ビル オーナー 物語:受け継いだビルを自主管理

相続事業継承

父から受け継いだビルを自主管理 入居テナントを守る修繕を実施

 父親からビル経営を受け継いで19年目となる川瀬千鶴子オーナー(川崎市)。事業承継後は、経理を学び経営を行っている。入居者の安全を確保し、退去を抑制するための積極的な修繕の効果もあり、満室経営中だ。

進和産業(川崎市)
川瀬千鶴子オーナー

 川瀬オーナーは、2007年に父親からビル経営を引き継いだ。所有物件の一つはさいたま市にある「エイペックスタワー浦和」だ。「現在は川崎市在住ですが、もともとは浦和の出身です」と話すが、この物件は父親の興した会社の本社ビルがあった場所に立っている。

 1990年代後半のJR浦和駅前再開発事業に組み込まれたことで、2003年にエイペックスタワー浦和に生まれ変わった。7階建てのテナント部分と31階建てのマンションから成る物件で、浦和で最も高い超高層マンションという触れ込みで竣工した。資産管理会社である進和産業(川崎市)は、同物件のテナント部分の2〜3階を区分所有している。

 「エイペックスタワー浦和は管理センターもあり、管理に手間はかかりません。請求書の発行と入金管理のみ行っているような形です」(川瀬オーナー)

 

 もう一つの物件は、東京都の北東、北区王子にある「サンプレー王子ビル」だ。王子は、かつて旧王子製紙の工場があったことで、1960年代までは従業員たちが住む社宅が多く立っていたが、現在のJR王子駅の駅前は、商業ビルやマンションが立ち並んでいる。同物件は、赤いレンガ造りが印象的な6階建てのビルだ。この物件は自主管理をしているという。

2度目の起業がきっかけ 父親がビル経営をスタート

 サンプレー王子ビルを竣工した81年は、父親が2度目の起業をした翌年だった。

 1度目の起業は65年。元同僚たちと共に埼玉県戸田市に東和レジスター工業を立ち上げた。スイスにある精密機械会社とも提携をし、事業を拡大。東証2部上場も果たした。だが、株式公開後、大手企業に吸収合併された。

 合併後は、経営陣との意見の相違があり退職。80年に、その際の退職金と個人的な蓄えを使って2度目の起業に踏み切った。折しも日本国内のパソコン市場をけん引するNEC(東京都港区)が「PC–88シリーズ」の販売を始めた時期だった。

 父親はNECからのれん分けを受ける形で、NECシステムイン・サンプレーを立ち上げた。そこで、本社兼パソコン教室として、浦和駅前に自社ビルを構えた。「当時、浦和で唯一のコンピューター会社だといわれていました」(川瀬オーナー)

 

老後の収入源としてのビル竣工 長期入居テナントを獲得

 2度目の起業を果たしたところで、川瀬オーナーの父親は「老後はゆっくり、家賃収入で暮らしていくのもいいだろう」と考えた。そこで、サンプレー王子ビルを竣工。ビル賃貸事業を開始した。

 「1〜3階までをテナント、4~6階を住居用6戸として竣工しました。ですが、結果として、住戸部分もこの44年間すべて事業用テナントとして借りてもらっています」と川瀬オーナーは話す。

 テナントは、眼鏡店と眼科、調剤薬局、不動産会社、そして会計事務所が入居している。現在入居中のテナントは、すべて竣工時からの付き合いだという。「父が入居希望のテナントをしっかり調べて見極めたおかげ」と川瀬オーナーは考える。

 会計事務所は事業拡大に伴って借りる戸数を増やしている。最初は住戸部分1戸から始め、今は5戸が会計事務所。テナント側の希望を受けて、2戸を一つにする工事も行ったほどだという。

 「眼科は2代目となりましたが引き続き入居しています。事業者にとって、人材確保は重要なポイント。このビルの立地や利便性は従業員の満足度につながるでしょうから、積極的に退去しようという気持ちにならないのだと思います」(川瀬オーナー)

専業主婦から一転、ビル経営 FPと経理の勉強を始める

 前述のとおり、川瀬オーナーはサンプレー王子ビルを自主管理している。だが、ビル経営事業を承継した当時は専業主婦だったそうだ。
 「父が亡くなる2〜3年前より『ちょっと遊びにこないか』と声をかけられて、ビルの管理・経営をそばで見る経験はしました」と川瀬オーナーは話す。だが、実際に1人で経営するとなると、見よう見まねだけでは成り立たない。そこで、引き継いだ直後から簿記やファイナンシャルプランナー(FP)の勉強を始めた。簿記の資格を取得し、自分で確定申告をすることで少しずつ経営が見えてきた。

