<<ビルオーナー物語>>
赤ビル(広島県呉市)
万年赤字の老舗銭湯ビルを
全国から人が集まる人気施設に
老朽化したビルの再生は多くのオーナーにとって頭の痛い問題だ。広島県呉市の「赤ビル」オーナーである赤ビル3C&Spa小島真帆社長は、祖父の代から続く銭湯が入る商業ビルの再生に成功した。その成功のポイントは、「故郷の町を守りたい」という思いと、地域の個性を生かした“価値の創出”だった。

港町・呉をイメージした赤レンガの外観
呼び水となったゲストハウス
「泊まれる潜水艦」が人気
瀬戸内海に面する呉市のJR呉駅から徒歩9分。海上自衛隊の基地のある港町の一角に目を引く赤れんが調のビルが立つ。複合施設「赤ビル」だ。
築55年を超えるこの複合ビルは今、地元住民だけでなく全国から人が集まる人気スポットになっている。
呼び水になっているのは4階にあるゲストハウス「RED SUBMARINE」だ。戦前から軍港として知られ、現在は自衛隊の潜水艦基地がある呉市ならではの特色を生かした「泊まれる潜水艦」として2023年末にオープンしたところ、大人気を博したゲストハウスだ。定員わずか15人の小さな宿泊施設であるにもかかわらず、年間3000人以上のゲストが訪れている。
もう1つの魅力は3階にある「赤ビルの湯」だ。ゲストハウスのオープンから1年後の24年末にリニューアルした銭湯で、サウナを備え、広島市内はもとより県外からもサウナ愛好家たちがバイクや車で駆け付けている。
- 銭湯の番台も洗練されたデザインだ
- ゲストハウスの共有スペースは「士官室」
さらに2階は24時間営業のインターネットカフェがあり、日々多くの利用者でにぎわう。そして1階には人気の鉄板焼き店「犇亭」がある。夜のステーキ、昼のハンバーグがいずれも大人気だ。
地元住民はもちろんのこと、出張中の会社員、自衛隊関係者、遠方から呉を目的地に選ぶサウナ愛好家や観光客とさまざまな客層が集まり、大いににぎわっている。
しかし今でこそ「呉市に住んでいて赤ビルを知らないなんてモグリだ」と言われるほど広く知られるようになった赤ビルだが、実はわずか4年前には経営破綻のギリギリ一歩手前の状態だったという。
「このままではつぶれる」
税理士に告げられた一言
赤ビルは、小島社長の祖父が今から55年前の1971年に建てたRC造4階建てのビルだ。もともと、同地で家業として銭湯を営んでいたが、テナント収益を上げることを念頭に平屋の銭湯をビルに建て替えた。1~2階をテナント向けに貸し出し、あえて3階の空中階に銭湯を設けたユニークな物件だ。
まだすべての家が内風呂を備えていた訳ではない時代には多くの利用客でにぎわいを見せた。しかしその後、各家庭に風呂があることが一般的となり、90年代、さらに2000年代ともなると客足は激減していった。
「正直なところ、銭湯は万年赤字の事業でした。当社の経営を支えていたのは1階のテナントと2階のネットカフェでした」(小島社長)
このネットカフェは07年から小島社長の母がフランチャイズオーナーとして事業を開始した。呉市唯一のインターネットカフェだったため、市内12万人の独占市場としてすこぶる好調な事業だった。
しかし、20年からの新型コロナウイルス禍により事態は一変した。「3密」のリスクが高いネットカフェは客足が激減。赤字の銭湯の経営を支えきれなくなった。
さらに、当時、経営のかじ取りをしていた伯父が節税目的で、現金を多くの生命保険の契約につぎ込んでいたことも裏目に出てしまった。「税理士に『このままではつぶれる』と告げられた」と母から助けを求める声が東京に住む小島社長に届いたのは22年のことだった。
小島社長は、米国の大学を卒業後、ゴールドマン・サックスやマッキンゼー・アンド・カンパニーなどで着々とキャリアを積んでいた。だがこの時、ちょうどライフステージの変化も起きていた時期だった。双子を産み、子育てに向き合う時間を取りたいと思って会社を退職したタイミングだったのだ。
母からのSOSを受けた小島社長は、東京の自宅と呉市を往復し、時にはオンラインで連絡を取りながら経営に参画していった。そして、ビルの建て替えを検討し始めた。
「ビルは三方角地の商業地域に立っています。10階建てマンションも法律上は建設可能な好立地です。そのため、当初は東京にいる感覚で『マンションにでも建て替えればいい』と気楽に考えたのです」(小島社長)
