ビルオーナー物語:個性のある小規模なビルを渋谷に残す

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スクラップ・アンド・ビルドからの脱却
個性のある小規模なビルを渋谷に残す

ミネギシビル管理(東京都渋谷区)の峰岸直也社長は、祖母が始めたビル経営を引き継いだ。渋谷の地主として、渋谷ビル経営者協会(同)の代表幹事としての顔も持ち、同エリアのビル経営者向け勉強会を毎月開催している。

ミネギシビル管理(東京都渋谷区)
峰岸直也社長(62)

 

 ミネギシビル管理の峰岸直也社長は、JR山手線渋谷駅から徒歩5分圏内に3棟のビルを経営している。今でこそ、周囲は飲食店や物販店の入る雑居ビルも多く立ち並ぶが、かつてはオフィスビルがメインだったという。現在でも、同社が経営するビルのメインテナントはオフィスだ。

 ITの有名企業が渋谷に進出し、大規模ビルにオフィスを構えると、その取引先や関連企業が周辺のオフィスビルに入る。渋谷の小規模オフィスビルはそうした構図の「恩恵」を受けているともいえる。

▲戦後間もない頃の地図に「峰岸質店」の文字が見える

 峰岸社長の代になり20年がたった。2008年のリーマン・ショックや11年の東日本大震災で不動産賃料が冷え込んだ時代はあったものの、こうした渋谷の特色もあり、長期間の空室に悩んだことはないという。

 とはいえ、この先どうなるかは誰にもわからない。峰岸社長は「近年見られる資材や人工代の高騰、そしてSDGs(持続可能な開発目標)の観点から見ても、築古ビルを解体して新築を建てるのではなく、既存の物件をメンテナンスしてバリューアップを図ることが大事なのではないでしょうか」と話す。同社でもエレベーターのリニューアル工事や、共用部にデジタルサイネージを導入するなどしてテナントリテンションを図っているという。

質屋開業に賃貸ビル竣工 ビジネスを開始

 渋谷がまだ農地だった頃から、現在の渋谷区渋谷3丁目に土地を多く所有していた峰岸家。祖父の伊佐雄氏は、戦前から土地を底地として貸し出していた。

 1952年、祖父が若くして急逝したことにより、祖母の八重氏は大学生を筆頭に4人の子どもを1人で育てることになった。そこで始めたのが質屋だった。「地代を回収することで手元に現金があったため、すぐに始められる仕事が質屋だったのでしょう」と峰岸社長は話す。その後、祖母がテナントビルを竣工し、峰岸家のビル賃貸事業が始まった。

 峰岸社長の父親である晃一氏がビル経営を行うようになってからは、相続対策を意識し始めた。祖母が建てたテナントビルを解体し、91年に「第1ミネギシビル」を竣工した。そしてその8年後には同様に「第2ミネギシビル」に建て替えた。

ビル経営を引き継ぎ20年 経営者の会をけん引

「この期間はとても慌ただしかった」と峰岸社長は振り返る。というのも、第2ミネギシビルの竣工に前後して99年に祖母が亡くなり、相続権のあった叔母が2000年、そして02年には父親が相次いで亡くなったのだ。

 峰岸社長が家業に入ったのは01年。短いながらも父親と一緒にビル経営に携われてよかったという峰岸社長だが、若い頃はビルオーナーとしての自身の姿を想像することはなかった。「サラリーマン時代は、大和ハウス工業と大和リビングに勤めていました。建設、仲介、管理を担当する中で、仕事で付き合いのあった弁護士から『あと足りない経験はオーナーだけだね』と言われたこともありました。それでも自分がオーナーになるとは想像もしていませんでした」(峰岸社長)

▲右が第2ミネギシビル、左が第3ミネギシビル

 別の分野に挑戦したいと14年のサラリーマン生活に終止符を打ち、01年に社会保険労務士として独立した。独立をきっかけに、父親のビル経営を少しずつ手伝うようになった。その矢先での父の急逝だった。

 そんな峰岸社長が出合ったのが、渋谷ビル経営者協会だ。08年に入会後、役員を経て20年からは代表幹事を務める。代表幹事を引き継いだときは100人程度だった会員も今では125人まで増え、毎月行われる勉強会には50人前後が参加する活発な会だ。同協会での勉強会で学んだ建物管理のアイデアを、所有物件にも反映している。

 ビルオーナー共通の悩みについて聞くと「事業承継」だと峰岸社長は答える。「街を見れば、少子化で若い人がおらず、賃貸住宅の入居者獲得が難しい時代だといわれています。家庭に視線を向けても同じことがいえるでしょう」。つまり、少子化という問題はビルオーナーの事業承継にも大きな影響を与えていると考える。「かつて日本人の夫婦には2〜3人子どもがいるのが当たり前でした。それなら誰か1人くらいは経営を受け継いでくれるだろうと、あまり気負うこともありませんでしたが、今は違います。たった1人の子どもが継いでくれなかったら、承継できないのです」(峰岸社長)

 またビルオーナーの場合、物件のある場所と住む場所が必ずしも同じでないことも少なからず影響すると考える。峰岸社長は生まれも育ちも横浜市だが、それでも渋谷には祖母の自宅があったため、子どものときによく訪ねていた。渋谷という場所に少なからず愛着はある。だが、息子にとっては、住んだことも親戚がいるわけでもない土地に物件があるわけだ。「それでも、地主が地を手放すのは難しいこと。息子にとって思い入れのない土地のビル経営を、どのように承継するかを今後試行錯誤していく必要があります」(峰岸社長)

【ミネギシビルの歴史】

戦前より 祖父の峰岸伊佐雄氏が底地を賃貸し始める
1952年 伊佐雄氏が急逝。祖母の八重氏が賃貸経営の傍ら、質屋を開業
1950年代、70年代に祖母がビルを竣工
91年 建て替えに伴い、第1ミネギシビルを竣工
99年 建て替えに伴い、第2ミネギシビルを竣工
2019年 後継者のいない借地人からビルごと借地権を買い取り第3ミネギシビルを取得

(2024年9月号掲載)

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