ブランドだ。現在、グループの年間売り上げは約190億円に及ぶ。

 この経歴が、まちづくりの現場で役立っている。全国に出店を重ねる間、柊崎社長は長年、テナントを「借りる側」だった。どの程度の家賃なら店舗が成り立つのか。商圏にどれだけの需要があるのか。投資は何年で回収するのか。どんな施設ならテナントは入りたくなるのか。それらを、出店者側の肌感覚として持っている。そして、小林まちづくりではその立場が逆転した。

「借りる立場だったのが、今度は貸す立場。家賃設定も回収計画も、ほとんど自分で作りました。これまでやってきたことが、本当に役に立っています」(柊崎社長)

 損益分岐点を、TENAMUビルは稼働率70%、パレスホテル小林は60%と保守的な数字に設定したことや、様子を見ながらの段階的な追加投資、さらにはテナント誘致に至るまで、これらはすべて全国で店舗事業を営んできた経験の延長線上にある。

小林まちづくりが指定管理を引き受けたえびの高原ホテル

 そしてもう1つ、柊崎社長が貫いてきたことがある。本社を小林市から動かさないことだ。経営幹部をはじめ主力人材の多くは東京・市ヶ谷の支社におり、柊崎社長自身も月に2度は東京へ足を運ぶ。それでも本拠地は、小林市から動かさない。

「地方にいても、全国を相手にこれだけの事業ができる。そういうモデルケースを示したいです」(柊崎社長)

 将来的には上場も視野に入れており、このまちに根を張りながら全国で戦える会社であることを証明しようとしている。

 柊崎社長は「『小林市、最近ちょっと元気だね』。そう思ってもらいたいんです」と言う。

えびの高原野外アイススケート場は日本最南端の野外スケートリンクとして有名だ

 地方では、高校を出た若者がまちを離れ、そのまま戻らないことが多い。その1人1人に「小林市が面白くなってきている。帰ってきてもいいかもしれない。ここでも仕事ができる」と感じてほしいというのが柊崎社長の思いであり、そのための活動を「ライフワーク」と位置付けている。

 1人の経営者だけでまちを変えることはできない。地主も、経営者も、市民も、行政も巻き込み、皆で協力することでようやくまちそのものが稼ぐ力を取り戻していく。

 TENAMUビルという名に込められた「一緒に歩く」という願いは、そのまま小林まちづくりの歩みとなっていく。

「小林市、最近ちょっと元気だね」
そう思ってもらいたいんです


(2026年11月号掲載)

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