建築家に相談し図面を引き、収支のシミュレーションを行った。ところが、周辺の家賃相場は坪6000円程度。事業として成立しない水準だった。
「地方の相場を甘く見ていました。東京とは相場が全然違うのです。法律的には建て替えられますが、経済的には『再建築不可』なのですよ」と小島社長は話す。
都市部の感覚をそのまま地方に持ち込むと、家賃相場という現実の前で計画が止まってしまうという地方都市ならではの壁が小島社長の前にはだかった。
それはまた、かつて東京や海外の大都市を回って華々しく活躍してきた小島社長が、地方都市の残酷なまでの現実に初めて気付かされた瞬間だった。
自分の人生の時間と資金を
故郷や「一族」に振り分ける
建て替えができないのならば、残る選択肢は3つ。事業を閉じて売却するか。1〜2階のテナント貸しだけでほそぼそと事業を続けるか。あるいは赤ビルの事業を立て直し、建物の再生に挑むか。
「経済的合理性だけを考えるなら、売却して東京で不動産経営をやったほうがもうかるでしょう。地方都市の築古ビルを継ぐことに正直、合理性はありません」(小島社長)
そう考える小島社長だったが「この土地を残す意味はあるかもしれない」と思わせた要素が1つあった。それは「呉」という土地の持つ特殊な事情だ。
呉市には海上自衛隊の呉地方総監部がある。基地としての安定性はほかの土地にはない大きな強みとなる。
「その点で市場に何か大きな変化が起きても呉のまちが消滅することはちょっと考えにくいのです」(小島社長)
当時すでに築50年を超えていた赤ビルの建物そのものはいずれ使えなくなるだろう。銭湯やネットカフェもなくなるかもしれない。それでも強みがある土地が手元に残れば、そこからまた何か事業ができると考えたのだ。まずは「事業を閉じて売却」の道を断った。そして、事業の再生を目指すことにした。
同時に、生まれ故郷である呉の土地を守りたい感情もあった。
「自分の人生で、時間と資金を何に使うのが一番意味があるのか考えた時に、やっぱり生まれ故郷とか、自分の原点である『一族』というものに振り分けていくっていうのも、意外といいのではないかなという気持ちがありました」(小島社長)
限られた資金を差別化の鍵
「コンセプト」に集中投下
しかし、1年目は大きな動きはできなかったという。
「『東京ではマッキンゼーでコンサルタントをやっていました』なんて言っても、地元の人たちにとってみたら『どんなものかね』というもの。信頼を得るためには覚悟を見せる必要がありました」(小島社長)
そこで、小島社長が覚悟を示すため最初に行ったのは連帯保証人を引き受けることだった。
「社員も不安に思っていた時期。『絶対つぶしません』と宣言して連帯保証人になりました」(小島社長)
手元の自己資金を数千万円投入したり、コロナ禍に出ていた事業再構築補助金を申請したりすると同時に、社内のコストカットも断行。役員報酬はすべてゼロにし、火災保険の見直しも行った。細かいところでいえば、会社で契約している役員の携帯電話プランの見直し…と可能な限り支出を減らしていった。
「繁忙期と閑散期に合わせて1週間、あるいは1カ月の労働時間を調整できる“変動労働時間制”を導入して、シフトの自由度を高める代わりに残業代をなくすなど、社員にも変化を受け入れてもらう必要がありました」(小島社長)
こうして、細かい改善の積み重ねで伯父や社員たちの信頼を得ていき、徐々に経営内容そして財務状況を改善していった。その後いよいよビル、そして事業の再生への大きな一歩を踏み出す機会がやってきた。きっかけは赤ビルのエレベーターの故障だった。ざっと見積もって700万〜1000万円程度の修繕費が必要だった。
「当時、4階は自社の倉庫として利用していました。そのため3階の銭湯に行くためだけにエレベーターをリニューアルするのはストーリーにならないと思いました。もし4階でも収益が出せるようになれば、投資する価値が生まれるのかなと」(小島社長)
単独では採算が合わない投資でも、新たな収益源とセットで考えれば判断は変わる。そこで小島社長の頭に浮かんだのが、宿泊施設としての活用だ。
呉市の宿泊施設は不足しており、ゲストハウスという業態では特定の施設が主要な存在となっていることがわかった。
一方で、赤ビルの立地では制約もある。駅から徒歩9分では、いわゆる「駅前ホテル」のような活用は考えにくい。