 同時に、銀行の事務センターをはじめ、財団法人や一般企業での経理事務を務め、ビル経営以外にパート従業員として経理の仕事に携わりながら、数字に対する感覚を養っている。

 引き継いだサンプレー王子ビルは築44年になり、計画を立てつつ修繕を行っていかなければならない。付き合いのある事業者に相談しながら、ビルの保全に努めている。実際に、川瀬オーナーの代になってから、多くの修繕を行った。

 エレベーターの修理部品供給停止による「エレベーター2012年問題」が取り沙汰された2012年には、500万円ほどかけて制御システムを変更した。3年前には、テナント向けに高圧電力を低圧に変換する「キュービクル」の交換を行い、その翌年には、給水システムを受水槽方式から直接テナントに給水するシステムに変えた。直結型に移行することで年に2回の断水を伴うメンテナンスが不要になり、より衛生的にテナントへ給水できるようになった。

 「この二つのシステムの交換で1000万円ほどかかりました。経年劣化による更新でしたが、自主管理ですので日々の細かいメンテナンスに追われるよりは、ある程度の金額をかけてしっかりと修繕していくほうがいいと考えます」(川瀬オーナー)

 そのほかにも屋上・外階段防水や各戸のドアの入れ替えなど、それぞれ100万円単位のお金を修繕に費やしている。築古物件オーナーにとって、建物修繕の費用の捻出は頭を悩ませる問題だろう。川瀬オーナーはどのような形でその費用を捻出しているのか。するとその答えは「外貨預金による為替差益」なのだと返ってきた。

海外の銀行で口座を開設 きっかけは政府の移住計画

▲かつて所有していたゴールドコーストのコンドミニアム

 父親はサンプレー王子ビルの竣工後、国内で物件を増やすことはしなかった。代わりに1989、90年に個人でオーストラリアのゴールドコーストにコンドミニアムとテナントビルを購入した。86年に旧通商産業省が「シルバー・コロンビア計画」と呼ばれる「リタイア後の第二の人生を海外で過ごそう」というプログラムを推進した。それを見た父親が、海外移住の足掛かりになる場所探しを始めたことがきっかけだ。
 物件は95年から2003年にかけて徐々に売却したが、売却益はオーストラリアの父親の個人の銀行口座に預けた。

 「父が口座を開いた当時は、10%という高い金利でした。売却時は5~6%でしたが、それでも日本に比べたら高金利。そのため、口座をキープしておくほうが得策だと考えたのです」と川瀬オーナーは話す。
父親のオーストラリアの銀行での投資を見てきたこともあり、父親の死後は川瀬オーナー自身で新たに現地の口座を開設し、運用を続けた。その後、09年に利息と為替差益を狙って、進和産業名義で同じく口座を開設した。

 12年にアベノミクスで円安になったのとちょうど同時期にエレベーターの大規模修繕を実施。費用は、オーストラリアドルの利息と為替差益で賄うことができた。

 その後も、円高のタイミングで少しずつ送金を続けたという川瀬オーナー。

 「世界的に低金利時代に突入し、利息はそれほど増えませんでした。一方で、コロナ禍明けの円安が、タイミング良くキュービクルと水道の更新時期にあたりました。為替差益が大きく、修繕費用の8割は賄えたかと思います。日本の物件や銀行に限らず、資産を分散できていたことが功を奏していると感じています」(川瀬オーナー)

テナントの安全に責任持つ 修繕で物件を保持し続ける

 外貨の為替差益を上手に使い、物件の修繕に力を入れているのには理由がある。それはビルオーナーとしての責任。「所有している限り、テナントには安全に入居していてもらわなければなりません。事故を防ぐためには前もって修繕をし続ける必要があるでしょう」と川瀬オーナーは話す。

 「子どもは2人いますが、それぞれ自分たちの人生を歩んでいます。彼女たちがビル経営を引き継ぐかはまだわかりませんが、『築古の負動産を引き継いで苦しい』と思われないように、必要な修繕を適宜行いながらビル経営を続けていくことができたら」と川瀬オーナーは語る。

【進和産業の歴史】

1980年:阿部邦雄氏がNECシステムイン・サンプレーを立ち上げる。本社ビルを埼玉県浦和市(現さいたま市浦和区)に竣工
1981年:東京都北区にサンプレー王子ビルを竣工
1989〜90年:オーストラリアのゴールドコーストにコンドミニアムとテナントビルを購入
1995年:オーストラリアの物件を売却し始める
2003年:本社ビル跡地にエイペックスタワー浦和を竣工
2007年:川瀬千鶴子オーナーが事業を引き継ぐ

(2025年 3月号掲載)

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