33万坪の地主として事業展開
規模感生かしアートの街をつくる
大阪・北加賀屋はアートの街として知られる。若手アーティストのアトリエやDIY物件などが数多くある。もともと北加賀屋はアートと縁がなかった。このエリアに23万㎡を所有する千島土地(大阪市)が「アートの街」を想定して、多くの所有地に仕掛けをした結果なのである。同社名誉会長の芝川能一氏に、会社の歴史や北加賀屋地区への思いを聞いた。
千島土地(大阪市)
芝川能一 代表取締役名誉会長(76)
▲撮影:池田晶紀(ゆかい)
造船所跡地でイベント 芸術に目覚めるきっかけに
大阪市住之江区および大正区に多くの底地を持ち、不動産事業のほか航空機のリースやスタートアップへの投資も行う千島土地。地主である芝川家が率いる、地元を支える有名企業だ。近年、千島土地が約3分の1(23万㎡)の土地を所有する北加賀屋では、借主の代替わりに伴い事業用、住宅用とも所有する底地が戻ってくる機会が増えたという。そのタイミングで同社は新たな仕掛けをしている。同社の取り組みの中でも、地元に浸透しているのがアート事業だ。
▲芝川本店と店員(昭和初期)
きっかけとなったのは1988年に名村造船所(同)に貸していた土地が返ってきたことだ。返却当初はプレジャーボートの基地として活用していた。しかし、バブル崩壊とともに需要が減ってしまった。当時家業に入っていた芝川氏は、この土地をどう活用しようか思い悩んだという。面積が大きすぎるうえ、工業用地で活用法が限られてしまうという弱点がある土地だった。2004年、悩んでいるときに出会ったのがアートディレクターの小原啓渡氏だ。小原氏はもともと京都の三条通りで「三条あかり景色」というイベントをプロデュースしていた。明かりの最大の敵は明かりと、明かりの少ない土地を求めていた小原氏は、この地がアートプロジェクトを開く土地として気に入ったのだという。暗くて広大であること、何もないことがかえって武器になった。小原氏との出会いから半年後に始まったのが、同氏と関西のアート関係者と共に開催した「NAMURA ART MEETING(ナムラアートミーティング)’04‒’34(以下、NAM)」だった。
▲一般財団法人おおさか創造千鳥財団が取り組むKCV構想の一環として行うMASK(MEGA ART STORAGE KITAKAGAYA) 撮影:仲川あい
NAMは、04~34年までの30年間を一つの時間単位と考え、名村造船所大阪工場跡地を芸術の実験場として再活用しようという試みだ。知識⼈やアーティストなどを招いたシンポジウム、展覧会、パフォーマンスなどを行っている。連続性を持って同じ場所で行うのがポイント。現在も進行中のプロジェクトである。
現在は、千島土地が場所を提供し、北加賀屋のクリエイティブ拠点の運営を行う一般財団法人おおさか創造千島財団(同)と共に助成する立場として関わっている。
▲千鳥土地が共同運営する文化複合施設「千鳥文化」の外観 撮影:増田好郎
幼少期の芝川氏は、実はアートに苦手意識を感じる少年だった。小学生の頃は、見学に出向いた美術館で、「こんな丸、誰でも描ける」と感じていたほど。それが、NAMで集った人や作品と触れ合ううち、「ああ、こんな世の中の見え方もあるのだな」と価値観ががらりと変わっていったのだという。
アートを起点に人が集まる様子、生まれる縁を目の当たりにして、アートそのものへの評価も変わっていったという。芝川氏自身は、今ではかなりの美術品収集家だ。しかも、若いアーティストの作品を好んで購入することが多い。美術嫌いの少年は、今や若手芸術家を応援する大人になった。
北加賀屋に点在する空き家 創造拠点として活用
▲現在のCreative Center OSAKAのドックの風景
名村造船所大阪工場(1988年返還時)▲
04年に始まったNAMをきっかけに、05年に名村造船所大阪工場跡地を「Creative Center OSAKA(クリエイティブセンター大阪)」に改修。展覧会やイベントが開催できる拠点として整備した。
その後、アートの波は北加賀屋地区全体に広がっていった。北加賀屋は今やアートの街として知られるまでになっている。09年には、この流れを「KCV(北加賀屋クリエイティブ・ビレッジ)構想」と名付け、さらに活動を加速させた。
カギは底地の活用だ。底地の返却に伴い、この地区には千島土地所有の空き家が点在していた。それを最低限の改修を行ったうえで、アーティストやクリエーターに比較的安価な賃料で貸し、原状回復義務なしに自由にDIYを行うことで、それぞれの創造拠点を形成してもらった。アトリエ、ギャラリー、シェア農園やショップなど、芸術・文化が集積する創造拠点として再生していったのである。
「それまでは、千島土地はアートに関係ない不動産会社でした。貸していた土地はもともと地代収入しかなかったものです。返還時に建物をそのまま引き取っても建物の固定資産税と火災保険料が少し増えるだけ。そのため、返ってきた土地は次の借り手に安い価格で貸すことができます。貸す相手がアーティストなら自分で建物を修繕するし、彼らも自分の居心地のいい場所をつくることができるでしょう。お互いに低リスクで好きなことができるというのもこの活動を推進できた理由だと思います」(芝川氏)
