ビルオーナー物語:秋葉原のビル経営

賃貸経営店舗・オフィス

電気街からサブカルチャーの聖地へ
秋葉原の文化を支えるビル経営を目指す

祖父の代から所有する5階建てテナントビルを、家族で経営する宝ビルディング(千葉県松戸市)の小倉利夫社長。所有物件を増やしながら、建て替えという一大事業に向けて準備を行っている。

宝ビルディング(千葉県松戸市)
(左から)小倉裕貴取締役(27)、小倉わかば取締役、小倉利夫社長(67)

 JR山手線秋葉原駅は、2023年に東京都の乗降客数のトップ10に入るほど、人の行き来が活発な駅だ。インバウンドが急増する昨今では、特に日本のアニメ・ゲームなどのサブカルチャーの聖地として、多くの外国人観光客の姿を目にする地域になっている。

 その秋葉原駅から徒歩4分の場所に立つのが、1962年竣工の5階建てビル「宝ビルディング」だ。現在は、4階に防犯グッズの店が入っており、それ以外のテナントは、「メイド喫茶」に代表される「コンセプトカフェ」という、ある特定のテーマに沿った世界観を持つカフェが入居している。
 「竣工当初から2000年までは、当ビルの入居はオフィスばかりでした。今から20年ほど前にテナントが様変わりしてきました」と小倉社長は話す。

 当時、秋葉原は再開発により新しいオフィスビルが次々建てられていた。その逆風もあり、慢性的に空室が発生し、容易には埋まらなくなっていた。そこで、新規の不動産会社に仲介を依頼するようになったところ、同人誌の制作会社が入居した。

 折しも秋葉原が電気街から「オタクの街」として姿を変えつつあった時代。同人誌の制作会社の入居が決まった後は、コレクター向けの人形を売るテナントや、ゲームの武器のフィギュアを扱う武器屋などのテナントが入居。不動産会社から、時代に合ったテナントを紹介してもらうようになったことで、空室はすぐに解消。退去が発生しても次のテナントの入居付けに苦労することがなくなった。

 「当初は物販系のテナントの入居が多くありました。ところが、ECサイトが生まれ、オタクグッズがサイト上で販売されるようになったことと、秋葉原の地価が上がり、家賃も上昇したことで、物販を行うテナントの入居が減少してきました。そのため、現在は物販よりも利益率の高いコンセプトカフェの入居が増えてきたのではないかと考えています」と小倉社長は分析している。

フットワークの軽い祖父 貸しビル事業への転身

 小倉家はもともと、クリーニング事業を営んでいた。戦後間もない頃に、小倉社長の祖父にあたる小倉保氏はオーストラリアに渡り、クリーニング事業を学んだ。帰国後すぐに、東京都台東区の入谷に土地を購入し工場を建設。スーパーマーケットなどを顧客に持ちながら主に制服のクリーニングを請け負っていた。

 そんな保氏がビル経営に興味を持ったのは本当に偶然のことだったという。たまたま、散髪をしているときに「貸しビル事業というものはもうかるらしい」と理容師から聞き、早速土地を探しに行ったのだ。そこで見つけたのが、当時、焼け野原からの復興途中で、まだビルなど建っていなかった秋葉原の34坪ほどの土地だった。保氏はその土地を購入し、新築ビルを建設。1962年にビル賃貸事業として宝ビルディングを創業した。海外にクリーニング事業を勉強しに行ったり、ビルを建てたりと、起業家精神にあふれた祖父だった。

 5年ほどクリーニング事業とビル賃貸事業を並行して行っていたが、入谷の工場の売却を持ちかけられたことで工場地を手放した。クリーニング事業は廃業し、その売却益で千葉県松戸市に新たに土地を購入し、ビルに加えてアパート賃貸事業も開始した。

 保氏から、小倉社長の父親である功氏へ代が移り、順当にいけば長男である小倉社長が継ぐことは明白だった。

 小倉社長は大学卒業後、司法書士事務所に就職。家業に入る前にまずは外の世界を見ることにした。数年たつと「そろそろ家業での修業を」と功氏から声がかかった。だが、家業に戻ると「遊び過ぎではないか」などあれこれと文句をつけては「出て行け」と父親が言ってくる。「出て行けば出て行ったで、数年後にはまた戻ってこいと。そういうことを2〜3回繰り返し、親子でビジネスをすることの難しさを感じました」と当時を振り返る小倉社長だ。

 だが、そんな父親の対応が変わるきっかけとなったのが、妻わかば氏の家業への参画だった。92年に父親の元に戻った小倉社長はその3年後に結婚。妻がビル経営に関わることになりようやく落ち着いて事業承継が行われた。「2001年に義父が亡くなるまで3人でビル経営ができたことで、義父が亡くなった際も大きな混乱が起きずによかったと思います」と話すわかば氏。わかば氏は、妊娠中に「集中できる時間は今しかない」と意を決して宅地建物取引士の資格も取った。夫婦二人三脚でのビル経営だ。

▲竣工時はオフィスビルだったが、現在はテナントも様変わりした

建て替えに向けて着々と準備 定期借家への切り替え完了

 21年には、大学院を卒業した息子の裕貴氏もビル経営に加わった。この後、家業の屋台骨である宝ビルディングの建て替えという一大事業が待っており、家族でその事業を乗り切る考えだ。

 築50年を超えてきたあたりで、いずれ建て替えは避けられないだろうと考えていた。そこで、不動産会社の協力を得て、テナントの契約を定期借家契約に切り替えていった。現在、無事にすべてのテナントが28年に契約満了となるように変更したという。

 また建て替えの間の家賃収入を確保すべく、18年に東京都新宿区に1棟6戸のデザイナーズマンションを購入した。「松戸市に2棟20戸を所有していますが、別のエリアに全く違うタイプの物件を購入して収入を安定させたいと考えました」(わかば氏)

 着々と準備を進めてきたが、ここにきて秋葉原エリアの再開発が発表された。「外神田一丁目南部地区のまちづくり」と呼ばれる開発計画では、高さ170mの高層ビルを含め、数棟の複合ビルが建設される予定だ。「宝ビルディングは再開発エリアからは外れていますが、恐らく、街の風景が一変すると考えています。それを含めて、どういうビルを建てれば今後もこの地域でテナントに選ばれるビルになっていくのか、考えなければならないと思っています」(小倉社長)

【宝ビルディングの歴史】
戦後 小倉保氏が東京都台東区でクリーニング事業を開始
1962年 秋葉原に宝ビルディングを竣工
67年 クリーニング事業を廃業し、千葉県松戸市にアパートと自宅を建築
86年 松戸市に新たな土地を購入しアパート新築
2018年 東京都新宿区に

(2024年12月号掲載)

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