地主とは? 現代の地主さんの歴史 

  • 2022年7月5日
  • 2022年10月20日
  • コラム

「地主とはどのような人を指すのか?」

「地方の地主とは、いつの時代から地主なのか?」

「地主とはどのような経緯でなったのか?」

土地持ちの地主さんが、いつごろからどのような経緯で地主になったのか。江戸からの歴史を紐解いてみましょう。

地主とは簡単に

地主とは、簡単に言うと所有する土地を貸して収入を得る人のことで、何坪からでも土地を持っていれば地主と言えます。地主の中でも多くの土地を所有する地主を大地主といいます。

所有している土地に建物を建てて貸す人を家主と呼び、家主は借りる人との間で賃貸契約書を結びます。

現代の地主さんとは所有した土地に建物を建て家主として賃貸事業をしているケースも多いです。

大きな土地に建てる建物はマンションであることが大半です。自分の土地にマンションを建ててそれを貸して家賃収入を得ることになります。

マンションには賃貸マンションと分譲マンションがあります。

1棟ものの賃貸マンションは、賃貸経営を目的に竣工されていることから、土地と建物の所有権は一人の大家さんにあることが多いです。

一方、分譲マンションは部屋ごとに売買されるので、一棟のマンションを複数の所有者が所有することになります。この状態がいわゆる区分所有です。

区分所有者は敷地権を持つことになります。敷地権に関しては、敷地を利用できる権利である敷地利用権もあります。

そのほか、一つの建物の所有を複数人が共有した状態ですので、共有持分(各共有者の所有権の割合)という考え方もあります。
ちなみに、区分マンションを購入して賃貸経営を行うこともあります。

地主の歴史

1代で財を成して地主になった人は、お金で土地を買った人です。しかし日本には昔ながらに代々の地主さんがいることは皆さんもご存知でしょう。地主さんの歴史を江戸時代から紐解いてみました。

東京の地主とは

江戸時代

封建制度(君主が大名に領地を与え、年貢を納めさせる支配制度)である江戸時代、江戸の土地はあくまで幕府が所有する物であり、各大名の江戸の土地は幕府から拝領(いただく)したものでした。

武士の中でも1万石以上の領土を持つ者の屋敷を大名屋敷と言いました。江戸の大名屋敷の総数は約600、旗本・御家人を合わせた武家地の総面積は約1,200万坪におよび江戸の約60%を占めていました。

明治時代 

1867年幕府が大政奉還を行い明治政府が建てられました。

明治元年、明治政府は大名に対し、江戸に住んでいた家族や家来たちを早急に封地に帰国させました。しかし諸大名の多くは、参勤交代緩和令の時に妻子とともに国元に引き上げており、明治維新のさいには江戸には未練の無い状態でした。

それまでは武家地に対して地租税が課せられていなかったため、明治政府は武家地を廃止して、すべて租税を納めてもらえる土地として扱うことで、政府の財政を増やすことにしたのです。

そこで明治政府は大名が幕府から預かっていた武家屋敷を取り上げました。そしてそれを土台として、政府機関への転用を行ったのです。これら大名屋敷跡は現代の有名施設にもなっています。

しかし全武家地を政府が転用することは不可能なため、転用しなかった土地は財閥や財力のある旧大名家に払い下げられました。

また明治6年(1873年)から地租改正が始まり明治11年ごろには土地所有権が確立しました。地租改正により、地代に対して3%の租税を課され、地券も発行されました。

明治末期までには旧大名や財閥が広大な邸宅地を中心に地主化していきました。

 武家屋敷とは?江戸の大名屋敷跡に建つ有名施設

大正時代

大正時代は華族の土地解放がかなり社会問題になりました。人口集中による住宅事情の悪化はもとより、土地所有をめぐっての貧富の差がはっきりしていました。そのため住宅事情の悪化は華族や大金持ちの宅地の独占が引き起こしていると市民から思われたのです。

明治末期から大正初期における東京の市街地の土地所有形態は市民200万人に対して、わずか2千人の大地主が市内の宅地の大部分を所有していました。

土地所有に関して新聞が大きなキャンペーンを貼って地主一覧を掲載するなど全部公開しました。

「富豪よ郊外へ去れ」こんな地主に批判的な見出しが大正9年の新聞紙面ではよく見られたようです。

そのような時代背景や国の様々な政策の中で多くの大名家が土地を手放していきました。

  • 世襲財産法が改正され、世襲財産とした不動産を公債や株式に交換できるようになり華族はより有利な投資物件を求めるようになった
  • 華族所有の広大な庭園の広報を求める動きの中で、雑耕地にも特別税かかかるようになった 
  • 松方デフレ(大正4~5年西南戦争でのインフレに対して、当時大蔵大臣だった松方正義が行った財政政策のこと)
  • 関東大震災(大正12年)

松方デフレでは、多くの地主は土地を借金の形に次々と取られていきました。税金のために借金をし、借金の形にした土地が取られていくという状況が30年くらい続きました。

そのころの東京の地主は、まとまった土地を持つ華族(旧大名家)地主と農家や材木屋などを営む地主が、庶民の借家として経営していましたが、資本力・資産運用力のあるものだけが残って行ったのです。

農地の地主とは

第2次世界大戦後、GHQのダグラスマッカーサーは、農地改革を行いました。

それまでは、田畑や農地を所有する寄生地主が、自分の土地を持たない小作人に土地を貸して、小作人はその土地を耕し、小作料を支払っていました。

戦後の農地改革により、政府が農地を安価で買い上げ、小作人に売り渡され、多くの農村が自作農になりました。

戦後の社会の発達や開発により、田畑を所有していたものは、場所によっては地価が高騰し、大きな収入を得るものもいました。

地主でない一般の私達が、地主イコールお金持ちというイメージを持つのは、もともと農地であまり高くなかった土地の地主が、地域の商業化や発展により、土地売買で多額の収入を得るというイメージがあるからのようです。

 地主はずるいvs大変 どっちがホント?

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地主はずるい

まとめ

地主について、

1.地主とは具体的にどのような人を指すのか?

2.地主の歴史

江戸時代の大名にさかのぼり、地方の農地の地主とは?についてまでまとめました。

地主というと、江戸時代や、明治時代などから、何代にもわたり土地を引き継いできた家系というイメージもありますよね。

しかしその土地をいつの時代からどのような経緯で所有するに至ったか?というのはハッキリとは分かりにくかったかもしれません。

日本で土地の明確な所有権が発生したのは明治の地租改正以後のことです。江戸時代、土地を拝領していた大名も、大政奉還後、時代が進むにつれて様々な逆風の中、土地を手放していったのです。

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