そこで小島社長が着目したのが、日本有数の潜水艦基地という呉市にしかない観光資源だった。また父親が元自衛官で潜水艦にも詳しかったため、監修に加わってもらい「潜水艦ゲストハウス」というニッチな切り口でのオープンを目指した。リノベーションへの投資額はおよそ3000万円。そのうち2000万円を事業再構築補助金で賄うことができた。
- 「士官寝室」と名付けられたドミトリー部分
- 客室の廊下。赤いランプが潜水艦のムードを盛り上げる

士官室で敬礼する小島真帆社長
3つある個室は「艦長室」、定員7人のドミトリーは「士官寝室」。雰囲気をつくり出すむき出しの配管やランプを配したRED SUBMARINEを小島社長は「デザインコンセプトは一流、設備は二流、サービスは三流、価格は二・五流」だと表現する。
宿泊費を高くすればするほど宿泊客から求められるレベルも上がってしまうというのがその考えの裏側にある。限られた資金は差別化の鍵となる「コンセプト」に集中投下し、設備やサービスは身の丈に合わせる―。この優先順位付けが功を奏し、開業直後から取材の依頼が殺到した。メディアに取り上げられ、宿泊客が増えると、その宿泊客がまたSNSで投稿するという好循環が生 まれた。その結果、開業してすぐに、数年予定の投資回収のめどが立った。
さらにこのゲストハウスの快進撃が3階の銭湯事業の再生にもつながることになった。
「絶対つぶしません」と宣言して連帯保証人になりました
銭湯リニューアルと同時敢行
50年で初めての大規模修繕
「万年赤字事業」で、役員会議では一度「諦めよう」との結論に傾いたこともあった3階の銭湯。だが、ゲストハウスの宿泊客の7割が同ビル内の銭湯を利用していたことがわかった。
小島社長はマクロデータの精査と併せて競合店の実地調査を行った。
「日本全国の銭湯の利用率データがあり、各エリアの潜在市場の大きさがわかるのですが、それを見ると明らかに赤ビルのエリアは銭湯の利用者が少ないことが判明しました。しかし、だからこそ隠れた市場を掘り起こせれば銭湯を再生する意味があると考えました」(小島社長)
小島社長は周辺の競合店にも調査に出向き、どういった客層の人が来ているのか、赤ビル銭湯とはどう違うのかを徹底的に調べた。
「コンサルタント時代にもやっていたのですが、実地調査というのは本当に泥くさい作業。そして、調査を経て出た結論は、管理運営に大きな問題があるということでした。ほそぼそと親族経営でやってきた銭湯事業は端的にいえば目の前にいる常連だけ来ればいいというやり方です。でも広く一般的な人でも行きたいと思う運営ができれば銭湯事業にも勝機を見いだせるのではないかと思ったのです」(小島社長)
リニューアルにあたっては銭湯に特化したコンサルタントを入れ、アドバイスを受けた。浴室や脱衣所のデザイン、流行を取り入れたサウナへの改装まですべてやるには、大きな投資が必要だった。当初は3000万円だった見積もりも、気付けば5000万円までになった。幸い資金は日本政策金融公庫の特別融資枠で3000万円を借りることができ、残りは伯父の生命保険解約返戻金で調達した。
「5000万円を投資すれば、この先10年、15年銭湯事業を続けることは確定する」と思った小島社長はここで外壁などの大規模修繕も行うことを決めた。
赤ビルは竣工から50年以上、一度も大規模修繕をやってこなかった。その理由は隣地の駐車場所有者と祖父、伯父の折り合いが悪かったことだった。
「大規模修繕のための足場を組むにも、隣地の所有者の了承を得る必要がありましたが、取り付く島がなかったのです。しかし、私が手紙を書いて事情を説明したところ『新しい経営者に変わっているなら協力する』と言ってもらえました」(小島社長)
隣地所有者との関係が氷解したことで無事に外壁の大規模修繕に取りかかることができた。
「いくらお風呂がきれいになったといっても、外からは見えない。外見が怪しい雑居ビルのままでは銭湯をリニューアルしても客足は向きません。そこで外壁も港町らしいビンテージ風に塗り替えて一新しました」(小島社長)
- 疲れた体を癒す湯船は深さを変えた設計に
- パウダールームには「女優ミラー」を備えた
銭湯と外壁をリニューアルするだけでなく、オリジナルグッズの販売やロゴの制作も行った。そうした「変革」を利用者にどんどんSNSで発信してもらうことで、単なる「銭湯」から「県を代表するリノベ銭湯」になった赤ビルの湯。想定を超える集客を実現し、現在では事業単体での黒字化も達成できているという。
