地主の挑戦:エリアを盛り上げ価値を高める

賃貸経営地域活性

自分をモチーフにキャラクターを作成
エリアを盛り上げ価値を高める

 東京都調布市の農家だった井上家。現在は甲州街道沿いに所有するいくつかの土地を駐車場やテナントビルで活用している。40歳の若き地主、井上一格オーナー(東京都調布市)は、エリアの魅力を高めるため、電柱への広告出稿や近隣店舗に対しての駐車場のサービス券配布など、力を入れている。

井上一格オーナー(40)(東京都調布市)

自社駐車場のサービス券を提供 商店街に人の流れを作る

 江戸時代には甲州街道の宿場町として栄え、寺社が多く自然が豊かな調布市。同市の地主、井上一格オーナーは、まちの宣伝活動に尽力している。井上家は古くからの農家で、かつては甲州街道沿いにある調布市小島町に数カ所の土地を持っていた。「私が生まれた頃は、所有地には栗林が残っており、採れた栗を売っていた記憶があります。多摩川周辺にも農地も貸していたようです」(井上オーナー)。これらの土地のほとんどを駐車場に転用していたが、相続のたびに減っていった。現在は750坪の駐車場のほか、スーパーマーケットとスポーツジムに賃貸している商業ビル2棟、小型テナントビル1棟、マンション2棟を所有。合計2500坪の敷地がある。

 井上オーナーのこだわりは、自分の手で小島町一帯をにぎわいがある魅力的なまちにしていくことだ。

▲まちの歴史をたどったアートを掲げる駐車場の壁面

 具体的な取り組みを見ていこう。一つ目は、所有する時間貸し駐車場を商店街のキャンペーン参加店の買い物客が利用できるようにしたことである。
 井上オーナーが経営する「えの木駐車場」。京王電鉄京王線調布駅から徒歩5分の場所にある。えの木駐車場の周りには、四つの商店会がある。えの木駐車場が所属する「小島商栄会」と、「調布銀座商栄会協同組合」「天神通り商店会」「上布田商栄会」だ。井上オーナーはかねて、この駐車場を大きい商店と小さい店をつなげる場所にしたいという理想を持っていた。

 2020年、新型コロナウイルスの流行を機に始めたのが、えの木駐車場を生かした「がんばろう調布! えの木駐車場調布駅近隣飲食店応援キャンペーン」。四つの商店街の加盟店舗のほか、商店街に加盟していなくても徒歩圏にあればキャンペーンへの参加が可能。商店会の垣根、加盟の垣根を越えた試みだ。近隣店舗でキャンペーンに参加した約30店に、駐車サービス券を無料配布。同駐車場を利用し、参加店で飲食や買い物をした客は、利用金額にかかわらず駐車場のサービス券をもらうことができる。当初は配布期限を定めていたが、店からも客からも好評であるため、延長を繰り返している。

 駐車場が満車にならないなら、空いているスペースを有効活用してもらうことが、地元への恩返しにもなると考えたのだという。しかも空いている箇所を活用するのであれば、経営的にもダメージはない。「最初はコロナで大変な思いをしている飲食店を助ける気持ちで始めました。しかし、今では駐車場の宣伝効果も感じています。飲食店も集客に役立ててくれているようです。うまくバランスが取れてきていると思います」(井上オーナー)

 30分利用券を無料で配布するようにしてから、月に1500枚分ほど利用されているという。

▲町のビル壁面の広告 

自分がモチーフのキャラクターまちを彩り、店を宣伝

 二つ目は、まちの電柱に広告を出す活動だ。近所の電柱に広告を出していた企業がコロナで撤退したのをきっかけに、まちの彩りになればと始めた。自分自身をモチーフにした「えの木P社長」というキャラクターを作り、駐車場や商店街の店の宣伝をする。キャラクターを作ったのには、接客機会が少ない駐車場だからこそ「顔」が見える告知や宣伝をする狙いもあった。「駐車場の経営は、まちのにぎわいがあってこそだと考えます。駐車場そのものの宣伝効果より、まちを明るくしたり、商店街に人が集まったりすることを期待しています」と話す井上オーナー。通学路には花の漢字や読み仮名を入れたものなど交通安全にちなんだ内容のものを、店舗の近くにはその宣伝になるものをデザインしている。「その土地の価値を上げられるよう、エリアに合ったデザインやアイデアで制作しています」(井上オーナー)。

▲電柱広告のいろいろなキャラクター 

現在は、電柱52本に出稿している。あまり人通りの多くないところにも積極的に広告を出し、町の中で目立たない場所をも生かすというところでも面白みを感じている。

 これ以外に地元映画館にも広告を出している井上オーナー。直接井上オーナーを知らない人でも、このエリアに暮らす人には「あのキャラクターの人」として認知されているほど、その存在感は大きい。

