地域の魅力をつめこんだ空きビル 移住者や観光客を呼び込む
下園薩男商店(鹿児島県阿久根市)
鹿児島県の北西部に位置する阿久根市。人口1万8300人の町に、県内はもちろんのこと、他県や海外からもわざわざ人が足を運ぶビルがある。それが「イワシビル」だ。「今ある「コト」に一手間加え、 それを誇り楽しみ、人生を豊かにする」という企業理念の元、築古ビルを再生した下園薩男商店(鹿児島県阿久根市)の下園正博社長に話を聞いた。
下園正博社長 (44)
阿久根市の国道3号線沿いにある「イワシビル」。1階部分にはカフェとショップが入っている。同市でタイが水揚げされることにちなみ、カフェではたい焼きを販売。また、ショップでは阿久根市の代表的な特産品を詰め合わせたギフトボックスやオリジナル雑貨を扱う。多いときには1日で20万~30万円ほど売り上げる日もあるという、地元きっての人気店だ。2階には水産加工工場があり、3階はホステルが入る。漁船で使われる集魚灯を用いるなど阿久根の海をイメージしており、シングルルーム、ダブルルームなどの洋室と和室、計7室を擁する。
イワシビルがオープンしたのは2017年のこと。この築50年超のRC造ビルには以前、保険会社が入っていたのだという。
空きビルの有効活用 魅力的な雇用を生み出す
手がけるのは水産加工事業を営む下園薩男商店だ。1939年創業の同社は、創業当時からマグロはえ縄漁船の冷凍魚餌やウルメイワシの丸干しなどの卸売事業を行っている。
現在3代目として同社を引っ張るのは下園正博社長。2010年に家業に入ってからは、「干物」のイメージを覆すような商品開発を展開している。13年に販売を開始した常温保存可能な瓶詰「旅する丸干し」は「平成26年度農林水産祭」にて天皇杯受賞の栄誉に輝いた。
同社ではそれまで不動産活用を行うことはなかったが、15年、たまたま手頃な価格のビルが販売されているのを知った下園社長の父親が、投資先の一つとして長らく空きビルとなっていた3階建ての築古ビルを購入した。
具体的な活用方法については下園社長に一任された。「ちょうど、旅する丸干しの販売が軌道に乗ってきており、旗艦店をつくりたいと考えていました。ショップに加えて、製品工場をつくりたいというのは初めから頭にありました」(下園社長)
どの地方都市にもいえることだが、若い世代の流出はとどまるところを知らない。「どこも人手不足ではあるのですが、若い世代が働いてみたいと思う魅力的な職場がほとんどありません」と話す下園社長。物件に雇用創出の機能を与え、若い世代の定住につながる魅力ある働き場所として、工場とショップをつくろうと考えたのだ。
ビル再生にあたって、下園社長が協力を仰いだのが石川秀和氏だった。15年に地域おこし協力隊として阿久根市にやってきた石川氏は、移住以前は京都で築古物件の再生を行いながら、コミュニティー・エリアデザインを手がけてきた。
「阿久根市が初めて地域おこし協力隊を募集した際に赴任してきたのが石川さんでした。京都のエリア再生に携わった石川さんと、ぜひ一緒に何かをしたいと考えていたのです」(下園社長)
すでに地元の経営者の集いで石川氏と面識のあった下園社長は、早速相談。同氏がプランナーとしてプロジェクトに参加することになった。
今あるコトに手を加える 阿久根市だから造れる物件
当初から構想にあったショップと工場だが、残る3階部分をどうしようかという話になった。
120㎡ほどあり、事務所や倉庫にするにはもったいない。石川氏が提案してきたのはホステルだった。石川氏より、京都では築古物件を再生したゲストハウスやホステルが爆発的に伸びていることを聞き、にわかに興味を引かれた。
そこで、築古物件のホステル転用としては先駆けとなる東京都台東区蔵前にある「Nui.(ヌイ)」へ石川氏と共に見学に向かった。古い廃材を再生利用し、落ち着いた雰囲気を持つアメリカ・ポートランドスタイルで作り上げられたNui.は元玩具店の倉庫を改装したホステルだ。石川氏のアイデアは、同じスタイルを踏襲したホステルを3階部分につくってはどうかというものだった。
だが、同じスタイルを用いても、ポートランドのまねをする東京をさらにまねすることにしかならない。「当社の企業理念として『今あるコトに一手間加え、 それを誇り楽しみ、人生を豊かにする』を掲げているのですが、旗艦店の入るビルならそれを象徴できる物件にしたかったのです」と下園社長は話す。
そこで阿久根らしさ、下園薩男商店らしさを取り入れるべく、ショップの家具には丸干しをつくるための台を再利用したり、カウンターには古くから日本で使われている技法「人研ぎ(人造石研ぎ上げ)」と呼ばれる左官技術を用いたりした。ホステルの洗面所には、漁港で実際に使われていた木材を鏡に用いた。
工場部分には、国の支援制度であるものづくり補助金を受けながら、5000万円ほどかけてリノベを行った。このように下園社長のこだわりを詰めたイワシビルは、オープン時にメディアにも取り上げられることも多く、世間の耳目を集めた。
イワシビルが起点となる 阿久根に広がる新ビジネス
新しくオープンしたイワシビルは、地元の人々にも好意的に受け止められた。ショップだけでは人流は生まれないと考え、1階にカフェをつくったことも功を奏した。カフェに来れば、ショップに立ち寄る。ショップには阿久根オリジナルの商品が並ぶ。地元の人間にとっても阿久根の魅力を再発見できる場所となった。すると「自分も店を開きたい」という人たちが出てきた。
下園社長より一回り以上年上の男性経営者らは、20部屋程度ある宿泊施設を新築した。カフェを経営していた知り合いはゲストハウスを始めた。さらに卸売事業だけ行っていた商店が、自分たちも直売をしたいと団子屋を開いた。「長い間、新しい店がオープンしていなかった阿久根に、次々と新しいビジネスが生まれました」と下園社長が話すように、イワシビルを見て「自分たちも何かやってみよう」と思う気持ちを阿久根市民が持つようになった。そこから新たな産業が誕生し、それに伴い人の流れが生まれたのだ。
人が存在意義を感じられる これからの幸福の形のヒント
22年には鹿児島県最南端にある枕崎市に「山猫瓶詰研究所」をオープンした。イワシビルの仕組みを別の物件でも生かしたいと考える中、枕崎市で築120年の元郵便局の建物が100万円で売り出されているのを目にした。SNSで「エモい郵便局」として話題になっていた建物だった。建物の魅力を現地で感じ購入を決意。イワシビルと同じく、オリジナル商品を販売するショップとカフェ、製造工場、そして1日1組限定で宿泊できる宿に生まれ変わらせた。
▲SNSでも大きな話題になった元郵便局の建物
現在、イワシビルでは5人、山猫瓶詰研究所では4人の人材を正社員として雇っている。すべて正社員だ。経営的に厳しい面もあるが、当初からあった、若い人々が働きたいと思える場所づくりの実現には必要なことだと考える。
そして、その働き方に関しても自身の哲学を持つ。「今後、生き方は人それぞれいろいろと変わっていくと思うのです」と話す下園社長。今までのように都会に出て働くのがいいとは限らなくなるだろう。移住するとしてもUターンをするとしても、その地域らしさの創生に携わることが人間の存在意義につながっていくのではないかと考える。
地域の特徴を知り、そのエリアの魅力を再発見・再活用することはまさに「温故知新」と言える。この古くからある考え方を実践することが、人流を呼び込み定着を促す地域創生のキーワードとなりそうだ。
(2024年11月公開)
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