<<大地主、エリアと生きる>>
所有5万坪、住民に愛される街づくり
地域発展の歴史を支える
大阪市此花区を中心に5万坪を所有。借地は1600カ所、賃貸物件は500戸。途方もない規模の不動産を一族で経営するのが政岡土地だ。政岡恭社長は、エリアの発展を担う大地主として愛される街をつくり、未来につなげるべく尽力している。
政岡土地(大阪市)
政岡恭社長
現在
借地1600カ所、賃貸物件500戸 住民の暮らしを支える責任
主に大阪市此花区に、約16万5000㎡(約5万坪)の土地を所有する政岡土地。その土地を借地として約1600人に貸している。加えて、自社所有物件の賃貸業も行う。住宅をメインに店舗、事務所、倉庫、駐車場なども所有、管理。賃貸物件数は約500戸になる。
同社の所有地は、利便性に優れている。最寄り駅の阪神電気鉄道阪神なんば線千鳥橋駅周辺は、大人気のテーマパーク「ユニバーサル・スタジオ・ジャパン」までわずか4㎞、大阪の中心地である梅田エリアまでは5㎞、さらに今後IR(統合型リゾート)で盛り上がるだろう夢洲の大阪・関西万博会場跡地へは10㎞と、どこに行くにもいい拠点になる。現在も住宅地として多くの人々が暮らすエリアだが、数年以内にさらなる発展が予想されている。
大正期には、周囲に多数の大きな工場が造られた。大工場に勤務する従業員の住居が急に必要となったこともあり、その頃から長く付き合いのある借地人が多い。
一般的に、借地権を所有地に戻したいと考える地主は多いが、同社は、むしろ所有権に戻して自社で活用したいとは考えていない。もちろん、タイミングと条件が合えば借地を自社に返還してもらって自社で開発することもあるが、借地人が土地と古い建物を持て余していた場合は、第三者に借地権の売却を促すことが多いという。例えば、高齢単身の借地人も散見される。借地人が〝売却のほうがいい〟となれば、第三者への売却の支援をすることもあるという。
「借地の返還は、原則更地返還。ですが、更地にするには建物解体などでお金がかかります。そのため、借地人が更地に戻すのが難しい場合も多いのです。そういう場合には、名義変更で第三者の人への建物売却を提案しています。売却先の相談に乗ることもありますね。新しい人に地代を払い続けてもらえますし、エリアに住民も増えますから」と政岡社長は話す。
現在同社の本社ビルには、土地の扱いに悩む借地人が相談に来たり、用事がなくてもふらっと立ち寄ったりする人が珍しくないという。暮らしについて同社に相談できる空気が徐々に醸成されているのだ。
「借地1カ所につき3人が暮らしていると仮定すると、賃貸住宅の入居者を合わせて、当社から土地や建物を借りている人は5000人以上いる計算になります。此花区の人口が約6万人ですから、割合としてはかなり高い。当社がどう行動するかは街の風景や今後の暮らしに結び付きます。その責任を感じながら、エリアのために頑張っていきたいと考えているのです」(政岡社長)
- ▲約30棟貸し出している戸建て賃貸住宅
- ▲単身者・ファミリー向けハイグレードマンション「ブラーヴォ!このはな千鳥橋Ⅰ」
取り組み
耐震、防犯、地域の安全確保
イベントにも積極的に協賛
政岡社長は53歳で同社の社長に就任し、6年の月日がたった。この間に政岡社長が取り組んだのが、借地人・入居者の安全確保と社内業務の合理化、そして地域との積極的な関わりだった。社長を継ぐまでは、一般企業に勤めて営業職に就いていた政岡社長。その経験から、必要だと考えたことを優先度が高いものから実行していったという。
政岡社長は、経営上の大きなリスクの1つとして南海トラフ地震を懸念していた。地震そのものや、その後の復興期を乗り越えられる環境で借地人が暮らしているか確認する必要があったのだ。このエリアの海抜はマイナス1・5mほどのため、南海トラフ地震で津波が発生した場合は広範囲にわたって浸水してしまう。特に1階や平屋の戸建てに住む住人の避難場所の指示も大切なミッションだった。