 「先日は、敷地内の自動販売機をラッピングし、入居テナントを宣伝するようなデザインに描き替えました。所有地を宣伝に活用することでテナントにいい影響があればうれしいです」(井上オーナー)

「えの木駐車場」は一里塚が由来 地元が喜ぶテナントを誘致

▲電柱広告のキャラクターを使ったキャンペーンの壁面広告

 井上家の駐車場がある場所は旧甲州街道沿いで、駐車場の出入り口付近の敷地内には今も小島一里塚跡碑がある。江戸時代の初めごろは街道の1里ごとにエノキの木が植えられて、道行く人の目印になっていたという。歴史あるこの場所で60年ほど前に祖父が駐車場の運営を始めた。大きなエノキの木が一里塚に植えられていたことにちなんで、駐車場の名前は「えの木駐車場」になった。スポーツジムが入居しているビルは04年に祖母が、スーパーマーケットが入居しているビルは19年に井上オーナー自身が建てたものになる。

▲通学路の電柱。花の幹事や読み仮名が入っている

 26年前に父から、8年前に祖母から相続し、現在は法人の社長として不動産事業を行っている井上オーナーは、生まれも育ちも小島町だ。3歳の頃に父方の祖父が亡くなってからは父方の祖母と父と3人家族で幼少期を過ごしたが、14歳の頃に父が病で亡くなった。その後は祖母と2人で暮らしてきたが、大学中退後は自宅で何もせず過ごしてしまったという自称ニートである。「祖母にはずいぶん苦労をかけてしまった」と苦笑いする。ニートだった頃に祖母が脳梗塞で入院。回復したものの思うように経営ができなくなった。それを契機に11年に社長に就任して経営に関わるようになる。

 父が亡くなったときも億単位の相続税が課され、納税のためにやむを得ず行った売却がいかに大変だったか、納税額がいかに多かったかという話を井上オーナーは祖母から散々聞かされて育った。そのため、祖母の具合が悪くなってからは将来への不安が大きく膨らんだのだという。祖母はその後16年に亡くなり相続が発生。「相続した土地や財産を減らしてはいけないという気持ちだけは強くありました」(井上オーナー)

 実はその前後に井上家は経営の危機に見舞われていた。祖母が亡くなる前年の15年、提携していた大型店舗からえの木駐車場との契約を終了すると連絡があり、さらには17年、同店舗から1100坪の駐車場も契約満了との知らせがあったのである。「定期的な駐車場契約の収入が減少したことや祖母の病気や相続の時期と重なったうえ、いきなり空き地となってしまった1100坪の土地をどうしたらいいものか悩みました」(井上オーナー)

 1100坪の土地には、19年にスーパーマーケットを誘致した。「いろいろな選択肢の中からスーパーマーケットを選んだのは、自分自身が使える施設ですし、周囲の人の暮らしも便利になると思ったからです。また周辺で賃貸住宅を経営しているオーナーが、少し駅から遠くても『スーパーまで徒歩3分』などとアピールすることができます。エリアを盛り上げていけるメリットも感じました」(井上オーナー)

 かつて04年に祖母がスポーツジムを誘致したことについて、この地域にスポーツジムがあったら皆が喜んで利用すると思ったのではないかと思いをはせる井上オーナー。地域の人の暮らしを思う祖母の姿勢が井上オーナーに引き継がれている。

 「3歳の頃に祖父が亡くなってから、祖母には『将来はおまえがこの土地を守っていくんだよ』と言われていました。少年期にどんなに勉強ができなくても、青年期に引きこもっていても『おまえならできる』とずっと私を信じてくれていた。祖母が存命なうちに今のキャラクターによるまちの宣伝をはじめとして、地域のために活動している姿を見せられればよかったと思っています」(井上オーナー)

次世代が継ぐ未来を見据え さらに豊かな場所にする

 20年に、3カ月かけて駐車場の壁にこのエリアの歴史をたどったアートを施した。「まちの歴史や情報はここにしかありません。地元の人に知ってもらって、かつ楽しんでもらえたら」と井上オーナーはほほ笑む。

 さらなる歴史を重ねるにあたって、今後は、仲間と一緒にまちづくりをしたいと考えている。調布市には、井上オーナーのほかにも地主が多い。「自分一人だけの力では限界がありますが、複数人の土地所有者が協力すれば調布をもっと魅力的なまちにできるのではないでしょうか。地域活動を通じて自分が成長し、具体的な提案がしていきたいです」(井上オーナー)

 自身の子どもや孫が受け継ぐことになるであろうこの地。周りを豊かになっていけば価値はさらに高まる。「調布で商売を始めようという人に、えの木駐車場周辺で出店したいと言ってもらえるような経営をしていきたい」と井上オーナーは意気込みを語った。

▲史跡小島一里塚の歴史を説明する標識

(2024年11月公開)

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