「銭湯のリニューアルは2階のネットカフェの客単価も押し上げている」と小島社長は話す。コロナ下で大きな打撃を受けたネットカフェの経営だが、入浴付きパックの提供を開始したところ、カフェ利用者の銭湯利用はパック化で有料にした後も約6割増加。夜通し滞在する利用者では、約4人に1人が入浴を選ぶまでになった。
ネットカフェのような時間単位の課金モデルのビジネスでは、滞在時間が延びること自体が客単価の向上に直結する。実際、入浴利用者の客単価は非利用者に比べて約6割高いという。
このようにフロアごとの事業を独立採算で終わらせず、互いに送客し合う仕組みを意識的につくってきたことが赤ビル再生の特徴といえるだろう。
階ごとの事業による相互作用という点では、1階での取り組みも見逃せない。
25年、入居していた鉄板焼き店のオーナーから「高齢のため引退し、退去する」という連絡が入った。小島社長は同様のテナントを募集するのは難しいだろうと踏んだ。
「3〜4階をリニューアルしたとはいえ、躰体や配管の劣化状況によっては10~15年後には赤ビルの建て替えを視野に入れなくてはいけません。しかし、スケルトン貸しのテナントで10年の定期借家というと資金回収は厳しい。この条件ではとても新たなテナントを見つけるのは難しいと思いました」(小島社長)

鉄板焼き店の隣にはカフェもオープン
そこで、小島社長は自ら居抜きで鉄板焼き店を引き継ぐことを決めた。というのも、赤ビルの銭湯を将来的にスーパー銭湯に建て替えることを考えた場合、銭湯に併設したレストラン運営のノウハウが必要になると思ったからだ。居抜きで自社運営とし、将来のための練習や実験をしておくという判断だったという。
「もう1つ理由があります。1階はビルの顔になるような場所。ふさわしいテナントを探すより、自社でビルのイメージをつくれるような店を経営したほうが早いという考えもありました」(小島社長)
将来的な相続問題を回避
株式承継もベストタイミング
振り返れば、22年から経営に参画し、ゲストハウスオープン、銭湯のリニューアル、大規模修繕、飲食事業開始と3年間を駆け抜けてきた小島社長。25年には伯父からの株式承継も完了させた。
このまま赤ビルの経営が改善していくと、株価の評価は高くなる。だが今の時点であれば、大規模な投資を行った直後なので一時的に赤字となり、株価が大きく下がっている。このタイミングで全株式を伯父から贈与という形で受け継いだ。
「家業の経営に戻ってきた当初は伯父も私をそこまで評価していなかったと思います。ですが、この3年間の実績を見て、認めてくれたからこそ、贈与という形で引き継ぐことができました」(小島社長)
とはいえ小島社長の奮闘もこれで一件落着とはいかないのが築古ビルの経営だ。銭湯の配管は建物躯体に埋まっており更新が困難で、寿命は10〜15年程度とみられる。
配管の寿命が来てできないとなった瞬間に閉店になることを避けるべく、限界が来る時期から逆算して次の展開を仕込んでおかねばならない。別の場所でのスーパー銭湯型施設の新設、赤ビルをサウナ施設やホテルなど別用途へ転換する構想など、複数の選択肢を並行して検討している。
一方で、赤ビルの人気ぶりがメディアやSNSで広く知れ渡った結果、広島県内のほかのネットカフェや銭湯から事業承継の打診も相次いでいる。
「ノウハウが蓄積されているので、うまくいく確率は高い。ですが、赤ビルは1棟のビルの中で完結しているから管理しやすいのであって、遠隔地になると管理の難易度が一気に上がるだろうと思い、現状では保留としています」(小島社長)
一見すると事業拡大の好機にも見えたが、自社の管理能力との折り合いを冷静に見極める必要があるようだ。
この4年間で小島社長が強く感じたことがある。
「東京では空間さえあればお金を生む方法はいくらでもある。しかし、地方では誰かが価値を生み出そうと思わなければ、空間は何の価値も生まないのです」
この残酷な事実から目をそらさずに、次の10年を見据え、小島社長の挑戦は続いていく。
地方では誰かが価値を生み出そうと思わなければ
空間は何の価値も生まないのです
(2026年11月号掲載)


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