ところが借地契約の開始から40年以上たっているケースがほとんどで、当初と状況が大きく変わっていることが想定された。
借地に実際に人が住んでいるか、建物の耐久性はあるか、家族構成や緊急連絡先などを調査しまとめ上げた。「約10人の社員が総出で1軒1軒足を運びました。社長就任直後から4年かけて9割ほど調査し終わりました。借地人の子どもが東京で就職して実家に戻ってこないようなケースが散見され、現状を知る良い機会でもあったと思います」(政岡社長)
この調査と同時並行で、それまで手渡しだった地代を銀行振り込みや振り替えに切り替えるよう促した。その結果、半分程度が手渡しで地代を払っていたのが、銀行振り込みが9割ほどまで増えたという。これにより、借地人の手間が大きく軽減された。ちょうど新型コロナウイルス感染症の対策となり、非対面で地代が支払えることのメリットが大きかった。

▲1969年建築の「マンション第二白鳥」。2017年にリフォームし、新しいデザインに生まれ変わった
また日々の住み心地向上のため、積極的に所有物件に防犯カメラの設置を行っている。「このエリアには元々防犯カメラが少なかった。自社物件の住人の安全を守りつつ、〝防犯カメラがある〟ことで地域の治安にも貢献したいと考えました」(政岡社長)。物件付近の景色も記録できるので、何らかの事件・事故が起きた際には警察への協力を行っているという。
次に行ったのが、社内業務の合理化だ。同社には、借地にまつわる台帳など、膨大な量の紙が保管されている。これを少しずつ電子化し、サーバーに保存。南海トラフ地震で津波の被害があっても浸水しない高さの場所にデータサーバーを移設した。現在の借地人と物件入居者の約2000件のデータ化は終わっている。
また前述した、地代の銀行振り込みの件数増加は、社員の働き方をも大きく変えた。かつては地代の受け取りが社員の主な業務となっていたという。社員たちは地代の支払期日付近であっても業務に追われることがなくなり、その分の時間を物件管理や入居者・借地人対応に充てることができるようになった。
さらに、政岡社長が特に力を入れるのが地域との関わりだ。各種イベントに積極的に協賛。イベント当日にも社長自らできるだけ顔を出すようにしている。
「地主として私は街を盛り上げたい。それに関連して、街が盛り上がるようなイベントには積極的に協賛するようにしています。地元のお祭りや、バスケットボールチーム、ハロウィーンイベント、盆踊りなどです」(政岡社長)
社長が積極的に顔を出すようになったことで、地域の有志の人が同社を訪ねてくることも増えた。いい循環が生まれているという。
歴史
先祖は藤原氏始祖の藤原鎌足
重化学工業の繁栄を後押し
同社は政岡家のファミリーカンパニーだ。政岡家は古くからこの地で土地賃貸業を行ってきた。現在の政岡一族には、祖父のきょうだい筋で大きく3家あり、各家からバランスよく順々に社長を輩出し、一族で経営している。
現社長の政岡社長は、この地を取得した4代目徳兵衛から数えて11代目になるが、家の歴史は相当古く、分家筋ではあるものの家系図をたどれば、日本史上最大の氏族「藤原氏」の始祖として知られる藤原鎌足までさかのぼることができる。飛鳥時代、大化の改新の頃なので、今から何と1381年も前のことだ。
家に伝えられるところによれば、江戸時代には商いで財を築いた政岡家。その資金を使って1871(明治4)年にこのエリアを所有したのが地主としての政岡家の始まりだという。
土地を取得したことに加え、新田の開発などで得た土地は実に四十五町歩(13万5000坪)ほどもあった。

▲1933(昭和8)年撮影の一族集合写真
- ▲伝法線(現阪神電気鉄道)当時の千鳥橋駅
- ▲1961(昭和38)年ごろの四貫島商店街
