コミュニティーを育む事業で土地を守る ―やまの湯

土地活用その他建物

<<地主の事業承継>>

地域のハブとなるスーパー銭湯を経営
コミュニティーを育む事業で土地を守る

その土地にある資産や歴史を生かしながら、地域の住民と共に小さなまちづくりの土壌をコツコツ耕していきたいー。そんな考えから“地域のコミュニティーハブ”ともいえる施設の運営に成功しているのが、茨城県水戸市にあるスーパー銭湯「やまの湯」の山野和哉社長だ。しかし、ここに至るまでには大きな迷いを経た決断があったという。

やまの湯(茨城県水戸市)
山野和哉社長

 

世代を超えて集う場所

 茨城県の県庁所在地、水戸市のJR水戸駅から車で約15分、また茨城県庁からは5分という場所に立つスーパー銭湯「やまの湯」は、水戸市民なら誰もが知る憩いの場だ。

 入り口ののれんをくぐると、天井高のある空間に階段状のくつろぎスペースが広がる。そのスペースには入浴後、それぞれのスタイルで過ごす人たちの姿がある。高齢者がペットボトル片手に一休みし、隣接するフットサル場で練習した帰りの中高生が漫画を読み、子育てファミリーが施設内の売店で買った駄菓子を食べる――。そんな光景が広がっている。

 2階の休憩スペースは「人々が集い、思い思いに楽しい時間を過ごす、公園のような場所」を目指し、リニューアルした。入浴しなくても利用できる食事スペース、5000冊ある漫画コーナー、子どもたちが安心して過ごせるキッズコーナー、地元の新鮮な野菜や地サイダー、駄菓子、サウナハットが売っている小さい“マルシェ”のような販売コーナー、マッサージコーナーがある。こうしたそれぞれのスペースが、壁で細かく仕切られるのではなく緩やかにゾーニングされている。

 「単にお湯を提供するだけでなく、『世代を超えて人が交わり、日常が育まれる場』を提供し続けたいと考えて運営しています」と山野社長は話す。

 実はこの「やまの湯」は、開業26年にあたる2025年12月にリニューアルしてまだ1年もたっていない。しかし、リニューアルオープン後、人気を集め土曜・日曜日はもちろん、平日でも大にぎわいとなっている。平日でも1日400〜500人、休日ともなると1日1200人が利用するほどだ。

 

 だが、今から12年前の2014年、山野社長が父親から事業を承継し社長に就任した頃の「やまの湯」の経営は、まさに正念場を迎えていたという。2011年以降、競合店が東日本大震災や老朽化により相次いで閉店したことで地域一番店になった。ところが、14年ごろに業界大手が立て続けに出店したため、地域一番店から転落。ファミリー層をメインターゲットにすることで、「茨城で家族が一番楽しいお風呂屋さん」として経営を立て直しているところだった。「ただ『やまの湯』はその時点ですでにオープンから23年が経過しており、施設の老朽化に加えて、燃料費の高騰、そして新たな競合店の出現などで、同業者が『利益が出ないなら廃業するしかない』という選択を迫られていました。本当にあの頃は思い悩んでいましたね」と山野社長は当時を振り返る。

父親の「活用」という哲学

 「やまの湯」は1999年、当時茨城県で初となるスーパー銭湯としてオープンした。元々この場所は、山野社長の家が先祖代々所有してきた土地だ。かつて、この場所は周囲に山林と畑が広がる、いわゆる「陸の孤島」のような場所だった。当時は周辺に人が住むことも少なく、代々農家を営みながら、会社員として働き生計を立ててきた。

 大きな転換期となったのは、80年代に始まった国道バイパスの整備と99年の県庁移転だ。国道整備のための開発は、周囲の風景を一変させた。かつての静かな山林は住宅地へと姿を変え、多くの地権者が土地をデベロッパーに売却する中、当時山野家の当主であった山野社長の父親は、決して土地を手放さなかった。父親の心にあったのは売却ではなく、活用による継承だった。農地としてただ所有するのではなく、事業を行うことで相続対策を講じた。

 父親は自らの代で、81年のテニスクラブ開業を皮切りに、フットサル場や「やまの湯」、店舗・賃貸住宅の建築、介護施設の建築、さらにその運営へと事業を広げた。

 「やまの湯」はその中で、父親が勝負に出た事業だった。99年にはいよいよ県庁完成の計画し、周囲は人口増加も見込めた。テニスクラブやフットサル場に関連する事業との相乗効果を考えながら、フットサル場に隣接する山野家の自宅を壊し、「やまの湯」の開業を計画した。しかし、その事業計画は当初からスムーズに進んでいたわけではなかったという。

 「当時地元の銀行からは、まだ県内にない事業だったため『何をしてもうけるのかわからない事業』として融資を断られ続けたそうです。それでも、父は諦めませんでした」(山野社長)

▲「やまの湯」の隣にあるフットサル場


 父親の努力が実り、メガバンク系の信託銀行から融資を受けることができた。当時、山野社長自身は会社員だったが、母親から父親がスーパー銭湯事業で奮闘しているので、手伝ってほしいと懇願されたため、家業に入ることにした。開業の2カ月前のことだ。

 晴れて99年10月に茨城県初のスーパー銭湯「やまの湯」がオープンした。県庁が同じ年の3月に移転したタイミングだった。ただ、スーパー銭湯経営が初めてだということもあり、オープン当初は苦労の連続だったという。

