フォーラムレポート:冷泉荘が国登録有形文化財に

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戦後のRC造民間集合住宅 初の国登録有形文化財

福岡のレトロビル「冷泉荘」

 築66年のレトロビル「冷泉荘」が国の登録有形文化財に登録される見通しとなった。これを受けて、8月10日に所有者の吉原勝己オーナー(福岡市)が有識者らを交えて報告会を兼ねたフォーラムを開催し、約40人が参加した。

旧博多部に残る戦後復興期の 貴重な建物として評価 

 𠮷原オーナーが所有する築66年のレトロビル「冷泉荘(旧八木アパート)」。7月19日に開かれた国の文化審議会は、同ビルを国登録有形文化財に登録するよう文部科学大臣に答申した。

 冷泉荘は、福岡市の繁華街の中洲に程近い博多区上川端町にある。このエリアは旧博多部と呼ばれ、戦後復興期の建物が残っているのは珍しい。

 1958年に民間事業者によって集合住宅として建築され、RC造の地上5階、地下1階建てで建築面積は211㎡。これまでの歴史を尊重して外壁や各戸の間取りを保存しながら、現在は事務所や店舗として活用されている。

 答申では旧博多部に残る戦後復興期の貴重な建物である点が評価された。戦後のRC造民間集合住宅としての登録は、全国で初めてとなる見込みだ。

▲冷泉荘の外観

見学会とフォーラムに約40人が参加 

 2024年8月10日、𠮷原オーナーは、答申を契機に現地で建物の見学会と報告会を兼ねたフォーラムを開催。𠮷原オーナーからの報告の後、岡山大学の橋田竜兵講師、九州大学の菊地成朋名誉教授が講演した。

 まず、𠮷原オーナーが「欧州のように、古いからこそ価値がある建物を福岡でも造れるのではないか」との思いで、冷泉荘の保存活用に取り組んでいる旨を報告した。

 冷泉荘は元々、八木住宅合資会社の創業者である八木良衛氏によって八木アパートとして建設されたものだ。65年に𠮷原オーナーの父親が社長を務めていた𠮷原住宅(同)が購入し、冷泉荘に改称。02年まで住宅として利用してきた。

▲フォーラムに先立って行われた現地見学会。建物裏側の外壁の保存について説明を聞く参加者たち

 大きな転機が訪れたのは06年。建物を受け継いだ𠮷原オーナーが一棟全体をコンバージョンして、「リノベーションミュージアム冷泉荘」として生まれ変わらせたのだ。それ以降は、住戸としての利用ではなく、店舗やクリエーターのアトリエが入居するようになったという。

▲住戸として利用していた状態で保存されている建物5階の「当初部屋」。掃き掃除のための掃き出し窓が今も残っている

 冷泉荘の魅力はその古さだ。古さを生かした姿の保存にも力を入れている。𠮷原住宅の「福岡の古い建物を大切にする考え方の実践(ビルストック活用)」の理念の下、11年に耐震改修、16年に大規模修繕を実施。その際にあえて古さを表に出しながらの補強を行った。例えば、爆裂した外壁は透明の塗料を使って塗り固めて景観が変わらないようにしたのである。𠮷原オーナーが「時間をかけて社会的価値が上がっていく建物は、経済的価値も上がっていく」と話すように、現在は、管理人室や多目的スペースを除いた22戸すべてが満室だ。賃料も06年以降上昇している。

 続いて、橋田講師が「冷泉荘の文化財としての評価」と題して講演した。「登録有形文化財になっている集合住宅は、ほとんどが東京都にある」と指摘。冷泉荘が地方都市である福岡に立つ点に注目し、立地面での希少性が高いとした。
 続く菊地名誉教授の講演タイトルは「冷泉荘のコンテクスト:その場所性と時代性」。冷泉荘の特徴について「(建築された)同時代の公共住宅で開発された技法をいち早く取り入れている」「一つの建物の中にさまざまな住戸タイプが共存している」と語った。
 会場には家主や住宅業界関係者ら約40人が訪れ、興味深げに耳を傾けていた。

 冷泉荘(旧八木アパート)の特徴 
▶︎道路は北に面し、東西で異なる階段形状
▶上階はセットバックが施されている
▶東西の住棟で異なる住戸配置がなされている。全戸で7種類のユニットタイプ
▶建設当時、住棟東側の塔屋にはシャワールームが設けられていた
▶住戸1戸を「当初部屋」として当時利用されていた状態で保存している

▲フォーラムで𠮷原オーナーの話に耳を傾ける参加者たち

(2024年11月号掲載)

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