収入を増やしたいのか、土地を守りたいのか――。承継に、一般的な意味での“正解”はない。後継者へ引き継ぐのは、賃貸事業だけではなく生き様の承継ともいえる。受け継いだ方も、同じやり方で土地を守るもよし、さらに賃貸経営業を発展させるもよし。いずれにしても、事前準備が大切なのは言うまでもない。
今回主に紹介するのは、事前準備を抜かりなく行い、物件を分割することなく法人に移した例(石塚オーナー)。経営環境の変化により、妻とメーンを交代した例(古川オーナー)。入居者や仲介会社など、相手と徹底的に会うことにこだわった例(安田オーナー・本橋オー
ナー)。父の教えを自身の賃貸経営に生かす例(新谷オーナー)。これらをはじめとした八つの「家」の話である。
50店超の仲介会社を定期訪問、足を使った家業再建
安田典史オーナー(京都市)は、サラリーマン時代から家業の賃貸経営を手伝い始めた。専業家主となった後は母が創業した休眠会社を活用して所有物件を管理。その後、管理会社を創業し、現在に至るまで順調に業績を伸ばしている。
修繕費がまかなえない状況
安田家では、かねてから母が中心となり、父方の祖母所有の物件を管理会社経由で管理していた。その後06年に祖母が亡くなった際に相続が発生。安田オーナーはきょうだいとともに祖父母の養子になっていたことから、父母ときょうだい3人の5人で祖母の物件を相続した。父のきょうだいとは“争族”となり絶縁に至ってしまったが、公正証書遺言により何とか財産を守ることができたという。
その後10年に、高齢の母から賃貸経営の様子を聞いて危機感を抱くようになった。11年、転勤を打診されたことをきっかけに退職し、京都に戻って承継の準備を始めた。
12年、母が創業したグレース安田の経営を承継した。家業として3棟のマンションと1棟のテナントを引き継いだが、ほとんど利益が出ない状況で、修繕費がまかなえないほどだったという。1人で再建するに当たっては、実際に管理をしている内容を都度、母やきょうだいに説明するようにした。 その後14年に自身で管理会社である吉祥院安田を創業した。
足を使った再建
11年の承継準備中に、まずは宅地建物取引士の資格を取得。加えて、京都市内の不動産会社にパートとして半年ほど勤め、不動産業を実地で勉強した。このときの不動産会社には、知り合いのつてなどには頼らず、就職活動を行って就職している。
宅地建物取引士の勉強だけでは管理の実際は学べないと考え、実務に飛び込んだのだという。自分の家の事業について最初に行ったのが、所有マンションを管理することだった。「これが第一歩でした。自分で定期清掃をしながら、これからどのように管理し退去後に募集を始めるのではなく、もっと早い段階で仲介会社に動いてほしいと考えた。
そこで安田オーナーは、足を使って関係を築いた。仲介会社を定期的に訪問、退去の情報が入るとすぐに募集の協力を依頼して回った。その数50店超。各店2〜3人に会うようにした結果、市内の仲介会社の責任者の顔はだいたい分かるようになった。
銀行に対しても、安田オーナーが物件の管理をすること、借入金・返済の管理をすることを伝えて回った。銀行の信頼を得るコツは、小まめに物件の稼働率や物件の収益を示すこと。かつて決算期に1回見せるだけだったものを四半期に1度と改めた。
さらに、サラリーマン経験も功を奏した。経営企画を担当していた際にキャッシュフローを学んだことで、経営的な考え方が育っていたのだ。「仮に、サラリーマン経験を積む前の20代で賃貸経営を引き継いでいたら、今の状態まで持っていくのは無理だったと思います」(安田オーナー)
マメなメンテナンスに注力工夫したのは、物件情報のデータ化だ。場所と戸数以外の情報はほぼデータとして残されていなかったことから、情報をワードやエクセルで整理した。例えば、管理の際のチェック項目を作成。
ごみ、クモの巣、壁の間のコーキングの具合、草の状況など、物件ごとに項目を変え、もれなくメンテナンスできるようにした。さらに、工事履歴。以前の記録がないことで、発注価格もあいまいだったり、過度な修繕も見受けられたりしたところを、データ化により改善した。
こうして再建が成功し、キャッシュフローに余裕ができた17年にはスタッフの雇用もできるようになった。「両親はそういうことをほめてくれるタイプではありませんが、安心して見ているのを感じます」(安田オーナー)
現在、安田オーナーの仕事は物件の購入・売却を中心に行うことにシフトし、現場は3人のスタッフに任せられるようになった。母から受け継いだ会社、自ら立ち上げた会社ともに順調に増収増益とのことである。
年表
1984年:母、グレース安田を創業
2006年:父方の祖母が亡くなり、相続発生
2010年:名古屋で勤務。帰郷時、母に賃貸経営の様子を聞く
2011年:東京で勤務。違うエリアに転勤を打診され、退職し京都へ戻る
実家で母の業務内容などをヒアリング
宅地建物取引士の資格を取得
京都市内の不動産会社にパートとして半年勤める
2012年休眠状態であったグレース安田を不動産賃貸業の会社として再建開始
2014年吉祥院安田を創業、管理会社として運営開始
家業に一度入った息子と衝突理念に共感できる従業員を雇用
新井孝治オーナー(70・さいたま市)
事業承継を見越して、親子一緒に仕事をすることは、意外に難しい。親子ゆえに感情的になり衝突しやすいからだ。
さいたま市を中心に11棟116戸の賃貸住宅を所有する新井孝治オーナー(さいたま市)も家業に一度入った息子と衝突した経験を持つ。新井オーナーの子どもは3人。長男は2008年に家業に入ったものの、親子間での衝突がたびたび起こり、8年間共に働いた後、辞めてしまった。次男も意見は言ってくれるが、直接手伝ってはいない。
「親子は難しい」とこぼす新井オーナーを今サポートしているのは長女。会社のホームページの作成や更新などを担う。だが、次々に所有不動産を増やしていく中で、手が足りなかった。そこで、2年前に従業員を雇用することにした。
家業に一度入った息子と衝突理念に共感できる従業員を雇用採用募集で重視したことは会社の経営理念を理解する人ということだった。そのため、求人広告にも「どこよりもいい賃貸住宅を、どこよりもいいサービスで提供する」という理念を掲げ、「それが、私たちの使命です。入居者の喜びと満足が、私たちの喜びと満足です」と掲載した。
その広告を見て、応募してきたのが、小松健一氏だ。もともと雑貨の卸業に従事していた小松氏は、不動産の仕事に関心を持っていたことから宅地建物取引士の資格も取得。資格取得後は大手よりも小回りの利く小規模な不動産会社で賃貸管理の仕事をしたいと考えていた。そんなときに見つけたのが、新井オーナーの会社の求人広告だった。
「経営理念に共感したんです。人間は人に感謝されることによって存在意義を感じるわけで、ありがとうと言ってもらえる仕事を理念に掲げるところに引かれました」と小松氏は話す。
「小松君は、大きなことも小さなことも相談するとすぐに答えが返ってくるんです。きちんと調べて知っているからすぐに回答できるんです。彼が入ってくれたおかげで本当に助かっています」。こう笑顔で話す新井オーナーも今年70歳。不動産自体は将来子どもが継ぐとしても、事業をきちんとサポートしてくれる小松氏の存在は大きいようだていくかを考えました」(安田オーナー)例えば、募集部分を改善した。