地主の挑戦:まちの開発に携わる①

賃貸経営地域活性

地主としてまちの開発に携わる 不動産を通してつくる地域の顔

 江戸時代から続く地主として、神奈川県海老名市の土地を受け継ぐ鈴木輝彦オーナー(神奈川県海老名市)。大手デベロッパーだけに任せない、地主から発信する都市開発を目指している。

見世(神奈川県海老名市)
鈴木輝彦取締役(37)

▲里山にて

 神奈川県の中央に位置する海老名市。神奈川県内の「住みたい街」として、近年人気が高まっている地域だ。

 小田急電鉄小田原線海老名駅のある東口側は1980年代に開発が始まり、商業施設や娯楽施設が立ち並んでいる地域だった。一方で、JR相模線の海老名駅がある西口側は長らく開発が行われず、見渡す限り田畑が広がっていた。

 その西口側に180坪、市内に計1860坪の土地を受け継いでいる鈴木オーナー。記録に残るだけでも、鈴木家は天保年間より続く地主の家だという。

 「かつて、集落では『みせ』という屋号を名乗っていたようです。農業だけでなく、街に出て行って品物を買い付け集落内で販売する。そういった兼業農家としての歴史を持っています」(鈴木オーナー)

 祖父、一二(かずに)氏は大工をしていた。海老名市に本社を置く繊維メーカーにその腕を見込まれ、営繕事業の責任者として同社の社員になり最終的には役員まで務めたという。

 「実は、鈴木家は6代前に大きく傾き、多くの土地を手放していたのです。しかし、祖父によって少しずつ土地を買い戻すことができました」と鈴木オーナーは話す。

父親の代に土地が市街化 賃貸経営に乗り出す 

 祖父の時代も一部駐車場貸しなどで賃貸事業は行っていた。だが、所有する土地のほとんどは農地だった。そのため、1860坪の土地を所有していたにもかかわらず、2000年に祖父が亡くなった際の相続税はそれほど大きい額ではなかった。父の信一氏も会社員として働き続け、賃貸事業を始めることはなかった。

 ところが、10年に入って状況が大きく変わることになった。海老名市の都市計画が始まった。海老名駅西口側に土地を持つ地主は、区画整理が行われて一斉に市街化地区に土地を所有することになった。鈴木オーナーは、自身もまさか土地を使って家業として賃貸事業を行うことは想定していなかったという。

 だが、地目が変わると地主には大きな問題がのしかかってくる。それは相続税だ。鈴木家もいよいよ賃貸物件の建築を検討する必要が出てきた。そこで、活用されていなかった自宅近くの土地に物件を建てることになった。

 当然、賃貸事業者にはコネクションがなかった。そこで父は、工務店を経営していた同級生に相談。その工務店は、米軍基地勤務者向けの戸建てを手がけていた。 

▲厚木基地に近い立地を生かした米軍ハウス

 海老名駅は、米軍厚木基地から西に4km強の場所に位置する。そのため、基地内で就労する人々向けに戸建て賃貸住宅を建ててはどうかというアドバイスをもらったのだ。そこで12年、2戸の戸建てを建築した。これが功を奏した。米軍関係者への賃貸は一般的な賃貸住宅より大幅に高い賃料での貸し出しが可能だからだ。

 「現在も、米軍ハウスとして貸し出しています。そのため、賃料も周辺相場の2倍近い、24万円程度に設定することができています」(鈴木オーナー)

 その間、海老名駅西口側の都市計画が進んでいった。駅から徒歩4分という立地でありながら、接道していなかった土地だったため、住宅として活用できない土地があった。だが、用水路が道路になったことで賃貸物件の建築を決定。14年に、1K9戸のアパート「リブリ海老名」を竣工した。

 海老名駅前の人気が高まっていることを受けて、賃料は10年前より5000円程度アップの8万円で貸し出している。鈴木家の賃貸経営は都市開発が進むとともに広がりを見せていった。現在の家賃年収はおよそ6200万円だ。

▲リブリ海老名は駅近で人気だ

デベロッパーに任せない開発 海老名に土地を持つ者の使命

 父が2戸の戸建てとアパート1棟を建てた時期、父から鈴木オーナーに一部の土地が生前贈与された。当時、鈴木オーナーはまだ20代前半。だが父は65歳を過ぎており、会社を退職しているタイミングだった。税制のみならず年齢を考慮しての生前贈与だったのであろう。

 鈴木オーナーが地権者になったことで、海老名駅西口開発に向けての準備組合にも顔を出すようになった。最終的に、海老名駅の都市開発の大部分は三井不動産(東京都中央区)が「ららぽーと海老名」を建てることで合意。区画整理組合の立ち上げ祝賀会が行われた際、鈴木オーナーも招待された。

▲父・信一氏と

 金びょうぶの前に、国会議員や建設会社の役員が並んでいるのを見て、鈴木オーナーは「大きな違和感」を抱いた。「自分の地元が、一部の人たちの力で変わってしまうのはおかしいのではないか。何かしなければならないのではないかと思ったのです」(鈴木オーナー)

 そこで同年、市民団体を立ち上げた。デベロッパーに任せるのではなく、市民がまちの開発に関心を持つような動きになるきっかけをつくった。

 大学卒業後、東京で仕事をしていた鈴木オーナーは、住まいも都内に移していた。だが、会社員を続けながら土曜・日曜日は海老名での活動に注力した。海老名駅西口区画整理組合にも積極的に参加したことで、事務局長から「これからまちづくり協議会をつくるから、鈴木さんも参加しないか」と声をかけられた。ほかの地権者とともに、地主発信でのデザインコントロールについて話し合っていった。

 その一つの昇華した形が、16年に竣工した「扇町見世ビル」だ。15年のららぽーと海老名のオープンと同時に、海老名駅西口は扇町地区としてまちびらきを行った。扇町見世ビルは、その新興エリア、西口の目の前にある4階建てテナントビルだ。ワンフロア82坪で1階は飲食店、2階には保育園、そして3~4階には大手電子機器メーカーの事業所が入居している。

 同ビルが印象的なのはその外壁だ。ビルでありながら、外壁には木材を使用。南側には「緑のカーテン」を設置し、ビルという無機物の中にも有機的な要素を追加した。駅前にある芝生の広場や街路樹と相まって、開発された都会的な雰囲気の中にかつて海老名駅前が持っていた牧歌的な風情も受け継いでいる。

 「鈴木家を含め、この辺り一帯の地主はもともと農業から始まった家ばかりです。そういう意味では『エディブル(食べられる)』を街角の一つのテーマとしています。また植物を用いて表情をつくることができる建物を造りたいと考えました」と鈴木オーナーは話す。建築計画段階から参加したため、自分のイメージを反映させることができた。

 ビルの南側には遊歩道も設置した。緑を多く植えている。今後はこの遊歩道に屋台を出すなど、まちと人と建物が上手に交われるような仕掛けを考えていきたいという。

(2025年5月号掲載)
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