1955~70年建築の建物を自主管理 戸数が多くても安泰ではない
建築会社の社長だった父は、売れ残った物件を貸家として活用していた。経営を引き継いだ神吉(かんき)優美オーナー(兵庫県芦屋市)は326戸を自主管理で経営している。物件が広範囲にあるため、移動するのも一苦労。最も新しいものでも築54年、前途多難な状況でありながらも神吉オーナーは入居者目線でさまざまな仕掛けをして入居率を高め、再生している。
神吉優美オーナー(兵庫県芦屋市)
神吉家は、賃貸住宅326戸を経営している。戸数が多いが自主管理だ。不動産は法人と家族個人で所有。中心となっているのが神吉オーナーである。
もともと建売事業を営んでいた父が、1955年から売れ残った住戸を借家にしたのが神吉家の賃貸経営の始まりだった。後に賃貸向けの住宅を建てるようになり、棟数・戸数を増やしていった。所有している物件は最も古いものが1955年建築、新しいものでも70年建築だ。また当時父は新築需要があれば仕事に出向いていたことから、大阪府豊中市、茨木市、大阪市、兵庫県尼崎市と所有エリアがとにかく広い。一番物件の多い豊中市を中心に、北東に20㎞、南に40㎞と広範囲に物件がある。「所有物件は、古く、戸数が多く、分散している。これが神吉家の不動産の特徴です」と神吉オーナーは苦笑いする。
2018年、父が老人ホームに入所し、母が詐欺に遭ったのをきっかけに、神吉オーナーが家業を承継。24年には大学の教員を辞して専業家主となった。父がワンマンだったこともあり、それまで実家の賃貸経営にはほとんど関わってこなかった神吉オーナー。家主業を担うようになってまず行ったのは、所有物件に出向いて現場と登記の確認をすることだった。半年間程は、家賃滞納の状況把握と督促、そして日々の清掃と、時が目まぐるしく過ぎていったという。そのうえ、空室が多いことも明るみに出た。経営面では困っていなかったが、空室をそのままにしておくと物件が傷み、入居者に迷惑がかかる。対応に悩んでいた。
物件に出向いたときに「空き家が増えると寂しい」「あなたのお父さんはいい大家だった」という入居者からの声を聞いたことが、今の神吉オーナーの取り組みにつながっていく。父は「低所得の人たちが安心して暮らせる借家を運営するのが自分の役目だ」と言っていたが、今は住宅が余っている時代。神吉オーナーは、入居者のために所有エリアに活気を取り戻し、人と人とがつながれる場所をつくるという目標を立てたのである。
自分の関わる場所で実現するコミュニティーづくり
神吉オーナーの現在の取り組みは主に次の三つ。①入居者が間取りや内装を決めることができる「自分好み賃貸」②コミュニティーづくり③大阪公立大学とコラボレーションした長屋の再生だ。
まず、自分好み賃貸。大阪府豊中市にある1970年建築の鉄骨造72戸の「浜神吉マンション」は、引き継いだ当時、空室率が50%以上になっていた。そこで、空室率改善のために考えたのが、入居申込み後に入居者の希望どおりの間取り・内装にリノベーションすることだった。「何もせずに家賃を下げて募集したほうが、収支面ではよかったかもしれません。しかし、それでは活気を取り戻すことにはつながりません」(神吉オーナー)
スケルトン状態で募集をかけたが、反響はゼロだった。そこで一室をモデルルームにしてSNSで宣伝したところ、入居希望者が続々と集まった。入居申し込みの後は、設計士を交えて改修プランを決める。その後、オーナー側が費用を負担してリノベを行う。改修した20戸は現在満室となっており、建物全体の入居率も75%ほどまで改善した。
また築年数が古いため高齢入居者が多かった物件に、ほかにはない自分らしい間取りや内装に興味のある若い人が入ることで多世代が入居することになり、多様性が増したという。
▲空室で新年会を開き、入居者同士が交流する機会に
二つ目はコミュニティーづくり。浜神吉マンションでは、空室を利用して2020年に新年会を開いた。50年近く暮らす高齢者や自分好み賃貸をきっかけに入居した若者、ベトナム人技能実習生ら43人が参加し、入居者同士が交流する格好の機会になった。