近年、全国的に空き家活用の動きは活発で、建物の改修は各地で見られるようになった。ただ、千島土地の持ち味は「面で考えることができる」ことだ。一つのエリアにたくさん活用可能な場所があり、それぞれの相乗効果も考えて空き家活用、ひいては地域の土地の活用ができるのである。一つ一つの活動がつながってやがて面となる。それはエリアとなり、街となって未来を形作る。現在、北加賀屋地区では、約150人のアーティストやクリエーターが活動する。KCV構想に関わるアトリエ、ギャラリー、ショップ、飲食店などの拠点は50件ほどに増えた。
芝川氏は地主だからこそできる街づくりを実現している。
江戸時代から続く芝川家 明治初期から不動産事業
芝川家はもともと江戸時代に始まった商家で、貿易商を営んで名をはせた家だ。千島土地の屋号で、不動産事業を中心とした事業を展開している。芝川氏は芝川家の分家出身。1980年に千島土地に入社し、2005年より社長を務め、現在は次世代に経営を引き継ぎ、名誉会長に就任している。不動産事業に軸を置いてからは、個人や企業に対しての貸地事業のほかに、ビル経営、アートをテーマにした街づくりなどを行うなど多彩な活動が特徴である。社員数は25人だ。
芝川家が不動産事業を始めた明治初期は、土地の価値は現在と比べると低かったという。「当時、貿易事業の調子が悪かったわけではありません。ただ、貿易事業がハイリスク・ハイリターンの事業であることは確かです。初代は、何代も先までをも見据えて安定経営を目指したのでしょう。その結果、先々への投資として不動産事業を選んだ。明治期以降、海外に向けて港ができれば湾岸の土地が発達していくと考え、時代に先回りする形で湾岸部の新田を買い進めたようです」(芝川氏)
千島土地という社名は、設立初期に開発した新田の名前が由来となっている。実は、経営と資本を切り離したいという狙いもあった。「当初は芝川家が新田を経営していたのですが、小作争議が頻発し、当時の新聞に掲載されることもあったそうです。初代は、不本意なところで芝川の名前が広がっていくのをよしとしなかったので、あえて家と関係ない名前を会社に付けたようです」(芝川氏)。会社の名前だけではなく、実際の経営も一族から切り離していたという。初代の後、代々の社長は外部から優秀な人材を招いて経営を行っていた。芝川家の一族は千島土地の株を所有し、資本家として会社に関わってきたのだという。
6代目社長は芝川氏の伯父。その代からようやく芝川家の人間が社長も担うようになった。会社を伸ばす才を見て次の経営者を育てて事業承継を行っている。7代目社長は芝川氏の父で、芝川氏も商社での経験や才能を買われて会社を引き継いだ。芝川氏自身は住友商事(東京都千代田区)でビジネスの経験を積んだ後で千島土地に入社、その後社長となった。
現在の所有土地は33万坪 攻めと守りの社風で成長
現在、千島土地の所有地は大正区を中心に約33万坪。戦前はその倍ほどあったというが、農地改革の影響が大きく縮小を余儀なくされたのだという。
同社の所有地の中には、事業用地だけでなく、宅地となっている底地も多くある。「近所の人が耕していた遊休地で、農地ではない土地に農地買収がかかってしまったこともあったそうです。それはおかしいと裁判をして、最高裁までいきました。結局この裁判では負けてしまったのですが、国相手であっても主張する風土がわが社にはありますね。言うべきことは言うというのは次世代へもしっかり踏襲していきたいです」(芝川氏)
入社後、伯父や父の教えを受けて05年に社長に就任した芝川氏。自身の代でも新たな投資を行っている。「父の代では新たに土地を購入して建物を建てて事業拡大を図りました。私の代では航空機のリース事業を本格化し、アートによる街づくりを始めました。それぞれの代で時代に合うと考えられる事業を行っています。私自身、数々の事業に関わってきました。今残っているものも、途中で断念したものもあります。今残っているもののほうが少ないのかもしれません。しかし、後世まで事業を続けていくためにはチャレンジは不可欠です。千島土地の特徴は、チャレンジを応援する企業風土があることだと自負しています」(芝川氏)
チャレンジの一方、守りも大切にしている。芝川氏が大切にしている先代の教えは、「芝川家という縦糸があって、横糸として会社がある。二つをうまく織り合わせることで良い生地を作っていく」というものだという。地主としての責任は、次世代に街をいい形で引き継いでいくことだ。それに加えて、経営者として新しい事業も育てている。これらの相乗効果でエリアが住みやすく盛り上がっていくのである。
次世代への期待 変わらぬチャレンジ精神
現在は、30代の会長と社長の2人が主に経営を担っている。「会長は本家の息子で、社長は私の息子です。私自身は57歳のときに社長に就任しましたが、2人とも社外取締役として経験を積んできたこともあり早くに代表権を持ってもらいました。これまでの千島土地らしさといえばチャレンジを恐れないこと。その点は十分に伝わっていると思うので、次世代にも頑張ってもらいたいです」(芝川氏)
アート作品が街を彩る
▲すみのえアート・ビート2023開催風景ラバー・ダックとミャクミャク
クリエイターの制作風景に触れる
▲8月オープン・SMASELL Sustainable Commune
(2024年9月号掲載)
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