ビルオーナー 物語:元ミュージシャンがビル経営①

相続事業継承

ミュージシャンを辞めてビル経営に参画
大幅リノベで新たなテナントを呼び込む

駅の目の前という好立地のビルのほか、賃貸住宅を所有している細田ビル(千葉県柏市)の細田直志社長。思いがけない相続発生から、ミュージシャンとしてのキャリアを捨て、ビル経営者に転身した。

細田ビル(千葉県柏市)
細田直志社長(45)

 商業施設や飲食店が多く立ち並ぶJR常磐線柏駅周辺。細田社長は駅から徒歩1分の場所でワンフロアおよそ180坪の5階建てビル「細田ビル」を管理・運営中だ。
 同ビルのほか、所有物件は柏市内の自宅隣にある築32年・6戸のアパート、そして千葉県我孫子市には、3LDK・2戸の築5年のアパートを所有している。また2020年には東京都内に区分マンションを購入し、賃貸に出している。そんな細田社長は「父が亡くなって以降、私の30代は本当に大変でした」とこの15年を振り返る。

突然やってきた相続 閉院に奔走した1年

 細田ビルは、細田社長の祖父が1970年に竣工したビルだ。もともと、この場所には祖父の自宅が立っていた。第2次世界大戦前は馬車が通る泥道だったが、戦後の柏駅周辺の発展に伴い近代化が進んでいったエリアだ。
そこで、祖父の勤務先だった住友銀行(現三井住友銀行)から声をかけられ共同名義で「住友細田共同ビル」の建築を進めた。同銀行がメインのテナントとして入居。5階には細田家がオフィスを構えた。
 祖父は当初、老後を賃料収入で過ごそうと考えビル経営を始めた。だが、老後を迎えることなく80年に早世したため、経営は息子である細田社長の父と娘である伯母に引き継がれた。
 95年には銀行が退去を決めた。それに伴いビル経営からも撤退することになった。
 「その際に、父は8億円の融資を受けて銀行所有分になっていた土地を購入する決断をしました。180坪の敷地がすべて細田家の所有となったのです」
 延べ床面積500坪にもなるビルの経営は、片手間でできる仕事ではない。だが開業医だった父は忙しく、基本的に経営にはノータッチ。必然的に、伯母が1人で長年にわたってビル経営を行うこととなった。
 細田社長自身は、大学卒業後はプロのミュージシャンとして活動。新宿や銀座のライブハウスでの出演をメインにしていたため、実家から離れて暮らしていた。そのため、父が開業していた医院のことはもちろん、家業のビル経営に関しても全く関わり合いがなく、経営状態についても知らなかった。
 そうした中、父が2010年に病に倒れ急逝した。それはあまりに突然だった。
「まず降りかかってきたのは医院のことでした。父が雇っていた医師や看護師も急に院長がいなくなった状態です。1年間は閉院のために奔走しました」(細田社長)
 閉院に際しては、資金面でも大いに苦労した。土地を買い取った際の借り入れの返済もまだ4億円ほど残っていたうえ、医師たちの退職金についても全く目途が付かない状態だった。そこに救いの手を差し伸べてくれたのが、当時ビル経営を行っていた伯母だった。
 1年かけてなんとか無事に医院を閉じることができた細田社長は、ミュージシャンとしてのキャリアに見切りをつけ、伯母を手伝うために家業であるビル経営に参画することになった。

テナントは空きばかり
大幅リノベでイメージアップ

 細田社長がビル経営に携わり始めた当初、入居テナントは、銀行が退去した1995年から15年にわたっての長期入居をしていた大手証券会社が1社のみであった。だが、1階と2階、そして3〜4階の一部も借りており、賃料も伯母にとっては十分な収入額になっていた。
 「伯母としては複数のテナントを入れて手間がかかるくらいなら証券会社のみ入居させているほうがいいと考えていたようなのです」(細田社長)
 しかし、万が一証券会社が退去した場合、経営が立ち行かなくなってしまう。安定的な収入に見えて、実は非常に不安定な状況といえた。なんとかしてビル経営に関する知識を身に付けて対処しなければと悩む細田社長が出合ったのが、横山篤司氏が代表理事を務める一般社団法人不動産オーナー経営学院REIBS(リーブス:名古屋市。以下、リーブス)だった。リーブスで得た学びを生かして、まずはテナント誘致を始めた。その結果、駅前さらには接道した道路が日曜日は歩行者天国になるようなにぎやかな通りということもあり、パソコン教室やマッサージサロン、そして不動産会社などが入居した。

 

 次に、ランニングコストの見直しを図り、自主管理に切り替えた。運営費を下げ、収入を上げていくべく、細田社長は、エントランスの壁面でも収益化を図った。例えば、当時入居していた不動産会社のマイソクを壁一面に貼り、その部分からも収入を得ることにした。だが、結果としてエントランスは雑多な様子になってしまったのだ。
 「『ザ・雑居ビル』という何ともいえない雰囲気になっていました」と細田社長は苦笑する。学んだことを実践したいという気持ちはあるものの、どこかで努力が空回りしていることを感じていた。

(2025年6月号掲載)
次の記事↓
ビルオーナー 物語:元ミュージシャンがビル経営②

この記事の続きを閲覧するには
会員登録が必要です

無料会員登録をする

ログインはこちらから

一覧に戻る

購読料金プランについて

アクセスランキング

≫ 一覧はこちら