20年の年末には空室をコミュニティールームにリノベ。入居者の誕生日会やみそ造りのワークショップを行い、地域の若者や子どもが集まっている。このほか、24年4月からは、このコミュニティールームを活用し、地域の小中学生向けに夕食付きの学習の場を開設。子どもだけでなく保護者も無料で参加することができる。「結局、人と関わるきっかけが大事なのです。場所と、そこを必要とする人を結び付けたい。自分の所有物件やエリアで、それを実現したいと思っています」(神吉オーナー)
またほとんどの入居者が高齢となっている豊中市の文化住宅「幸町四丁目神吉文化」では、1階の端の空室をコモンルームに改修。豊中市社会福祉協議会に無償提供し、地域共生施設「庄内和居輪居」として、認知症患者や家族が集まれる「オレンジカフェ」を開催したり、福祉相談をしたりする場として活用されている。
イベントも物件に活気を与えるが、神吉オーナーは日々入居者と世間話をし、母の日に花を贈るなど、何げない会話を大切にしている。イベントと日々の暮らしの積み重ねが人の居場所を増やしていくのである。
三つ目は、大阪公立大学の建築学科とコラボした長屋の改修だ。大阪市住吉区にある1957年建築の長屋は、3棟17戸のうち12戸が神吉家の所有する借家。空室となっている2戸を改修予定だ。建築学科の学生をターゲットにしたシェアハウスに改修する。23年秋に有志の学生8人と顔合わせをした。その後は学生、指導教員、オーナーとでどんな用途にするか、どんな入居者を呼ぶことができるか、家賃とのバランスなどを話し合い、徐々に計画を進めている。「現状は、スケルトン状態にした後に基礎を打ち直した状態です。まだ大学で習っていない作業をしたり、思い描く理想と家賃という現実の間でもがいたりしている学生たちを、完成まで見守りたいと思います」(神吉オーナー)
父から受け継いだ信頼関係 売却せずに入居者に寄り添う
神吉オーナーは父のことを「自分でこうと決めたら、誰の話も聞かずに実行する、いわゆる昭和の頑固おやじ」と言う。父はかなりのワンマンだったため一緒に賃貸経営を行ったことはなかったが、入居者との信頼関係がしっかり出来上がっている様は子どものころから見ていた。「父はお金のことだけを考えていたのではありません。生活を支える場を提供する経営者として、入居者を大切に考えていた。それは私が受け継いだとても大切な考え方です」と話す。
高度経済成長期に建売事業をしていた父。当初は大工を抱えておらず、外注していた。しかし請け負いで仕事をする職人たちが手抜き工事をするのを目の当たりにし、不信感を抱いた父は自社で大工を抱えることにした。職人のちょっとした手伝いをする人のことを「手元」というが、当時神吉オーナーの父は社長でありながらこの手元をしていたという。朝一番に大工道具を現場に運び、その日の作業内容を確認。材木やくぎなどの発注も父がしていた。これは大工に効率よく働いてもらうためで、現場に社長がいることでずいぶん雰囲気が引き締まったという。
そしてその行動からは副産物も生まれた。「父は仕事中ずっと借家やその近くにいました。そうすると、父が入居者と会話をしたり、電球の交換をしたりするようになっていきました。入居者のほうも、社長自ら汗水垂らして大工の補助の仕事をしているのを見ているので、むちゃな要求はしません。コミュニティーにまったく興味のなかった父ですが、結果として入居者との信頼関係が生まれていたのです」(神吉オーナー)。父親が自然にやっていたことが、神吉オーナーが今取り組んでいることであり、今後発展させていきたいことなのだ。
父は23年に亡くなり、相続が発生。父が個人で所有していた不動産は、相続人たちで共有とした。実は、実売価格よりも相続税評価のほうが高くなるような不動産もあったが、今後も売却は考えていない。今の入居者を大切に守りながら時機を見て建て替えも検討していきたいと考えている。「子どもの頃から父に『入居者が払ってくれる家賃で家族はおまんまを食べているんだ。絶対追い出すようなことはするなよ』と聞かされてきました。賃貸経営は家業であって投資ではありません。売却は考えずに、入居者がここに暮らしていてよかったと思ってくれるような物件やコミュニティーをつくっていきたいです」(神吉オーナー)
(2024年10月号掲載)
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