【特集】競輪選手時代から賃貸経営、引退後の支えに

賃貸経営不動産投資

<<スポーツ選手のセカンドキャリアとしての不動産経営>>
華やかに見えるプロアスリートの世界。しかし、けがをしたり現役を退いたりした瞬間から収入が途絶えるというシビアな環境でもある。第二の人生を見越して不動産経営を選択した元プロ選手、そして現役選手の歩んできた道を紹介する。

競輪
現役時代から賃貸経営 地震と景気変動を経て拡大

宮本保孝オーナー(熊本市)

 宮本保孝オーナー(熊本市)は、熊本県内に4棟108戸のマンションのほか、熊本、佐賀、宮崎、千葉の4県に野立ての太陽光発電設備を所有している。

 宮本オーナーが賃貸経営を始めたのは今から28年前の1997年、自身が24歳の時だった。94年から競輪選手として活動を開始。当時、全国で開催されるレースに出場するため月の半分は家にいない状況だった。しかし、競輪の世界では、けがをして欠場すれば全くの無収入になる。何か副業を始めたいと考えていた。

 そんな中、競輪選手の先輩から「不動産なら手がかからない」と賃貸経営を勧められた。

 初めての物件は熊本県内の実家のあった土地に建設。軽量鉄骨造で2LDK・4戸、3LDK・4戸計8戸の建物だ。98年に結婚して以降、翌年誕生した長男が幼稚園に入園するまでこの物件の一室に暮らしていた。

 宮本オーナーは「最初は自分の住む家を買って、ついでにほかの部屋で家賃を得ることができればいいというつもりでした」と当時を振り返る。

 その後、18年にわたり競輪選手として活躍しながら順調に不動産経営を拡大。競売などで中古物件を手に入れ、サブリースで運用していった。中古物件は順次売却し、新築物件の購入費用に充てることで、資産を増やしていった。2015年には、専業オーナーとなった現在とほぼ同じ規模にまで賃貸経営を拡大させていた。

▲18年にわたって続けた現役生活

大打撃となった熊本地震 新築竣工につながる 

 順調に進んでいた宮本オーナーの不動産経営に大打撃を与えたのが、16年4月に起こった熊本地震だ。

 「自宅近くの分譲マンションのピロティがつぶれていました。大慌てで自分の物件を見に行き、まずは『ぺちゃんこになっていなくてよかった』と安心したのです」(宮本オーナー)

 一番大きな被害を受けた物件は、外壁に大きな亀裂が入っていた。早急に修繕計画を立て、対応する必要があった。

 自身も被災しているうえ、当時の宮本オーナーはまだ現役の競輪選手だった。しかし、競輪に費やす労力よりも物件を回ることに時間を割いたという。懇意にしている管理会社の社員と共に、入居者宅を1軒ずつ訪ね、室内の被害状況を聞いて回った。
「『まだここに住みたい』といってくれる入居者が多かったので、すぐにできた修繕は外壁工事くらいでした。しばらくは退去が出るたびに部屋ごとの修繕が必要になり、費用もかかりました」(宮本オーナー)

 熊本地震の翌年には、競輪選手を引退。不動産が主な収入源になった。しかし、その後にも、大きな転機が訪れた。台湾の半導体メーカーが熊本県内での工場建設を発表したのだ。これを機に、売却価格が高騰した熊本県菊陽町の物件を売却し、熊本市内に新築のマンションを建てた。

▲熊本市内に新築したマンション

 「以前は売却しても『残債がなくなればいい』ぐらいに思っていた物件で、思いがけず大きな売却益が得られました。とはいえ、先の読めない半導体バブルですから、今後も、地道に欲を出さずに経営していきたいですね」と話す宮本オーナー。

 熊本地震の際に絆が深まったという管理会社や工務店と協力しながら、地元熊本で賃貸経営を続けていく予定だ。

(2025年8月号掲載)
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Bリーグ現役選手が築古戸建てで賃貸経営スタート

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