 「経営や接客だけでなく、お風呂の設備、配管、熱源である重油の管理など、技術的・専門的な知識が広範囲に必要でした。その知識を身に付けることがとにかく大変でした」
こう振り返る山野社長は、時間をかけて設備や建物に関するトラブルへの対応策を1つ1つ学び、経験を積み重ねることで乗り越えてきた。

▲「ともにすごし、ともに育つまち」をコンセプトとした休憩スペース

廃業か、継続かの決断

 それでもオープンから2、3年たつ頃には運営にも慣れ、地元のリピーター客が増えた。5年もすると「やまの湯」の経営は順調になっていた。しかし、オープンして10年、さらに15年が経過した頃には、施設の老朽化に加えて、新たなライバル店も現れ、赤字寸前まで追い込まれてしまったという。

 「事業を継続するとなった場合は、老朽化した建物の改修は必要不可欠でした。しかし、そのコストを考えるだけでも頭が痛かった」(山野社長)

 例えば、施設内の照明のLED化1つとっても、天井高が5m近くあるため、足場を組む必要があった。その足場を組むだけで数千万円のコストがかかった。しかも、工事中は長期間休業する必要があるにもかかわらず、工事をしても直接的な売り上げの増加にはつながらないという現実を突き付けられていた。

 「ただ直すだけでは、お客さまの体験は何も変わらない。価値を上げることはできない」(山野社長)。設備維持には莫大(ばくだい)なコストがかかるのに、利用客数は停滞もしくは微減傾向にあり、投資効果が出にくいという閉塞(へいそく)感が、リニューアル前の大きな問題だった。そんな煩悶(はんもん)の日々を送る中、山野社長の転機となったのは、ある展示会で後にパートナー企業となるNPO法人CHAr(東京都大田区)と出会ったことだ。CHArを通じて「マイクロデベロッパー」という概念を知ったことにより、リニューアルに向けて大きく動くことにつながった。

 マイクロデベロッパーとは、大規模な都市開発ではなく、個人の不動産投資とリノベーションを通じて地域や物件の価値を高める、新しいまちづくりの手法や実践者のことをいう。CHArの荒井聖輝理事と共に、建築設計事務所のワークヴィジョンズ(東京都品川区)が佐賀市でマイクロデベロッパーとして取り組むまちづくりを視察しに行った。

 そこで山野社長が見たのは、商店街の空き地となっていた駐車場をコンテナと芝生広場に変えて、市民の憩いの場として提供し、エリアの歩行者量を増加させ周辺店舗の出店を誘発している場所だった。また空き家を改修してコワーキング・シェアオフィスを開設し、起業家やクリエーターが集まる場をつくることで、地域に新しい仕事と人材の循環を創出している現場も訪問したという。

▲サウナ設備にも注力


 「その土地にある資産や歴史を生かしながら、地域の住民と共に小さなまちづくりをコツコツと耕していく方法があると言われて、『やまの湯』もその考え方ならリニューアルする価値があると思いました」(山野社長)

 この佐賀市への視察によって、山野社長は「『やまの湯』をどう運営するか」という視点から、「この地域におけるコミュニティーハブとして、『やまの湯』の価値をどう育てるか」という視点へと、完全に発想を転換したのだ。「『やまの湯』がコミュニティーハブとして存在することで、フットサル場やアパート、介護施設など、ほかの事業との相乗効果が生まれることがとても強いなと思ったのです」(山野社長)

 

ともにすごし、ともに育つ未来

 リニューアル費用は約1億4000万円。これほどの金額を投じるほど山野社長にとっては大きな決断だった。コンセプトづくりから設計までCHArと共に進めた。工事費の一部はクラウドファンディングで賄った。「水戸発サウナと銭湯を中心とした『ともにすごし、ともに育つ未来(まち)』をつくりたい!」との呼びかけに対して、わずか2カ月ほどで目標金額の2倍以上の512万円が集まったという。

 周辺からの支援も受けて新・「やまの湯」は25年12月にリニューアルオープンすることができた。

 リニューアル後の「やまの湯」は、かつてのような「風呂に入るためだけの場所」ではない。リニューアルのコンセプトは、地域住民が「ともにすごし、ともに育つ未来」とした。前述したようにそれぞれの世代が互いを許容し合える空間をつくった。新興住宅地として人気を集めるようになってからは、新旧の住民が共存できるよう配慮した。この設計プランが功を奏し、女性客や中高生といった新規の顧客層が確実に増えている。

 山野社長は、先代から受け継いだこの広大な土地を、ファミリーが暮らし、子どもたちが育ち、高齢者が憩う、1つの「小さなまち」として機能させることを目指す。親の世代が税制対策と事業戦略で土地を守り、子の世代がコミュニティーの絆というソフト面で価値を高めていきたいと考えているのだ。

 かつて父親がさまざまな対策によって守ってきた土地は、今や地域の子どもたちが集い、家族が憩い、高齢者が温まる、血の通ったコミュニティーの拠点へと進化した。相続という観点からの維持も大切だが、それ以上に、この場所が「なくなっては困る場所」であり続けること。それこそが、事業承継の究極の目的であると山野社長は考えている。

(2026年10月号掲載)

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