大正時代の此花区は、重化学工業地帯として栄えた。そのため、工場に勤める従業員の住居が近くに必要となり、同社の所有地は彼らの住宅に使われていたのだという。
戦争で記録が焼失してしまったため、特に昔の部分は定かではないものの、戦中戦後の事情や、所有地の一部を道路や公共施設に寄贈したことなどを理由に、今では所有地はかつての半分弱となった。それでも、現在の梅香1~3丁目、四貫島1~2丁目、春日出北1丁目の50~60%は同社の所有地だ。今も多くの人々の生活の場を支えていることがわかる。大阪市立四貫島小学校が立つ土地は同社が市に貸している借地だという。
- ▲政岡土地創立60周年記念。1967(昭和42)年撮影
- ▲1976(昭和51)年の此花区の商店街
まさにエリアを支える大地主で、住宅地の整備や学校・道路・市電の敷地に土地の寄付など、此花区の都市整備に大きく貢献した。そのため、第1次此花区編成時には、新しい町名に「正岡町」「徳平町」「宗安町」「嘉永町」「梅香町」など政岡家にまつわる名が用いられた。徳平は当時の当主である政岡徳兵衛、宗安は4代目政岡徳兵衛の法名、梅香は4代目徳兵衛の妻・ムメの法名、嘉永はムメの生年の元号に由来したものだ。梅香は今も地名として残っている。
- ▲「日本アニメーションの父」と呼ばれる 作家・政岡憲三を輩出した家でもある
- ▲11代目当主の政岡社長。社屋の守り神と共に
- ▲政岡家に残る資料「土地賃借申込書」
現在では、かつてこのエリアが重化学工業で栄えたことを知らない人も増えたが、規模は縮小したものの相変わらず工業の街という側面は残っているという。工場で働く人の暮らす場所として、また交通の利便性に魅力を感じた人々が新たに住まう場所として、街は少しずつ進化している。

これから
物件をブラッシュアップ
街ぐるみで地域活性化
「街と共にサステナブルでありたい」と話す政岡社長。単に不動産を貸すだけでなく、地域の活性化や住みやすく働きやすい環境づくり、さらには未来の世代に誇れる街づくりを目指している。
愛着を持って長く住んでいる人々に安全で快適なエリアを提供するのはもちろんのこと、新しい住民を呼び込むために住みやすい街づくりに取り組むのも地主の責任だ。「災害に強い街づくりは住まいからアプローチすることが可能で、実際に具体的な取り組みを進めています。そして、立地は元々良いのですから、その魅力もさらに引き出すと共に発信していきたい。多くの人に選ばれ、愛される街を目指していきたいです」(政岡社長)
自身が社長を務める間に、古くなり過ぎた所有物件の建て替えや補強、リノベーションを視野に、次世代のために所有地・所有物件のブラッシュアップをしていくという。
これまでの実績としては、築54年になる「マンション白鳳」がある。竣工時は全室2DKタイプだったが、時代の流れに対応し空室のリフォームを繰り返してきた。その結果、現在は2DKタイプに加えワンルーム、1LDKタイプもあり、さまざまな家族構成に対応している。
◀▼築54年のマンション白鳳。空室のリフォームを繰り返したことで2DK、ワンルーム、1LDKと多数のタイプがあり、さまざまな家族構成に対応する
また所有する5万坪の土地の中には、実際に活用できていない土地がまだある。その土地の有効活用にも意欲を持っている。
もちろん、街づくりは地主だけで成し遂げられるものではない。同社は今、自社の力だけでなく、地域の住民や企業、専門家、行政と話し合う場を設け、街全体をより良くするために動き始めたところだ。
(2026年8月号掲載)

独自の取り組みで持続可能な子育て応援事業を目指す ―萬富
パン屋からの事業転換で資産を築く
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所有5万坪 住民に愛される街づくり ―政岡土地


